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◆【正論】同志社大学フェロー、大阪大学名誉教授・加地伸行 付き合わぬのも外交政策の選択肢
対日友好必要なのはむしろ中韓
《今も変わらぬ阿Qの世界》
中国における四月の反日デモについて、多くの論評がなされてきたが、私はあのデモの性格について別の見解を抱いた。
報道映像を見ていると、日本大使館への投石を規制しないものの、護っている中国警備陣に対して、デモ参加者が罵倒(ばとう)している様子もなく、また、跳ね上がり者が出てきて突っかかったりもしていなかった。
そんなお嬢さんデモでは意味がない。かつての日本の学生運動では、六〇年安保のときでも、昭和四〇年代前半の大学紛争においても、跳ね上がり者が警官隊と肉体的に衝突したものだ。
しかし、四月の反日デモとやらには、そんな根性は見えなかった。私は思った。植民地の香港を実力で奪還する根性のなかった中国人の本質がそこにある、と。すなわち、命ぜられたままに投石して権力の意向に沿う〈阿Q〉(何も分かっていない愚か者という、魯迅が描いた一般中国人像)の幼稚な姿だ。
『荘子(そうじ)』人間世(じんかんせい)篇にこうある。「彼(かれ) まさに嬰児為(えいじた)らんとせば、亦(ま)た之(これ)と与(とも)に嬰児為(た)れ」と。相手(彼)が赤ちゃん(嬰児)のような幼稚な態度を取ろうとするならば、こちらもよしよしと赤ちゃんと同じような態度で接するのがいい、大人が教えるというような無理は禁物、といった意味である。
《国際ルールに疎い幼稚さ》
中国人は国際社会というものが理解できない。古来、国家間の紛争は絶えず、戦争はなくならない。けれども、現代国際社会では、講和条約というルールを作っている。たとい憎しみ戦った仲であっても、講和条約を結ぶと、その中身についておたがい不満があったとしても我慢をし、締結以後、過去について国家としては蒸し返すことをしないでつきあってゆくというのが、国際社会のルールであり、そこに講和条約の意義がある。日中平和友好条約、そして日韓条約はそれに準ずるものである。それが分からない幼稚な彼らは日本とどうつきあおうというのだ。
無法なヤクザでも、手打ち式が終われば、過去を水に流す〈仁義〉を心得ている。今の中国人には無法はあっても仁義はない。共産主義者だから、おそらく仁・義・礼・智・信は追放して忘れてしまったのだろう。
こういう中国と、ついでに言えば韓国とも、これからどうつきあってゆくべきか。
前引の『荘子』人間世篇は、これでもかこれでもかと言うほど多くの例を挙げて、人為的なこと、無理なことは禁物ということを説いている。
そうなのだ。相手が幼稚であるなら、なにも無理に仲良くする必要はない。日本はその道を選ぶべきである。
すなわち、中国や韓国とは、十分な距離をあけ、友好などというきれいごとを言わず、光栄ある孤立の道を選ぶことである。
と述べると、中国との経済関係をすぐ持ち出す人がいる。愚かな話である。というのは、現代中国の決定的な二大欠陥が分かっていないからである。
《求められた時のみ対応を》
まず第一欠陥は、中国経済には依然として民族資本の蓄積がないことだ。これでは「愛国」が聞いて呆れる。外国資本下の〈植民地根性〉のまま、独り立ちできない構造なのである。
第二欠陥は、研究開発のための投資をしない点だ。研究開発には膨大な金銭が必要な上に、成功するかどうか分からない。そういうことに中国人は絶対に金銭をかけない。つまり、今の中国からは独創的な独自のモノは生まれないということだ。常にコピーするだけである。
こうした二大欠陥がある以上、中国は日本に見放されると終りなのである。民族資本により研究開発をして新しいモノを生む日本が必要ということだ。いや中国だけではない。世界の多くの国が日本を必要としている。
だから、光栄ある孤立をする日本に対して、それでも必ず先方から求めてくる。その注文に限定して応ずればいいのであって、外へ出かけてゆく必要はない。いわば、一種の鎖国をすることである。
もちろん国軍の認知もできない日本が国連にしがみつくのは滑稽である。末席の一国としてでいい。不良外国人は入国させないようにしよう。
そのように退くのも外交であり、経済であり、そして政治なのである。日本国首相はどっしりと国内問題に腰を据えよ。人間世篇に曰く、たとえば日本は「その能(高い能力)を以って〔皆にたかられ、かえって〕その生(生きてゆくこと)を苦しむ者なり」と。(かじ のぶゆき)
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