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◆【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦 総理参拝でも反日デモは起こらず 統御不可能な大騒擾恐れる中国
《情けは友好につながらず》
さる四月の中国における反日デモは、幾多の教訓を残した。
まず事件の実態の認識であるが、日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りに対する反対運動は、一カ月ほど前から中国共産党政府の支援の下に行われ、四月九日の官製または公認(畢竟は同じことであろう)のデモは、その一部である。
しかし、その結果、中国政府が予期していない民衆デモに発展し、混乱(何らかの形の反政府騒擾となる可能性)を恐れた政府が、以後デモを厳禁したというのが実情と判断される。
ということは、しばらくは反日デモはあり得ない、と考えてよい。
たとえば、小泉総理が八月十五日に靖国参拝をしても、とてもデモはできないであろう。天安門事件で民主化運動を弾圧して以来十数年、それに代わって国民に行ってきた反日教育と、ここ一年ほどの中国政府の、小泉首相の靖国神社参拝に対する激しい反対のレトリックを聞いている中国民衆による反日運動が、たちまち全国的大運動になることは誰でも予測できるし、その結果は、中国中央政府が統御できないほどの大騒擾となる可能性は少なくない。
といって、厳戒態勢の下での限定デモでは、裏の事情が見え見えで効果がない。
そうなると、今度は中国の自制を評価し、日本が一方的に刺激すべきでないとか、靖国代替施設をつくって中国に逃げ場を与えるべきだとかいう議論も出てこよう。
しかし、そこで日本が下手に情けをかけると、それは中国側にとって、今までのやり方が一応成功したことを意味し、再び新たな問題をめぐって、今のようなギスギスした関係が続くことになる。中国が今までのようなやり方を繰り返している限り、誰も新しい日中友好関係が生まれる展望など持てないであろう。
そもそも常任理事国入り反対のような外交問題は、初めから外交的手段で正々堂々とやればよいのである。まずデモをやって民衆の怒りを表明するなどという、過去の半植民地時代のようなやり方は、今や大国となった中国がやるべきことではないし、おそらくは今度の経験で、もうしないのでないかと思う。
あと中国が靖国参拝阻止でできることは、政界、財界、言論界を通じて圧力をかけることであろうが、これも手の内が見えてきて、遺族会の例のように、結局は参拝支持を再確認するだけという逆効果も出てきている。
《日本に同情的な国際世論》
通商の自由を阻害する要因を除くことこそ、世界経済を活性化させ人類の生活向上に資するというのは、大恐慌の教訓から学んで、戦後世界がアメリカの主導の下に、ガット(関税貿易一般協定、現WTO=世界貿易機関)、IMF(国際通貨基金)体制によって営々として努力してきたことである。
中国がやっと加入を許されたWTOは、その精神に基づくものであり、政治的理由で経済活動の阻害を示唆するなどという行為は、国際的非難の対象になる。“政冷経熱”など余計なことを言う必要はない。経済は人類の共通の福祉のためのものであり、二国間の政治懸案とはまったく別のことである。
今回の反日デモについて日本に幸せだったことは、国際世論が、おおむね日本の方に同情的であったということである。
その論旨を読むと、結局は、戦争が終わって半世紀以上たった今となってみると、日本という国はれっきとした自由民主主義国であり、軍国主義が復活したり、侵略戦争を起こしたりする可能性など、夢にも考えられない国になっているという、日本の実情を知る人の意見が強く出ている。これが日本の財産となっていることを今度の事件は改めて教えてくれた。
《日本人よ歴史に誇り持て》
一九三〇年代の軍国主義史観や戦後の米国占領史観に埋没してしまって、今は世界でも覚えている人は少ないが、日本は明治以来の民衆の自発的運動によって、自らの手で一九二〇年代に民主主義を達成し、これを謳歌した歴史を持つ国である。
この前の敗戦で日本が受諾した降伏文書の条件は、民主主義の「復活」であった。日本人はこの歴史に誇りを持ってよい。
日本は今まで自由民主主義の旗を振ることにシャイ(遠慮がち)であったが、今後は自由民主主義の旗手として堂々と振舞うべきである。
またそれこそが、日本が二十一世紀において国際的役割を果たす基礎となろう。
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