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これらは僕らもクレームすべきだ。ご老躯の小堀先生にこんなことを発言させてはだめだ。
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【正論】東京大学名誉教授小堀圭一郎 重ねて外務省の「歴史認識」を糾す 理解できぬこの時期のHP掲載
《選挙のタイミングに何故》
近日我が国の(中国のではない)外務省が恐るべき悪質な反日宣伝活動を開始した。
筆者はコンピューターの類を一切扱ふことのできない不器用者なのだが、以下は或る知友が外務省のホームページを開いたところ「歴史問題Q&A」といふ掲載に遭遇し、十項目に亙るその質問に対する「外務省の公式見解による回答」なるものを導き出した結果を筆者に送つてくれた、それを見て言ふことである。
第一問は、〈先の戦争に対して、日本政府はどのような歴史認識を持っていますか〉といふ形なのであるが、この問ひかけの語法と用語を見ただけで、そこに想定されてゐる質問者が中国・韓国内の専門反日活動家及びそれに同調する諸外国の反日勢力であることが看て取れる。選(よ)りによつて本年のこの時期に、いつたい何故に外務省はこの様な愚かな質問を、さあ日本政府に向けて発してみよ、と言はんばかりに国際電子空間に向けて撒き散らすのであるか。
コンピューターの画面上にこの質疑応答を捉へた人の話によると、掲載に気がついたのは八月十二日の事であるといふ。それが初出ならば八日に国会の解散が決り、九月十一日の投票日までに約一箇月の政治的空白が生ずるといふ見通しが生じた直ぐ後のことである。この異様な宣伝工作の開始に気づいてその阻止のために手を打つであらう明敏な政治家(国会議員)が居たとしても、政局の混乱を目前にしておそらくは動きが取れぬ、その隙を狙つての確信犯的工作ではないのか。
《歴史の解釈権は誰の手に》
この第一問に対する外務省の回答、即ち日本政府の「歴史認識」といふのが、〈かつて植民地支配と侵略〉によつてアジア諸国の人々に〈多大の損害と苦痛を与え〉た事を、我が国は〈痛切なる反省と心からのお詫びの気持ち〉を常に心に刻んでゐる状態なのださうである。そしてその参考として平成七年八月十五日の、あの「村山謝罪談話」と本年四月二十二日のアジア・アフリカ会議に於ける小泉首相演説の触りの部分、つまり最悪の自己毀傷(きしょう)的表現を性懲りもなく反復引用してゐる。
全て物事はその名を正しく呼ぶことが正しい理解の大前提である。この正名論から言へば〈先の戦争〉とは我々日本人にとつては「大東亜戦争」である。そしてこの戦争の性格の歴史的解釈権は我々日本人の側にある。何故に正しい名を以て我々自身の解釈を語らないのか。しかも「侵略」者の烙印を我々に灼(や)きつけたのはあの「中世的野蛮」の復活たる極東国際軍事裁判だつたのであり、この裁判の不法性は今や世界の国際法学界の定説となつてゐるといふ事態をどう認識してゐるのか。
日米戦争開始以前の日本の大陸政策については、東京裁判の実施と判決の最高の責任者であつたD・マッカーサーが、審理終了のわづか二年半後に、日本の多年の防共努力にあまりにも理解を欠いてゐたことが、アメリカの国家戦略として過去百年の歴史上合衆国最大の過誤であつたと深刻な後悔を述べた。狭義の大東亜戦争の開戦については、日本の行動は自存自衛の必要に迫られてのことであつた、と、我々の主張に深甚の同調を表明してゐるのである。
〈先の戦争〉についての歴史認識を語る上では昭和二十六年五月三日の合衆国上院軍事外交合同委員会でのこのマッカーサー証言の意味は決定的に重要である。それを取り洩らしたままで村山談話を表に振りかざすといふ外務省の心理は殆ど病的であると言はなくてはならない。
《敵視と誹謗相手への迎合》
第一問の回答に既に以上の錯乱を見せているのだから後は推して知るべしである。
「戦争被害国に公式謝罪はしたのか」、同じく「賠償はしたのか」「従軍慰安婦をどの様に考えるのか」(この設問も正名論上元来成立しないのである)「総理の靖国神社参拝は侵略の正当化ではないのか」「南京大虐殺をどう考えているのか」等々、設問自体が現に我が国を敵視し誹謗に是努める相手に向けての阿諛追従であり、それへの回答が又恥づかし気もなき誤謬と迎合の連続である。
例へば第九問の東京裁判関連への回答で、サンフランシスコ平和条約の第一一条(釈放条件規定)を「裁判の受諾」としてゐるのは完全な曲解である。ここでパール判事の名を挙げてもゐないのはマッカーサー証言にふれない欠陥と同工と言へよう。
この一問一答は、明日にも英・中・韓国語等に翻訳されて広まる可能性がある。この政治の空白期にそれを阻止する力を、我々はいつたい何処に求めたらよいのか。(こぼり けいいちろう)
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