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以下のコメントは(言わば本ブログの親)「産経新聞を読んで」というWebsiteを2003年に開設した時の筆者のご挨拶です。Websiteアドレスは以下の通りです。こちらもどうぞご覧ください。 (平成15年10月26日) 昨年8月、汗すだく東京を離れ常夏のシンガポールに居を移した。96年より四年間駐在した土地である。2000年辞令で帰国したが、決心の上、会社を辞めた。その間の記憶は今やおぼろだ。齢(よわい)五十となり、残りの人生を自分のために行きようと決めた末の結論だった。思えば家族には罪なことをしたものだ。ありきたりに言えば「超一流企業」社員のステータスと報酬を捨てたのだから。 退職金の大半は家のローンで費消、残りの事業原資もこの3月辺りで途切れ、あわや野垂れ死に、シンガポールで人様に迷惑をかけない死に方は何だろうかなどと観念していた時期に商売が入り込んできた。「人の一生は皆、幸福と不幸が半々」等というのは嘘っぱちだなどと自棄になっていたが、金が入ると人間は現金なもの、また生きる力も湧いて来るわけだ。 シンガポールに移った理由は唯二つ、夜の爽やかさと生活のし易さだ。酒飲みにはこの二つは貴重な要件であり、酩酊、昂揚し、白楽天の長恨歌でも口ずさみたくなる環境が日本の半分以下のコストで済む。酒飲みならずとも、皆一様に言う如くシンガポールの生活は便利で安く、日本で10万円使うとすれば3−4万円程度で十分なやって行ける感じだ。夜中ふらふら飲み歩いても、身の危険がまず無いのも利点。収入は下がっても、法人税・所得税をしっかり払えて、従業員も雇えるレベルの商環境を提供してくれるシンガポール政府には感謝、感謝です。 以上はこのWebsiteのスタートと関係の無いことだが、筆者のProfileの一端を垣間見てもらうために敢て書きました。 閑話休題、産経新聞は94年から購読を始めた。97年に「電子新聞」が始まってからはシンガポールでも早速取り始めた。帰国後も家族は営業の「勧誘」力からか朝日だったので、そのまま電子新聞を続け、当地に戻ってもまだ継続している。関心のある情報を集めてはクリップし「産経新聞保存」というFolderに蓄積した上で、頻繁に検索し、自分の意見・やり方の指針としている。今日数えたら既に47ファイル、41MBになっていた。 産経新聞の推定購読部数は2百数十万ということで、読売、朝日、毎日の後塵を拝しているが、産経の論調にはそんなことに拘らぬ鷹揚さと、良い意味での「へそ曲がり」的なところがあり、魅力だ。故山本夏彦翁の言、「汚職では国は滅びぬが正義で国は滅びる」といった感覚を骨の髄まで認識している記者が上から下まで多く揃っている新聞社なのかも知れない。産経抄、「主張」、「正論」は毎日熟読しているし、これ以外にも本当に珠玉と称しても良いような記事が目白押しである。これらは一般に余り知られておらず、知る人ぞ知るということであろう。 日本に帰国してびっくりしたことはまず広告の薄さである。何も入っていない日もある。これで一日百円でやって行けるのかと心配になる(それに比べ朝日の広告、チラシの多いこと、反権力的論調は「装い」としか思えない)。マスコミは高収入産業と言われていても、産経社員はさぞかし薄給であろうと同情される。 若い頃は「朝日・岩波・NHK」を気取っていたが、今はこれと峻しく対立する考えになってきたのも、産経新聞の貢献だ。所謂、戦後民主主義は既に「されど我らが日々。」でしかない。日本も戦後既に二世代を経過し、贖罪感覚の麻痺状態から脱却し、金だけでなく総合的に国際貢献に動き出す時期であろう。世界もそれを期待している(そうでない国家は似非、別の意図がある)。 当フォーラムは産経新聞を応援する目的で開設した。産経新聞社の不利益になるとは当然考えていないが、内容に相当引用があることはご寛恕頂いた上で、著作権ぎりぎりまで、行きつ戻りつしつつ、社会批評の日誌としたいと考えている。乞うご期待の程を。
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