保守の源流を訪ねて

いざいざと友に盃すすめつつ泣かまほしかり醉はむぞ今夜

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何と18日は私もKL、PKにいた!
駐マレーシア日本大使館からの参列は一人もなかったと。

◆【透明な歳月の光】曽野綾子(168)帝国海軍潜水艦の慰霊祭 マレーシアとの友情の証し

 七月十八日の月曜日に、私はたまたま滞在中であったマレーシアの、ポートクランという港から沖に出て、一九四四年七月十七日に当時敵国であった英国海軍の潜水艦「テレマカス号」の魚雷攻撃を受けて沈んだままになっている帝国海軍の「伊号第166号」潜水艦の慰霊祭に参列した。

 責任のある国家は、できる限り死者の遺体を収容し、それができない場合にも手厚く慰霊をするものである。

 私はたまたまハワイに根拠地をおいていたアメリカの遺体収容を目的とする小人数の部隊の仕事を見せてもらったことがあるのだが、一九四五年の終戦当時にはまだ生まれてもいなかった指揮官の少佐から、ニューギニアの密林の中で何十年ぶりに発見されたアメリカの爆撃機の乗員の遺体収容と個人を識別する作業をする方法を学んだ。

 「伊号第166号」潜水艦にはまだ八十八体の遺体が眠っている。その船体の位置を確認するのは非常にむずかしい。船体は砂に埋もれながら常に海底を移動しているらしい上、マレーシアとインドネシアとの領海の接点に近く、しかも狭隘(きょうあい)なマラッカ海峡を東行と西行の大型船が犇(ひしめ)き合うようにして航行しているシーレーンの中間でもある。

 今度の洋上慰霊祭ができたのは、私が六月まで働いていた日本財団がマレーシア政府に、海峡の安全のために浮標などを敷設するための設標船「ジャダヤ(羅針盤)号」を寄贈したことなどもあって、マレーシア政府が全面的に遺族の心を思いやってその船で私たちを現場まで運んでくれたのである。それは二国間の友情の証しであり、海の男たちの共通の運命への共感であり、戦いに散った戦士への尊敬をこめた優しさでもある。日本からもご遺族、マスコミなどが乗り込み、特別の許可を得て、お花やお酒やお菓子なども海中に捧げることができた。

 伊号の遺族たちは、かつて伊号が一九四一年開戦後まもなくボルネオ島クチン沖で雷撃撃沈させたオランダ潜水艦「K−16」の遺族とも、伊号を沈めた「テレマカス号」のキング船長の家族とも、親交を持ち続けているという。すべてが戦争という異常な事態の中で発生したことで、それを平常な好意に浄化していかねばならない、という強い意志の愛からである。

 私は八十八人の遺体が海の底に眠る、という思いでいたが、ご遺族の一人が、もはや魂は天にあってその視線を明るい南方の空に感じる、という言い方をされたとき、救われたような思いになった。亡くなられた弟さんに会いに来られた八十代の婦人も、一つの区切りを感じられただろう。

 しかし駐マレーシア日本大使館からの参列は一人もなかった。日本という国は、国際感覚に照らしてみても、まことに冷たい非常識な国になっている。

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中嶋嶺雄先生、もっと発言を。アジアは一つでない。「朝日」論調の「アジアの人々への悔恨と反省」は虚妄だ。アジアのどこかを問えば、Chinaと朝鮮半島と彼らは答えるしかない。

敢てアジア全体を見れば、日本がそれ以外の全域を覆う構図の方が正解だ。それでこの「共同体」発想が生まれるのだろうが、これには中島先生言われるようにChina、朝鮮半島の不安定が阻害要因だ。だから米国が黙っていないわけだ。

◆【正論】国際教養大学学長・中嶋嶺雄 「東アジア共同体」は現実論なのか 全体像見る体系的視点が不可欠

≪議論の盛り上がりは歓迎≫
 このところ「東アジア共同体」に関する論議が盛んである。「東アジア共同体」構想は、わが国の小泉首相が、すでに二〇〇二年一月、訪問先のシンガポールで行った演説に端を発している。本年十二月にはマレーシアで「東アジア共同体」をめぐって東アジアサミットが開かれることになっているだけに、論議が盛り上がること自体は結構なことである。

 しかし、概ね肯定的な意見が多いマスメディアや学界などの議論を眺めていると、東アジアの現実から大きく乖離した楽観的な言説や待望論、中にはこのところ起こっている中国や韓国の反日論・反日運動に対処する日本の外交的対応をよりソフトな方向に誘導しようとする意図が見え隠れする議論も混じっていて、承服できないものも多い。

 それらの議論の大筋は、いまや東アジアには共通の大きな経済実態が存在しており、域内間の貿易総額は域内全貿易額の約60%とEU(欧州連合)のそれを凌駕しているという経済的相互依存性の進展を背景にしたものである。

 だが、日本の対外貿易における米国の占める比率が減少し、中国をはじめとする東アジア地域が総額の大半になっているといっても、そのことによって日米関係が揺らぐわけではなく、また、そんなことがあってはならないであろう。一方、日中間の最近の「政冷経熱」現象を見るまでもなく、東アジア地域には、経済中心の制度面や機能面でいくら問題を論じても意味をなさないほどの政治的、文化的、さらには地政学的な問題が数多く存在している。だからこそ東アジアの全体像を体系的にとらえる視点が不可欠だといえよう。

≪残存する共産党独裁体制≫
 ヨーロッパとは違って、アジアには中国や北朝鮮のような非民主的な共産党独裁体制が残存しており、台湾海峡をめぐる軍事・安全保障上の危機がさらに増大しつつあるばかりか、米中間の「新冷戦」がアジアを舞台に増幅しつつある現実を直視すれば、「東アジア共同体」なるものは所詮、絵空事に過ぎないのかもしれない。

 東アジアの中では、日本と中国、そして韓国が経済的には主要なアクターであり、日中韓三国でGDP(国内総生産)の85%を占めているだけに、ここではこの三カ国について改めて考えてみよう。

 去る七月二十一日、中国は人民元の小幅(2%)切り上げを発表した。中国が国際協調への一定の意志を示したことは歓迎されよう。

 だが、人民元切り上げまでの一連の経過が示したように、中国は国際場裏でいかに自国をプレイアップするかを常に行動原則にしている国家であることも明瞭であった。しかも最近の米国防総省年次報告書が中国の軍事費は公表数字の三倍であり、最大九百億米ドルにも上ると推計したように、中国の軍事的膨張による周辺諸国への脅威はさらに強まっている。

 当面は台湾海峡での軍事侵攻の可能性も否定できず、さらに将来的には米大陸本土をも軍事的に脅かそうと意図している節もうかがわれる。

 こうした中国と日本との狭間に位置する韓国は、二十六日に再開した「六カ国協議」への対応や最近の反日論の高まりに見られるように、南北朝鮮の協調という新政策と一種の事大主義的なジェスチャーによって、自己の存在感を高めようと必死になっている。

≪文化・文明的違和の存在≫
 自己中心的な中国の中華思想に倣って小中華思想に依拠する韓国は、一連の「靖国」問題にも示されるように、結局は中国に連動して日本に対峙しようとするであろう。

 このような東アジアの現実を地政学的にとらえれば、中国という大陸国家の大陸性(continentality)と韓国という半島国家の半島性(peninsularity)、そして日本という島国国家の島嶼性(insularity)とでもいうことができようが、そこには容易には一致し得ない文化的・文明的違和が存在する。しかも近代史における歴史的体験の違いや歴史認識の蓄積の違いが大きい。したがって日・中・韓で歴史対話を進め、近現代史の共同研究を実施しようなどという提言は、きわめて無責任であるか奇麗事であるにすぎないのである。

 これらの政治的・社会的な問題を棚上げして「東アジア共同体」を語ることは土台無理であろう。しかも「東アジア共同体」にとって絶対に無視できない台湾を、現実の独立主権国家として認めないことを暗黙の前提にしているのであるとしたら、この点からも「東アジア共同体」は虚妄にならざるを得ないのである。(なかじま みねお)

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昔、清の皇帝に「三跪九叩頭」を拒否した英国人を思い出す。それにしても佐々江さんの目がだんだん血走ってきていた。

◆【一筆多論】矢島誠司 対外交渉は「愚直」が大事

 「日中関係とは要するに、政治駆け引きや交渉技術にかけては世界一うまい国と、その意味では世界一下手な国との二国間関係ということになりましょう」

 四年前に亡くなった中国問題の碩学、故・桑原寿二氏はかつて、こう語ったことがある。『賢人が見つめた中国/桑原寿二論文集』(産経新聞社刊)の中にも収められている。

 そのうえで、桑原氏は、そんな世界一交渉のうまい中国に、どう対応すべきか−について、こんな勧めを説いていた。

 「第一は、国の立場と利益を守るのに愚直たれ、と愚直の勧めを行いたいと思います。どこの国にも、この膝屈すべからず…の一線があります。膝を屈したり、屈するようなポーズをとるのは、全くのタブーであります」

 国益や国家の立場にかかわる問題では、決して妥協したり、屈したりしてはいけない。愚直に、最後まで原則を守り抜け−。中国を知り尽くした桑原氏は、繰り返し、こう説いたのである。

 桑原氏の「愚直の勧め」は、対中交渉に関してだったが、他の対外交渉についてもあてはまるにちがいない。北京で再開された六カ国協議(ちなみに北朝鮮と外交関係のない日本政府は「六者会合」と呼ぶ)における日本代表の姿勢を見ていて、改めてこの「愚直の勧め」を思い出した。

 その協議の中で、日本政府首席代表の佐々江賢一郎・外務省アジア大洋州局長は、二十六日の冒頭あいさつでも、二十七日の基調演説でも、繰り返し「核、ミサイル、拉致事件の包括的解決」の重要性を説き、拉致事件を含めた解決を、ある意味で「愚直に」主張し続けた。

 これに対し、拉致問題を提起する日本を激しくののしった北朝鮮は論外として、韓国や中国、そしてロシアも、ニュアンスの差はあれ「協議の足を引っ張る」などとして冷ややかで批判的な態度を取った。米国は「人権」問題の解決の必要性に言及して、日本の立場を間接的に支持したものの、拉致を取り上げることには積極的ではなかったと伝えられた。

 そういう困難な状況の中で、日本代表が、愚直に日本の立場、原則を主張し続けたことの意味は、じつは大きかった。

 第一に、拉致問題は日本にとって国家主権、国民の生命にかかわる重大問題であり、北朝鮮による現在進行形の国家犯罪であるということ、そして、日本は国家としてこの問題で妥協することは不可能だということを改めて国際社会に知らせる機会となった。

 第二に、日本としては、この問題の解決なしには、日朝国交正常化はおろか、六カ国協議の枠組みの中であってさえ北朝鮮への新たな経済援助はできず、つまりは六カ国協議の成功もない−という現実を、参加各国に認識させる結果ともなった。

 日本は、拉致解決の原則を愚直に言い続けたことにより、「孤立した」どころか、協議で強い立場に立つことができたともいえるのである。

 賢人の勧めは大事にしたい。次の交渉相手は、再び中国となるだろう。小泉純一郎首相は、対中外交では、どうやらすでに「愚直の教え」を守っているようだが、引き続き、その愚直、頑固の姿勢を貫いてほしい。

 そのうえで相手の手のうちを知れば鬼に金棒だ。『中国人の交渉術』(産経新聞外信部監訳、文芸春秋刊、一九九五年)は、いまもその価値を失っていない。小泉首相はじめ、日本の政治家、外交官、経済人にはこの夏、再度熟読してほしい本である。

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「江戸時代の日本では、武士はもちろん町人、百姓を含めた世間一般に、死をそれほど大層なことと思わない風潮があった」

翻って我が身はこの心境になれるだろうか。社会的身分や金への執着は既に遥か彼方のものだが、死をどう捉えるか、それこそ一生(?)の課題だろう。

◆【追悼】杉浦日向子さん 江戸時代の気風、染みついた死生観

 平成十五年十一月二十八日、私はNHK総合テレビ「コメディー お江戸でござる」の収録に杉浦日向子さんの代役で出演した。ご病気だった日向子さんの手術日がその日に決まったため、前の週に突然依頼を受けたのだ。次週の最終回も私が代役を引き受け、九年続いた人気番組は終わった。

 日向子さんのご病気のことは、以前からある程度知っていた。わが家へお花見を兼ねて飲みにいらっしゃったとき、淡々とした口調で、私は白血病になったけれど、せっかくこの体を選んで来てくれた病気さんだから、無理して追い出そうとは思わないという意味のことをおっしゃったので、びっくりしたものだ。

 他人の病気ならともかく、まだ若い日向子さんがご自分の難病についてここまであっさりと話されるのは意外だったが、手術の後で何度か手紙を差し上げてその都度お葉書を頂き、やはり普通の人とかなり違った死生観で生きてきた人なのだと知った。

 「癌研」へ入院された直後の葉書に、自分は癌など気にしていないのに、周囲の人が気をつかって、癌という言葉さえ避けるが、ここでは病院スタッフ以外すべて癌患者なので気楽でいい、と書いてこられた。

 禅の修業を積んで悟りを開いたはずの高僧に癌宣告をしたら鬱病になって自殺したという話を聞いたことがあるが、日向子さんの淡々とした死生観は、悟ったつもりでいる取ってつけたものではなく、西洋思想至上主義になるずっと前の、江戸時代人の感覚なのだ。

 ここで詳しく説明する余裕はないが、江戸時代の日本では、武士はもちろん町人、百姓を含めた世間一般に、死をそれほど大層なことと思わない風潮があった…と書けば「人命軽視の封建時代」というような反応しかできない人が多そうだが、その人たちは放っておいて、何がなんでも我がいのちにしがみつきたいと思わない人が、特別な教育を受けない人の中にも大勢いたことは確かなのだ。

 江戸に生きたいと本気で思っていた日向子さんには、その気風が染みついていたように思う。

 私は日向子さんの父親相当の年齢だが、残念ながらとてもそんな心境にはなれない。(作家石川英輔)
                    ◇ 
 七月二十二日、下咽頭がんのため死去、享年四十六。

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「近い将来我々は自己保存のための手立てを選ばぬ非常識な相手と、ある犠牲を伴った関わり合いを持たざるを得ないのかも知れない」

重い言葉。グローバリゼーションの名の下に徒な友好気分を煽るマスコミ。戦後民主主義教育で「国家意識」をもぎ取られた日本人。それに増長し、言いたい放題な隣国。日本は仮にGDPが半減するようなことがあっても、「軍事的、あるいは経済的犠牲を甘受」し、もう一度立ち直るきっかけを持つほうが健全かもしれない。それだけResilientな国民なのだから。

◆【日本よ】石原慎太郎 起き上がる獅子

 目くるめく太陽の下で敗戦の詔勅を聞いた八月十五日がまたやって来る。

 信長が好んで謡い舞ったという「敦盛」の名文句に、「人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻のごときなり」とあるが、六十年前の敗戦から今日までの日々を思い直すとまさに夢幻のような気がしてくる。

 いや、さらにその以前の太平洋戦争が始まるまでに、子供ながら味わわされたあの緊張感。そしてついに開戦、思いもかけぬ連戦連勝。と思っている内あっという間に形勢は逆転し、中学一年生ながら勤労動員されていっていた農村でなぜか身震いしながら聞いた、広島に投下されたという敵の新型爆弾の絶大な効果。原爆の茸雲の噂はたちまち届いてきて、その形からして当時の写真屋が使っていたフラッシュの煙からの連想で、何やらマグネシュームを使ったとてつもない新兵器らしいということだった。

 そして降伏の瞬間から、本土決戦による「一億玉砕」は呆気なく「一億総懺悔」と変わり、神と信じられていた天皇は人間に戻り、荒野に似た焦土の中からの復興が始まり奇跡に近い経済復興がなしとげられていった。この半世紀余、我々は中世においてなら二、三百年かかったろう変化を享受してきたといえそうだ。そしてそれを我々の誰が予測し得たことだろうか。しかしなお限られた識者は今日のこの日本について的確に予見してもいた。高度成長が端緒についた佐藤政権の頃、ノーマン・カズンが日本を「無脊柱の巨きな動物」と評していたのを私はなぜか強い印象で覚えている。

 長い歴史を通じて初めての敗戦といういわば処女体験に懲りて、この国は自我という背骨を失ったままできてしまった。新しい為政者アメリカへの盲信と依存は、時間的空間的に狭小となった今日の世界の中での自己主張を失わしめ、他の国々に比して多くの優れた可能性を持ちながら他国からの敬意を獲ち得ることがなく、むしろ侮りをさえ招いている。今日の日本に対する中国や北朝鮮の理不尽極まりない姿勢と、それに対するこの国の無為さ加減を世界は何と見ていることだろうか。

 私は先般、アメリカのある外交専門誌から三十五年後の日本という国家の変化についての予測を依頼され小論文をものしたが、先方の依頼の主旨は、この激しい変化の時代に、三十五年という中未来に、よも日本という国が今日のような体たらくで在りようはあるまいということのようだった。私もそう思うし、そう期待もしている。

 がなお、もう一方では極めて悪い予感もある。二、三年前のニューズ・ウィーク誌の表紙はなぜか拡大された星条旗だった。しかしよく見るとその最後の星は小さな日の丸だった。しかし今私としては、さらなる悪い連想で、同じ予測として、もう一つの星としての日の丸をあしらった中国の五星紅旗を思わぬ訳にいきはしない。

 共産党の独裁政権は、自己保存のための常套手段として行う軍事拡張による覇権主義を、日本との連帯でアメリカがどこまで本気で阻止し得るかは近未来における世界の大命題となるに違いない。そして、相対的な実力を失って行くアメリカもまた、自己保存のためには日本や台湾を容易に失い得るだろう。

 近い将来日本が晒されるだろう軍事的危機は、かつての冷戦構造下のヨーロッパの比でありはしない。現に我々はテロ国家北朝鮮によって百人を超える同胞を奪われ、その奪還のために全く何も出来ずにいる。正式な条約の下に返還された固有の領土沖縄を中国は自らのものと主張しつづけ、領海の資源開発に手をさしこんできているのに我々はその阻止に何も出来ずにいる。

 政府はこうした事態に対処するに、しきりに冷静な話し合いをと繰り返していうが、相手が行っていることは決して冷静なものといえはしまいに。

 近い将来我々は自己保存のための手立てを選ばぬ非常識な相手と、ある犠牲を伴った関わり合いを持たざるを得ないのかも知れない。その精度は疑わしくもあるが、北朝鮮は同胞の拉致に対して我々が経済における制裁を行えばこの国を火の海にしてみせると豪語して憚らない。それに対してこの国は、やれるならやってみよ、その先お前たちがどうなるかを考えたことがあるのかとさえいい返すことが出来ずにいる。

 先に引いた外交専門誌からの依頼への私の答えだが、この国が三十五年先の中未来に強力な防衛国家として在るための前提に、我々は中国や北朝鮮という国際常識を欠いた国家たちとの関わりで、軍事的、あるいは経済的犠牲を甘受しなくてはならぬのかも知れない。そしてそれに耐え、それを跳ね返す力を我々は悠に備えているということを知り直すべきに違いない。

 岡崎久彦氏のかつての名言、「日本こそが眠れる獅子」であるということを我々は、我々自身の世界における相対的な位置として知り直す必要がある。この国はそろそろ、力ある獅子として起き上がる歴史の季節にさしかかっていると私は信じているが。

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