保守の源流を訪ねて

いざいざと友に盃すすめつつ泣かまほしかり醉はむぞ今夜

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本当にそう思う。「眠れる獅子」が実は日本だったということを、この十年以内に彼の国は(存続するとして)認識するだろう。

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◆終戦記念日 首相、靖国参拝せず 争点拡散を回避 中韓・公明に配慮

 小泉純一郎首相は十五日、就任以来、五度目の終戦記念日を迎えたが、平成十三年四月の自民党総裁選で公約したこの日の靖国神社参拝は、見送った。衆院選の争点を「郵政民営化」に絞りたい首相は自身の靖国参拝によって争点が拡散することを避けるねらいがあったようだ。先の大戦を想起させる終戦記念日の参拝に反発する中国や韓国、公明党などにも配慮した形だ。強硬路線を貫く郵政問題と対照的に、靖国問題では柔軟姿勢が目立っている。

 首相は十五日夜、靖国に参拝しなかった理由について、記者団に「適切に判断した結果か」と問われ、「そうですね」とだけ答えた。ただ、具体的な判断材料に関しては言及を避けた。

 「いかなる批判があろうと、(八月十五日に)必ず参拝する」

 首相就任前後には、繰り返しこう強調していた首相は十三年八月、中韓などの圧力から二日早めて十三日に参拝。その後、十四年は四月二十一日、十五年は一月十四日、十六年は元日と参拝日をずらし続けた。

 十四年の参拝時には「終戦記念日やその前後の参拝にこだわり、再び内外に不安や警戒を抱かせることは私の意に反する」とする所感を発表。伝統・習俗の色合いが濃い「正月」を選んだ十六年の参拝時には、記者団に「いつでも、(参拝は)いつがいいか考えていた」と悩ましい心情を吐露したこともある。

 今回も、自民党内には「十五日に参拝した方が支持率は上がり、選挙に有利だ」(幹部)との観測が少なくなかった。だが、衆院解散後の各種世論調査では、内閣支持率が上昇しており、有権者の間で賛否が分かれる靖国参拝を強行する必要もない。

 また、選挙協力が欠かせない公明党が「絶対に十五日は避けてもらいたい」(幹部)と、強い反対姿勢を示していたことから、政府・与党内では今年も十五日は参拝を見送るとの見方が大勢だった。

 靖国参拝について首相はかねて、「一年に一回」とし、今年五月の衆院予算委員会では「いつ行くか適切に判断する」と述べている。いずれにしろ、今年中に参拝するのはまず間違いない。

 首相は今春、周囲に「靖国で譲れば日中関係が円滑にいくなんて考えるのは間違いだ。靖国の後は教科書、尖閣諸島、石油ガス田…と次々に押し込んでくる」と漏らしていたが、最近はこんな言い方をしている。

 「(日本人の)心の問題に踏み込んだことを中国は後悔するだろう」

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◆【戦後60年】終戦記念日 還暦ニッポンを語る(3−2)「人とは共存、不便も我慢 それが国なんだ」 事実を見つめ「靖国は国内問題」と言えばいい

 櫻井 戦後の日本人は平和を守ることを重視するあまりに一切の戦争を否定し、戦争に突入した日本、あるいは日本人に対してひたすら反省を強いてきました。原爆を投下された広島に行くと、慰霊碑には「やすらかにお眠りください。二度と過ちは繰り返しませぬから」と書いてあります。犠牲者の方の霊をお慰めしたいと思って私もお参りしますが、「二度と過ちは繰り返しませぬ」というのは、原爆を落とされるような悪いことを二度としませんといっているわけですね。どう考えても、あの言葉はしっくりきません。
 小野田 ぼくも中野学校の仲間とお参りしました。仲間に「これ、誰に対して書いたの」っていいました。ぼくは、今度やるときはこんな間違った戦争しない、つまり負けるような戦争はしないって意味で書いているのだったら許しておけるわな、と話しました。そうとでも気持ちを落ち着けなければ、あれはそのまま受け止められないですよ。
 櫻井 私は、事実をよく見ないで反省する人の反省は、本物でありうるんだろうかといつも思います。事実をしっかり見つめて、因果関係も分かって、反省するのは恐らく本物だと思うのですが、事実関係の認識や認定があいまいなままで反省しても、本当の反省とはいえないのではないか。情緒的な反省は、情緒的な自己主張につながり、却って理性を忘れて戦争に走る危険性があるのではないか。外交でできることをすべてして、徹底的に戦争回避の術(すべ)を探る努力は、もっと冷徹な目から生まれるのではないかと思うのです。
 小野田 私もそう思います。戦後六十年たって戦争に関する情報はたくさんあるのです。それを見れば簡単に答えが出ると思うのですが。
                 ◆◇◆
 −−戦後から還暦を迎えた現在の日本の姿はどのように映っていますか
 櫻井 「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」といった状態でしょうか。例えば、北朝鮮に拉致されている日本人を、これほど経済力もあり、多くの制裁手段を持つ日本がどうすることもできないでいる。本当にもどかしく思います。小泉さんは「対話と圧力」と言いますが、対話はしても、圧力はかけようとしない。でも、郵政法案を否決されると、殺されてもいいという思いでやってきたと述べて解散する。拉致問題のときはどういう気持ちで交渉したのか。殺されてもいいという思いで、国民を助けることを優先させてきたならば、多くのことができたはずなのにと思えてなりません。
 国民の命を守るということより、郵政問題のほうにより死に物狂いになるとしたら、政治の根幹が間違っています。戦うときには断固戦うという姿勢は国内の政治問題でも大事ですが、対外関係における国家としての戦いの場面は最も先鋭的に認識され、対処されなければならないはずです。そういう気持ちが一番なくなっているのが今の日本だと思います。
 小野田 確かにおとなしくなったのかもしれませんね。戦争で懲りておとなしくなったのかもしれませんけれど。とにかく、戦前というとなんでもかんでも悪く言うんですね。だけど、戦前でひどいのは終戦間際のことで、昭和十二年ごろまではいい時代だったんですよ。景気もよくなっていた。そういうことはまったく言わないで、国家というものは人民の自由を束縛する悪の存在くらいにしか考えていない人もいます。国家というと、すぐ軍国主義だ、右翼だといいますが、それは違うのではないでしょうか。
 日本人は個の弱さを知らないと思います。またキャンプの話になりますが、ぼくは子供たちを一人ずつ離して夜道を歩かせるんです。だんだん怖くなってくるんですね。「なぜ、怖くなったの。死にたくないからでしょ。死んでもいいんだったら怖くないでしょ」っていうんです。向こうに人影があるとほっとする。一人というのはこんなに心細い、それが初めてわかる。「だから、人とは共存しなきゃいけない。少し不便があっても我慢しなきゃいけない。それが国なんだよ」っていうんですけどね。
 櫻井 一人で生きていけると思っていても、実は親に、社会に、国家に守られているということを認識できていないのですね。
 小野田 わがまま一方のことを言ってる人が多い。街に防犯カメラをつけるといえばプライバシーの侵害だという。だったら、空き巣に入ってもらえばいいのに、空き巣もいやだという。考えていることや、やっていることが矛盾しています。それでいて、その矛盾に気が付かない。自分がおとなしくして、事を荒立てなければすべてが安全、平和にいくんだと誤解しているんですよ。
 櫻井 時代の変化とともに新しい価値観が生まれてきたことは尊重しなければならないと思います。ただ、小野田さんの指摘なさる身勝手な考え方は占領生活の下で生まれてきた。占領が終わって独立を回復した後も、私たちは軌道修正しないでそのまま、やってきたということです。
 小野田 戦後の米国の戦略が功を奏したというか、個人主義、利己主義になってしまったから、そういうことになった。今、子供の犯罪が増えていますよね。「キレる」っていうのは、ぼくが若いころはほめ言葉だったのですが(笑い)。キレる子供たちが増えた原因は、親が子供をしからなくなったこと。社会人としての基本を、子供のうちにたたき込んどかなきゃいけないのに、それができていません。
 櫻井 今は、家庭教育が欠落した時代だといわれます。日本の家族のあり方も、倫理観も変わってきて、良い意味での家庭教育の伝統が敗戦を境にして失われてきたとつくづく感じます。小野田さんはご両親によくしかられましたか。
 小野田 よくしかられましたが、ぼくは負けず嫌いだったから「悪くない」って言い張って我を通してました。とうとう戦争も負けずに、引き分けにして終わりました。敗戦国の将校で兵器を持って自分の国に帰ったのは、ぼくぐらいのものでしょう(笑い)。
 櫻井 日本軍は武装解除されましたものね。
 小野田 僕は自分の分と戦友の分と銃を持って帰ってきましたから。だから勝たなかったけど、負けなかった。
 櫻井 日本軍は無条件で武装解除に応じましたけど、この無条件が拡大解釈されてしまった。占領軍によって日本政府全体が無条件降伏したと喧伝された。それを日本人は信じ込んで、無条件で降伏したのだから何をされてもしようがないと諦めてしまった。
 小野田 でも本当は軍事の方の無条件。国全体じゃないですよね。
 櫻井 そのことさえも戦後六十年たった今、正確にどれだけの人が知っているでしょうか。私たち日本人は過去のことを良い意味でも悪い意味でも振り返らない。
 小野田 ただ、若い人たちの中には本能的にこんなはずじゃないと思う人もいるんじゃないですか。中国や韓国に文句を言われても、こんなはずじゃないと思って調べてみると、やっぱりそうじゃなかった、と。
 櫻井 中国や韓国には日本人が嫌いという人が多くいます。その半分の責任はあちらの反日教育、誤った認識を植えつけることにあると思うんですが、もう半分の責任は私たちの国にある。事実の認定に関して間違いを指摘してこなかった、日本側の立場を主張してこなかったことにある。でも今の学生たちに、南京大虐殺の大部分は作り上げられたものだとか、東京裁判は誤りで一方的に犯罪国家と断罪される理由はないんですよ、と説明すると非常によく分かって自信を取り戻していくんです。

 −−首相の靖国神社参拝については、どうお考えですか
 小野田 小泉首相の参拝は当たり前のことなんです。惜しむらくは最初の時、八月十五日に行かなかったこと。国民との約束だから、その通りやったんだといえばよかったんですよ。最初に十五日に行かなかったから、今ではいつ行ってもいろいろ言われる。
 櫻井 中国の側の靖国批判は理が通っていない。A級戦犯は東京裁判でつくられたもので、あの裁判は間違いだとマッカーサー司令官やウイロビー中将さえも言っている。私たちはA級戦犯を罪人ととらえる必要はまったくないわけです。逆に当時の日本に対する批判を一身に浴びて処刑され、日本再生の礎となってくださった人たちに感謝をささげるのが筋です。中国はその時々の政策によって、靖国に文句を付けたり付けなかったりしているのであり、日本人は歴史の事実を見つめることに集中すればよい。靖国神社やA級戦犯の議論を日本から提起して、「中国の主張こそおかしい。靖国問題は日本の国内問題です」と言えばいいのです。
 小野田 拉致問題もそうですが、国権、主権を蹂躙されているんですよ。本当に日本という国は、国であるという感覚が抜け落ちているのかなと思います。ただ、若い人がみんなこんなはずじゃなかったと目覚めてくれると思いますよ。
 櫻井 私も若い人たちに希望を持っています。東京裁判の実態、南京大虐殺が作られていった経緯が近年の研究で明らかになってきましたから、それらを学んでいきさえすれば、日本が一方的に責められるのはおかしいと分かる。反省は日本自身がすればいい。他国から一方的に悪く言われることはないということが分かってくる。その情報を共有することで、立派に立ち直っていくことができると思います。

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◆【戦後60年】終戦記念日 還暦ニッポンを語る(3−1)小野田寛郎さん 櫻井よしこさん
信義は失ったか 若者よ目覚めよ

 八月十五日、日本は六十年目の終戦記念日を迎えた。財団法人小野田自然塾理事長、小野田寛郎さんは、その三十年をフィリピン・ルバング島のジャングルで過ごし、後の三十年はこの国を憂えてきた。保守の論客として活躍されるジャーナリストの櫻井よしこさんとともに、還暦を迎えた戦後日本について語ってもらった。(司会・東京本社編集長 北村経夫)
                  ◇
 ◆「日本民族は一度ぺしゃんこになる運命だった」
 ◆戦争を東京裁判を冷静に見直せるのが、今

 櫻井 いきなりですが、おいくつになられましたか。
 小野田 八十三歳です。
 櫻井 お若くして。六十代に見えますね。
 小野田 終戦五十年のとき、いろいろなところから話をしてほしいと頼まれましたが、「ぼくはまだ日本に帰ってきて二十年なんだ。みなさんは五十年かもしれないけど、ぼくは二十年だからまだ話せない」って断ったんです。
 櫻井 今年は六十年ですから、小野田さんの戦後は密林生活の三十年と同じ長さになったんですね。密林で日本という国を支えにして三十年暮らし、日本に戻ってきて三十年。今の日本をどうごらんになりますか。戦後生まれの私が見ても、戦後六十年で日本はかなりおかしくなったのではないかという気がするんですが。
 小野田 利己主義に走りすぎているように感じます。確かに自由は結構ですし、人権も結構なのですが、だからといって人間は一人で生きられるわけではないんです。他人がまったく目に入っていないような感じがします。日本の今の人たちに信義があるのか、とも感じています。

 −−「信義」という言葉そのものが最近、聞かれませんね
 小野田 自分の言ったことをきちんとやるのが「信」です。「義」の方は自分がやらなくてはいけないこと、本来の務めをきちんと尽くすことです。それらができない人間とは付き合ってもしようがない。裏切られるだけですから。その意味で、本当に見極めた人しかお付き合いしないっていうのが身に付いてしまっているんです。日本に帰ってきて、ますますそれが…。
 櫻井 戦後の日本人と戦前の日本人と比べて、明らかに大きな違いはございますか。
 小野田 もっと国や国民全体に緊張感があったような気がしますね。
 櫻井 一人ひとりが、自分も他者のために何かしなければならないという気概みたいなものもあったのでしょうか。
 小野田 戦後の人から見ると、単細胞が寄り集まっているという感じがするでしょう。でも単細胞なりに、みんな、ちゃんとした連帯感があったような気がします。そうでないと、国として成り立ちませんから。
 櫻井 敗戦、降伏後、日本は東京裁判で裁かれました。日本は幾多の過ちも犯したでしょうし、やったことすべてが完璧であったとは考えていません。ですが、当時の国際法や国際社会の価値観からいえば、戦争ゆえに日本は犯罪国家であると断罪されるゆえんはない。戦いに負けたために裁かれましたがそれをもって自らを卑下する必要はないと私は思っています。
                 ◆◇◆
 小野田 みなさん、「終戦の詔書」はよく口にされるんです。ところが、すべてのものは始めがあって終わりがあるのに、誰も「開戦の詔書」を口にする人がいないのがぼくは不思議なんです。なぜ戦争になったか、そのことを考えたり、きちんと話したりしません。私はいまでも「開戦の詔書」の要点は暗唱できますよ。
 櫻井 今も暗唱できるくらいに記憶に残っているわけですから、至極納得できたわけですね。当時の日本人の多くがそのように感じていたのでしょうか。
 小野田 そうですね。やむをえず戦争になるのだと。ただ、ぼくの父親は、やむをえない戦争とはいえ、「日露戦争のときはこんな甘いもんじゃなかった。このやり方では負けてしまう」って言っていましたね。
 櫻井 戦いの厳しさに対する認識や見通しが甘かったということですか。
 小野田 そうです。統制だって、父親は「初めからびしっと締めるもんなんだ。徐々に徐々にやっていたんじゃ、そんなの統制にならない。後追いばかりになる」と言っていました。

 −−小野田さんご自身は先の戦争を体験され、父親の体験から日清、日露戦争の戦い方のことまでお分かりになっていますが、どこに違いがあるとお考えですか
 小野田 明治の初めから日清戦争、日露戦争の時代は、国が立たなきゃ食われるという逼迫感があったから、個人個人がしっかりしていたと思います。ところが大正時代になってデモクラシーがあって、少し緩んでしまった。そして、そのままずるずるっと戦争にはまってしまった、という気がします。日本の歴史を振り返ってみると、日本民族っていうのはいっぺん敗れて、ぺしゃんこにならなきゃいけない、そういう運命にあったんじゃないかなと思います。
 櫻井 そして、ぺしゃんこになりました。しかし、ぺしゃんこになったままではいけないんだという気持ちが、ようやくここ数年間、生まれてきたと思います。そういう意味では、日本人が大東亜戦争全体を見直し、東京裁判そのものもきちんと見直すことができるのが、今なのです。それなしには本当の意味の戦後は築けない。
 戦後の日本は、日本人自身が四年弱の戦争の全体像を眺めることなく、敗北だけを受け入れ、敗北した国が悪い国であるという連合国側の価値観を受け入れ、その上に戦後社会を構築してきました。基礎がゆがんでいたものですから、建物もだんだんだんだん傾いてきたんじゃないですか。ゆがんだ基礎の上に正しいものは建ちません。そのゆがんでしまっている基礎を今、六十年の節目にきちんと正していかないといけないのではないか、そう思うのです。
 小野田 そうですね。時間がたてば、冷静に物事を見ることができるようにもなります。若い世代の人たちが、冷静に物事を見ることができるようになるのは時間の問題だと思いますよ。
 櫻井 佐藤和男氏の「世界がさばく東京裁判」という本があります。その中に、国際社会の司法や政治の主流は、日本を裁いた東京裁判は誤りであったと認めています。ところが東京裁判は正しい裁判であって、日本が裁かれるのはしようがないという意識が強いのが驚くことに日本だ、と書いてあるんですね。私はそのような国際社会の声をもっと日本人が知ることが大切だと思っています。実際、そのような価値観は、若い世代の人たちに幅広く存在していて、政治家の中でも、自民党も民主党も若い世代の方はそのような気持ちを抱いていると感じています。
                 ◆◇◆
 −−小野田さんは「小野田自然塾」を設立され、野外キャンプなどを通じて子供たちと接していらっしゃいますが、どのような話をされるのですか
 小野田 ぼくは子供たちに「君たち一人で生きられるか」って、よく聞くんです。「ぼくは社会とともに生きてきた。君たちも一人では生きられないんだよ」と。「一人でどんなに頑張ったって大勢に襲撃されたら、生命も財産も守れない。ブラジルじゃ、みんな身を守る道具を持っていて、となり同士が協力している。地域のコミュニティーを作っているんです。一人で生きられるなんて思ったら間違いだよ」と話しています。

 −−ご自身が体験された戦争のことも話されますか
 小野田 子供たちは好奇心旺盛ですよ。「先生、ジャングルで何を食べていたの」って。「放牧の牛だよ」って答えると、「先生、それは泥棒じゃないの」って言いますよ。「そうだよね、人のもの取ったら泥棒だよね。だけどね、戦争はダイヤモンドを持っていったって、お金を持ってたって敵は食物と交換してくれないよ。君はどうする。何も食べないで死んじゃうの。死にたくないでしょう」って。そうしたら、「そうだよね。戦争だもんね」って言います。子供たちは戦争アレルギー、敗戦アレルギーを持っていません。時と場合によっては仕方ない、と理解してくれるから話しやすい。なまじ頭の凝り固まった大人には話しても無駄です。
 櫻井 現実を見る目ということですね。現実をみないで机上の論だけだと、今の日本の論争みたいになってしまうけれど、現実を見ればどうしても戦争が回避できない場合があることも理解できる。例えば、ロンドンの同時多発テロに対して、当局が疑いのある行為をしたブラジルの青年の頭を撃ち抜いて殺してしまいました。結果は無実だったのですが、イギリス世論の70%以上がしようがなかったと認めている。日本で同じことが起きたら、正反対の世論が起きるだろうと思います。
 小野田 ブラジルでは警官がピッと笛を吹けば、みんな止まりますよ。止まらなければ、警官は撃ちます。ブラジル人なら知り過ぎていることなのですが。よほど平和な国で育ったなら別ですが、そういうものなんですよ。
 櫻井 私は、イギリスの世論が警察当局の方針を圧倒的に支持したという事実に接して、国際社会の厳しい現実を改めて痛感しました。テロリズムに対抗するにはみんなで協力をしなければならない、その場合、警官が止まれといえば止まらなければならない、あやしいと思われることをしてはならない、ということを常識として持たなければいけない。だけど日本は人権重視に傾いています。人権が大事なことは言うまでもありませんが、日本はその点で突出している面もありますね。
 小野田 戦争もそうです。アメリカのパウエル国務長官が在任中、武装勢力の拠点として(イラクの)ファルージャを攻撃したでしょう。住民にも多数の死者が出ました。それでさっそく記者が質問すると、難しい顔をして「戦争とはそういうものです」と一言いった。その通りなんです。パウエルさんは戦争というものを本当に分かっています。戦争の悲惨さは伝えなければいけませんが、ただそれだけでは十分ではないと思います。戦争とは悲惨なものである。じゃあ、戦争しないためにはどこまで我慢できるか。その我慢が切れたら結局、戦争になってしまうのです。そんなことも考えずに平和、平和っていいますが、そういう人たちは平和を守ることのつらさを真剣に考えてくれているのかな、と思ってしまいます。

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北は日本・韓国から南はインドネシア、西に行きインド・中東・イラン・中央アジア(CIS)に至るまで総人口36億。世界人口の6割を占めるが、戦後60年日本はこれらアジア諸国にどれだけの貢献をしてきたか。

戦後30年は廃墟から出発、汗水たらして働き、借金完済、後半30年はこれらのアジア諸国にダントツの援助、最近は金だけでなく、自衛隊、NGOによる人的貢献と、これらの活動をアジア諸国の心ある人々が理解せぬわけはない。

Chinaの腹に一物もニモツある悪魔の手とは質が異なる。

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◆【風を読む】論説委員長・千野境子

 この春、中国各地で行われた反日デモをはじめ険しい日中関係を世界はどう見たか、七十日間の国際メディアの報道ぶりを外務省の担当官が雑誌「外交フォーラム」九月号で詳細に分析している。

 日中を除く第三国プレスの記事二百六十三件を(1)暴力デモ以前(2)デモ発生から日中外相会談直前(3)同会談後−の三期に分け、論調の変化や特徴などを追っている。

 従来日本の「普通の国」化批判が強かった仏プレスが二期では総論中国批判、各論日本批判、第三期に入ると、喧嘩両成敗的論調は後退し、対中批判の論調が基調に−など分析自体も興味深いが、文中ちょっとイイ記事に出合ったので、さわりを紹介したい。

 《ほかのアジア諸国同様、フィリピンも日本軍により多くの国民を失った。われわれはその事実を忘れることはない。しかしかかる『歴史的犯罪』をもって、旧敵国との友好関係を育て、維持していく障害としたことはない。その理由は明らかだ。日本は敗戦後、国策として戦争から背を向け、アジアと世界のよき力となることを国の目標としたからである。…中国はとくに弱小国を中心とする他の諸国が、日本を非道徳的な国であると見ることを望んでいる。しかし、むしろ、ほとんどのアジアの国は中国が攻撃的であることの方に不安を抱いている。中国は日本から学ぶべきだ》(マニラ・タイムズ紙四月二十一日付社説)

 戦後六十年。元マニラ特派員でもあった筆者はこんな社説の登場に、ある種の感慨とともにフィリピン社会も変わったなと思う。

 世界は社説が言う「弱小国」が大多数だ。そして彼らの声は確かに小さい。しかし小国は“虫の目で”大国の言動を凝視している。大国たるもの、そのことに無神経であってはならないとも思う。

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