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◆【緯度経度】パリ・山口昌子 反テロ戦 英仏の「相違」と「一致」
ロンドンの同時爆破テロで、フランスは英国に比較すると警察国家というか中央集権国家だと改めて思った。英国では新反テロ法案が年末にも成立とのことだが、フランスの場合、反テロ法はミッテラン左派政権誕生によって一九八二年に一時、廃止されただけで、八六年からの保革共存政権下のシラク首相時代に特別法として復活して以来、存在するからだ。
同法は反逆、破壊、陰謀、スパイ、略奪など国家の安全を脅かす行為を対象にしており、個人、団体、あるいはその政治思想、宗教を問わずに適用され、計画しただけで行動に移さなくても該当者は逮捕できる。政府は団体などの解散命令も出せる。
反テロ法がすぐに復活した背景には八五年に極左集団、アクション・ディレクトによる連続要人テロがあり、刑法だけでは不十分だという認識が国民の間にも浸透したからだった。
極左によるテロはその後、東西の冷戦終了とともに下火になったが、代わって登場したのが「“少数民族”対“既成民族”、換言すればイスラム過激派対キリスト教による一種の宗教戦争」(フランソワ・ジェレ外交国防研究所所長)だ。
フランスはイラクにこそ派兵していないが、「アフガニスタンには派兵し、米軍と緊密に協力」(仏国防省)しており、国際テロ組織アルカーイダは例の「スカーフ禁止法」施行によってフランスをテロの標的と宣言している。テロの脅威は英国や米国と変わらないし、テロとの戦いを最優先事項のひとつとしている点も米英と変わらない。
フランスはイスラム過激派のテロに関して、ある意味で“先輩格”だ。九五年のアルジェリア系イスラム過激派による連続爆弾テロ(パリ高速地下鉄など七件で七人死亡、約三百人が負傷)はその一例だ。一連の事件のうち仏新幹線(TGV)爆破未遂事件の容疑者はフランス社会から疎外されたアルジェリア系青年だった。イスラム過激派のテロ組織、武装イスラム集団(GIA)のメンバーになり、警官との銃撃戦の末に射殺された。
このときのテログループは「ほぼ壊滅」(仏司法筋)し、米中枢同時テロ後、フランス国内で何度かテロの危険はあったものの、反テロ法と通常の刑法などの組み合わせで未然に防いできたという。
英国の場合は、いかにも秀作スパイ小説を輩出した国らしく「情報収集という口実の下」(イスラム過激派研究家、セラム・ベラアラ氏)、長らくイスラム過激派を放置してきた末に、米国の要請もあって米中枢同時テロをきっかけに反テロ法がやっと誕生した。二〇〇三年にはテロ防止法も成立したが、フランス国内では「十年遅かった」「欧州のテロリストがロンドンなど英国を連絡場所に選んでいる」(司法筋)との批判が聞かれる。
七日に発生したロンドン同時爆破テロの実行犯が、パキスタン系英国人だったことについて、英国では「英国人が!」との衝撃が広がったが、フランスの場合、アルジェリア系やモロッコ系、あるいはアフリカ系がフランス国籍であることは珍しくない。
英仏の人口はほぼ同数の約五千九百万人だが、フランスには約四百万人のイスラム教徒が在住しているのに対し、英国は約百八十万人。この相違はサッカーを例に挙げればフランスの代表選手がアルジェリア系のジダン選手であるのに対し、英国は金髪碧眼のベッカム選手であることからもうかがえる。仏英の相違は植民地政策−フランスは植民地の人材をパリに留学させ、英国は植民地に大学を建設した−違いにもさかのぼる必要がありそうだ。中央集権国家と自由競争国家の相違ともいえる。
フランスでは十八歳以上に身分証明書の携帯が義務付けられており、外国人が長期滞在する場合は滞在許可証や労働許可証が必要だ。こうした書類がないといかに身元がしっかりしていようが「不法滞在者」に分類され、場合によっては本国送還もありうる。一方、英国の場合、身分証明書制度もなければ、滞在許可証や労働許可証もない。不法移民が入国に成功さえすれば滞在も労働も可能だ。
ブレア英首相は二十五人のイスラム教徒の代表らと協議、「悪のイデオロギーとの対決」を訴え、彼らも協力を約束した。フランスでは仏記者二人がイラクで人質になった事件で、イスラム教徒連合団体「仏イスラム教評議会」代表がバグダッド入りして「同胞」の解放を訴えた。
イスラム過激派との戦いは穏健派のイスラム教徒の協力なしには勝利できないという点では英仏の作戦は一致している。反テロでの英仏競争なら大いに励んでもらいたいところだ。
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