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◆【話の肖像画】浮かぶ瀬もあれ(2)前内閣官房参与 中山恭子さん 平壌で被害者に和菓子差し入れ
≪平成十四年九月十七日、小泉純一郎首相は日本の首相として初訪朝。北朝鮮の金正日総書記は初めて拉致の事実を認めたが、同時に「拉致被害者八人死亡、五人生存、二人未入国」という説明をした≫
−−「八人死亡」を信じますか。
中山 死亡しているとは思っていません。具体的な証拠がないのが残念ですが、これまでの経験や北朝鮮側の動きから、多くの被害者が生存していると感じ取っています。
−−拉致問題で最も気にかけていることは何ですか。
中山 横田めぐみさん、田口八重子さん、石岡亨さんなど政府が拉致被害者として認定している方々、また若いころに連れて行かれて、今も北朝鮮で日本のことを思っている人々のことです。
≪穏やかな口調からは想像できない、しんの通ったぶれない判断と政府を動かす手腕。参与就任からほどなく、拉致被害者や家族の心のよりどころとなった≫
−−被害者家族に初めて会ったときのことを覚えていますか。
中山 はい。就任翌日の九月二十七日(平成十四年)の朝食会です。ひそかに感動しながら一時間を過ごしました。だって娘や息子がいなくなって二十数年間も耐え忍んできた方々でしょ。鍛え抜かれた人たちだなと思いました。思いやりがある人たちだな、とも強く印象づけられました。私はご飯を食べている余裕はありませんでした。
≪中山さんは、同年十月十五日、五人の被害者を平壌に出迎えに行った≫
−−初めて会った五人の印象はどうでしたか。
中山 会った瞬間、「この人たちは大丈夫」と思いました。二十数年間、日本のことを思い出さない日は一日もなかっただろうなと感じました。日本人というものを失っていないという印象でした。平壌の空港では、みんなで和菓子を食べました。
−−どんな和菓子ですか。
中山 生和菓子です。秋だったので柿や栗の形をしたものとか。多分、和菓子は食べていないかもしれないと思って。
−−喜ばれたでしょうね。
中山 はい。みんな、久しぶりの和菓子がおいしいと言いながら食べていました。拉致されていた二十数年間がふっと消えてしまいそうな感じでしたね。平壌の空港の人に、めぐみさんの娘さんのキム・ヘギョンさんも別の部屋から呼んでもらって一緒に食べました。とげとげしい雰囲気はまったくありませんでしたね。
(聞き手 田北真樹子)
◆【話の肖像画】浮かぶ瀬もあれ(3)前内閣官房参与 中山恭子さん 「思慮深い」キム・ヘギョンさん
−−拉致被害者五人を平壌空港まで出迎えたとき、初めて会ったキム・ヘギョンさんはどんな印象でしたか。
中山 静かで思慮深い、はにかみやさん。それに賢さが伝わってきました。事前に北朝鮮入りした日本政府の調査チームに医者になりたいと言っていたお嬢さんですから。
−−どんなことを話しかけましたか。
中山 めぐみさんのお母さん、早紀江さんの著書「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」を手渡しました。「あなたのおばあさまは、お母さまが日本から連れて行かれてしまってから、まだ一度も会えていないので非常に心配している」と言いました。本の表紙にめぐみさんの写真が載っているのですが、キム・ヘギョンさんが写真をじっとみていた様子を覚えています。
−−めぐみさんが拉致されたことを知っていたのでしょうか。
中山 それはわかりません。知らない事柄かもしれないと思い、本を渡すときは躊躇しました。でも知ってもらわなければと思って本を渡しました。
−−会うことは事前にわかっていたのですか。
中山 いいえ。会えないだろうと思っていましたが、ひょっとして、という気持ちはありました。
−−キム・ヘギョンさんは中山さんに会った後、一部の日本メディアのインタビューを受けていましたが、その時の印象はどうでしたか。
中山 テレビで写った彼女は全く違う感じでした。しっかり指導を受けたあとがうかがわれるインタビューでした。北朝鮮から教え込まれた話がある一方で、お母さまが拉致されたという話も聞いています。十五歳(当時)の女の子が抱えるにはあまりにも大きなものが一度にのしかかっていた状況で、本当によく耐えていたと思います。
−−北朝鮮が横田夫妻を訪朝させるため、キム・ヘギョンさんに会わせる可能性をちらつかせることが今でもあるようですが。
中山 そうですね。ご夫妻のことを考えたら一日も早く会えたらいいと思いますが、会うことが北朝鮮から利用されれば悲しいことだと思います。
−−今も悲しい状況が続いています。
中山 はい。自由に日本にこられない状態というのがなんとももどかしい。今でもキム・ヘギョンさんの顔がすっと浮かんでくる。どうしてこんなことになるのかなって。(聞き手 田北真樹子)
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