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◆【話の肖像画】浮かぶ瀬もあれ(1)前内閣官房参与中山恭子さん 大役打診に「自分を捨てる」決断
《今なお解決していない北朝鮮による日本人拉致事件。国交正常化に前のめりになっていた日本政府に不信感を抱いた被害者家族の心をつなぎとめたのが、内閣官房参与に起用された中山さんだった。曽我ひとみさん一家の日本定住に道を開いたのも彼女だ》
−−ひとみさんの夫、ジェンキンスさんが米国で、九十一歳の母親と再会しました。
中山 母と子の再会は感動しますね。ひとみさんもほっとしているでしょう。拉致された彼女の母親の行方がわからないこともあって、夫の母親が元気であればなんとしてでも会わせたい、会わせられなかったら一生、後悔すると話していましたから。
−−参与就任前、日本人拉致事件への関心は?
中山 詳しくは知りませんでした。小泉純一郎首相の訪朝(平成十四年九月十七日)後、家族の方々が涙を流して会見していた様子をテレビで見て、政府の対応が何か違っていると思っていましたが。
−−どのあたりが?
中山 家族の方々があれだけ悲しい思いをしなければいけない状況に追い込まれているのは、あってはならないこと。こんな状態が続いていたのに、私自身を含めて何もしていないことへの反省もありました。
−−参与就任の経緯は。
中山 十四年八月に大使として赴任していたウズベキスタンから帰国後、福田康夫官房長官(当時)に「今、時間があったら官邸にきてくれないか」と言われて…。退官のごあいさつが足りなかったかなと思ってました。
−−その場で打診されたそうですね。
中山 考えさせてくださいといって、その晩、中山(成彬氏)に相談しました。「やるしかないじゃないか」という簡単な答えでした。そうは言われても、考えなければいけないことがたくさんありました。
−−たとえば。
中山 北朝鮮に関して素人の私が引き受けて大丈夫なのか、自分を捨てることができるのかと、自問自答しました。何時間かたって、ふと、「浮かぶ瀬もあれ」という言葉が浮かんできました。前段の「身を捨ててこそ」は浮かびませんでしたが。そうだ、自分でやれるところまでやってみようと。
(聞き手 田北真樹子)
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■中山恭子 なかやま・きょうこ 昭和15年、東京都生まれ。東大文学部仏文学科卒業後、41年に大蔵省(現・財務省)入省。四国財務局長、大臣官房審議官などを経て、退官後は国際交流基金常務理事。平成11年からウズベキスタン大使を務め、14年9月から16年9月まで拉致被害者・家族支援担当の内閣官房参与。現・国連改革欧州諸国担当大使。夫は中山成彬文科相。
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