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◆【話の肖像画】浮かぶ瀬もあれ(6)前内閣官房参与 中山恭子さん 隣国・キルギスで拉致事件
≪中山さんが内閣官房参与に就任する前、中央アジアのウズベキスタンで大使を務めていたことはあまり知られていない。赴任から十日前後しかたっていなかった一九九九年八月、隣国・キルギス共和国で日本人技師らがイスラム武装勢力に拉致される事件が発生した≫
−−赴任直後に大事件でしたね。
中山 大変でした。ただちに救出体制に入りました。事件が解決するまで、私だけでなく館員全員が寝不足状態で取り組みました。
−−「拉致」に縁がありますね。
中山 ええ。でも、両方の問題に通じるのは、国民が拉致されたら、国が救出するのは当然という考え方です。事件はキルギスで発生しましたが、武装勢力との関係で、事件解決の鍵を握るのはウズベキスタンとタジキスタンでした。事件発生直後、ウズベキスタンのカリモフ大統領に協力を要請すると、大統領は「中央アジアで日本人が傷つくことは決してあってはならない。自分の国の国民が拉致されたと考えて救出にあたる」と答えてくれました。
−−北朝鮮による拉致事件で日本政府が言ってほしいセリフですね。
中山 大統領のその言葉をいつも思いだします。中央アジアにいると、情報の恐ろしさがよくわかる。煙のないところにも、煙と火がでてくることがあります。情報戦というものを勉強させられました。
−−大使時代を振り返って最も心に残っていることは?
中山 いくつもありますが…。戦後、シベリアに抑留されていた日本人がウズベキスタン(当時はソ連領)に連れてこられて重労働をさせられました。日本人は劇場や運河、水力発電などをつくったのですが、そうした施設がいまも活用され、ウズベキスタンの人々に感謝されているということでしょうか。ただ、現地で亡くなったそうした日本人たちの墓地をどう整備するかという課題が残されていました。
−−多くの日本人が亡くなりましたね。
中山 二万五千人がウズベキスタンに移送されました。公式の数字ではそのうち八百十二人が亡くなっています。平成十二年秋に、首都タシケントから車で約二時間離れたベカバードの日本人墓地を訪ねました。この墓地は当時、整備されておらず、一面の原っぱでした。足元にこんもりとした土饅頭(まんじゅう)が並んで、捕虜の番号が刻まれた鉄板が刺さっているだけ。なんとかしなければ、という思いが押し寄せてきましたね。
(聞き手 田北真樹子)
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