保守の源流を訪ねて

いざいざと友に盃すすめつつ泣かまほしかり醉はむぞ今夜

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◆【主張】戦後60年決議 10年の劇的な変化を無視

 戦後六十年の決議が衆院本会議で採択された。抽象的な文言に終始し、重要な節目を迎えた国の立法府としての決意が伝わってこない。

 決議は歴史認識について「わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、改めてすべての犠牲者に追悼の誠をささげる」としている。

 十年前の平成七年六月、自社さ政権下の衆院で、新進党欠席のまま、議員数の半数にも満たない賛成で可決された戦後五十年の「謝罪・不戦決議」には、「植民地支配」や「侵略的行為」との表現があった。今回の決議には、そのような一方的な歴史認識の表現はなく、この点は評価されてよい。

 しかし、その代わりに、「十年前の『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』を想起し」という文言が加えられた。「植民地支配」や「侵略」の言葉を入れるべきだとする野党と、これに反対する自民党との妥協の産物である。依然として、社会党出身の村山富市首相時代の歴史認識から脱却できていないといえる。

 この十年で、日本を取り巻く国際環境は大きく変わった。

 平成十年、北朝鮮がテポドンを発射し、十一年には、北の工作船の領海侵犯による自衛隊初の海上警備行動が発令された。二〇〇一(平成十三)年の米中枢同時テロ以降は、日本の自衛隊も国際テロ撲滅の一翼を担うようになった。さらに、平成十四年九月、金正日総書記が拉致事件を認め、北の国家犯罪が白日の下にさらされた。

 国家意識が希薄になりがちだった戦後の日本人も、「国家」や「主権」を意識せざるを得ない状況が生まれた。だが、今回の戦後六十年決議は、こうした十年間の変化を、ほとんど考慮に入れていない。

 相変わらず、「世界連邦実現」「人類共生の未来」といった地球市民的な理念が書き連ねられている。これでは主権国家としての意志がはっきりとせず、何も言っていないのに等しい。この戦後六十年決議に、自民党の安倍晋三幹事長代理や拉致議連会長の平沼赳夫氏らは途中退席したが、その行動にはうなずけるものがある。

 国権の最高機関として、あまりにも空虚で現実味に乏しい決議である。

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「戦後60年決議」は以下のように改正すべきである。
 【戦後60年決議 改正案】
 国際平和の実現は世界人類の悲願であるにもかかわらず、地球上に戦争等による惨禍が絶えない。戦争やテロリズム、飢餓や疾病、地球環境の破壊等による人命の喪失が続き、核兵器等の大量破壊兵器の拡散、中国の軍事大国化も懸念される。北朝鮮のわが国民拉致事件も依然全く解決されていない。
 このような国際社会の現実の中で、本院は戦勝国側連合が創設以来六十年にもわたり、国際平和の維持と創造のために何の力も発揮できず徒に膨大な予算を費消し、特にアジア・アフリカ諸国国連大使の母国生活レベルを省みない贅沢三昧に遺憾の意を表明、わが国分担金を大幅に削減することを表明する。
 われわれは、十年前の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」をここにあらためて廃棄し、わが国が戦後60年にわたり主要国の中で唯ひとつの紛争も起こさなかったことを想起し、主要国との連携を更に強化し世界平和のために貢献することを宣言するものである。
 政府は、日本国憲法を早急に改正の上、恒久平和の理念のもと、世界の平和を愛する諸国家と手を携え、あらゆる紛争の回避、持続可能な人類共生の道を切り開くための最大限の努力をすべきである。

◆衆院 戦後60年決議採択 50年決議踏襲 安倍氏ら反発、退席

 国会は二日の衆院本会議で、戦後六十年にあたり国際平和構築への貢献を誓う決議を、共産党を除く自民、公明、民主、社民四党の賛成多数で採択した。しかし、十年前に村山政権下で採択された「戦後五十年決議」を踏襲したものであることから、自民党内には異論が生じ安倍晋三幹事長代理、平沼赳夫元経産相らが決議直前に退席。野党側にも「五十年決議より謝罪色が後退した」との不満がくすぶった。

 決議は「わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、改めてすべての犠牲者に追悼の誠をささげる」とした。また、政府に「唯一の被爆国として核兵器の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦の実現への道の探究などに最大限努力すべきだ」と求めている。

 この決議は「会期内に広島、長崎の原爆の日を迎えるので、衆院の決意を示したい」という河野洋平衆院議長の強い意向を踏まえ、議院運営委員会を中心にとりまとめたものだ。

 しかし、民主党は「五十年決議から後退した内容だ」(民主党幹部)と反発。原文に「十年前の戦後五十年決議を想起し」との表現をねじ込んだ。二日午前の同党役員会でも、「『侵略的行為』や『植民地支配』などの表現を盛り込むべきだ」との声が相次いだ。

 自民党は二日午前の総務会で決議案を異論もなく了承した。ところが決議案の内容が事前にほとんど知られていなかったこともあり、議場では一部議員が反発。退席した平沼氏は「国論を分けるようなことを決議することに疑問をもっている」とし、同じく古屋圭司衆院議員は「世界連邦など党内議論がない概念まで決議に盛り込まれており賛同できない」と説明した。

 若手数人も起立せず、採決を拒否した。このうち古川禎久衆院議員は本会議直前に議院運営委員会委員を辞任した。
                  ◇
 【戦後60年決議 全文】
 国際平和の実現は世界人類の悲願であるにもかかわらず、地球上に戦争等による惨禍が絶えない。戦争やテロリズム、飢餓や疾病、地球環境の破壊等による人命の喪失が続き、核兵器等の大量破壊兵器の拡散も懸念される。
 このような国際社会の現実の中で、本院は国際連合が創設以来六十年にわたり、国際平和の維持と創造のために発揮した英知と努力に深く敬意を表する。
 われわれは、ここに十年前の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を想起し、わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、改めてすべての犠牲者に追悼の誠をささげるものである。
 政府は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念のもと、唯一の被爆国として世界のすべての人々と手を携え、核兵器等の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への道の探究など、持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである。

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◆【戦後60年 歴史の自縛】(2)総辞職前日の慰安婦談話 裏付けなく認めた強制連行

 日本の「謝罪外交」を決定的なものにした「村山首相談話」に至る道筋を開いたのが宮沢喜一政権だ。
 宮沢内閣が政治改革関連法案の処理に失敗し、最終的に総辞職する前日の平成五年八月四日。
 官房長官、河野洋平は慰安婦問題に関する談話を発表した。「慰安婦の募集は、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、官憲などが直接これに加担したこともあった」とし、「総じて本人たちの意思に反して行われた」との内容で、募集段階で慰安婦の強制連行があったことを政府として認めたのだ。
 慰安婦問題に火がついたのは、宮沢政権発足間もない平成三年十二月、「従軍慰安婦」だったという韓国人女性が日本政府を相手取り、謝罪と損害賠償を求める訴えを起こしたのが発端だ。
 これを機に朝日新聞など一部メディアが「従軍慰安婦問題」キャンペーンを展開。吉田清治という人物が「済州島で軍の協力で慰安婦狩りを行った」と告白した。だが、この告白は後に、現代史家の秦郁彦らが現地調査し、「極めて疑わしい」ことが明らかになった。だが、当時は、真偽不明の慰安婦情報がマスコミをにぎわし、韓国政府も世論に押されて日本政府に元慰安婦からの聞き取りなど真相究明を求めてきた。
 元官房副長官の石原信雄は、「弁護士のTらが韓国で火をつけて歩いた。どうしてそういうことをやるのか、今でも腹が立って仕方がない」と振り返る。
 河野談話発表に至る調査はずさんだった。
 七月二十六日、元慰安婦十六人のヒアリングをソウルで開始した。
 「聞き取りの結果、自分の意に反して慰安婦にされたのは否定できない。その点は認めざるを得ないという結論に至った」(当時の関係者)
 だが、得られたのは証言だけ。物証はなく、裏付け作業もされず、聞き取り終了から五日後に河野談話が発表された。国会開会中を理由に取材に応じなかった現衆院議長の河野に代わって、石原はいう。
 「官邸内でも国の名誉がかかるだけに意見はいろいろ出たが、内閣としてまとめた以上、弁解しない。私にも責任がある」
 韓国側は談話に慰安婦募集の強制性を盛り込むよう執拗に働きかける一方、「慰安婦の名誉の問題であり、個人補償は要求しない」と非公式に打診してきた。日本側は「強制性を認めれば、韓国側も矛を収めるのではないか」との期待感を抱き、強制性を認めることを発表前に韓国側に伝えた。ジャーナリスト、櫻井よしこは、日本政府の対応を「韓国側とのあうんの呼吸以上の確信を日本側が抱いたのではないか」と推測する。
 「誠意を尽くす」という内閣の意思で発表された談話だったが、日本政府が募集に直接関与し、韓国人女性を強制的に慰安婦にしていたかのように国内外で都合よく利用され続けている。
 石原は「談話は日本政府の指揮命令の下に強制したことを認めたわけではない」と明言した上で、韓国政府の対応を批判する。
 「韓国政府の言い方は今ではまったく違った形になっている。心外だ」
                  □  □  □ 
 河野談話にも前段があった。
 平成四年一月十三日。慰安婦問題をめぐり、政府は初めて、慰安所設置に関して旧日本軍の関与を認める官房長官談話を発表した。主役は加藤紘一だった。
 「現に(当時の)軍が関与したんだから。それを否定しなければならないの? 事実をちゃんと認めるのは、やむを得ないのではないか」
 加藤は、慰安所で軍が関与した料金表などが資料として見つかったことを根拠にしたという。
 「私が長官の時はどうやって慰安婦を集めたか、危ない集め方はあったらしいというところまで。ただ、軍がある種の経営をしていたことは事実だ。石原副長官も私に『謝りましょう』と言ってきた」
 三日後に宮沢の韓国訪問が控えていた。関係者によると、外交問題となりつつあった慰安婦問題を首脳会談で主要議題としないため、先方への「手土産」として談話作成が決まったという。懸案を取り繕ったつもりが、問題はさらに増幅したのだ。

≪発端は教科書検定での譲歩≫
 宮沢と河野は、日中関係の節目で、中国に有利な決定を下してきた。
 歴史認識問題の発端になったのが、昭和五十七年の教科書問題だが、ここでも宮沢が大きな役割を果たした。
 同年十一月、文相の諮問機関が「教科書検定基準に近隣諸国との友好・親善に配慮した項目を新設する」との答申をまとめた。いわゆる「近隣諸国条項」だ。
 これは、八月二十六日、鈴木善幸内閣の官房長官だった宮沢が発表した四項目の「宮沢談話」がもとになっている。鈴木が訪中するちょうど一カ月前のことだった。
 「アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上で、日本の学校教育、教科書検定に対する中国、韓国の批判に十分耳を傾け、政府の責任において是正する」
 「今後の教科書検定に際しては、検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する」
 六月、教科書検定によって「侵略」が「進出」に書き改められたとマスコミが一斉に報じる誤報事件が発生。これに中国、韓国が反応、問題が一気に拡大した。
 宮沢談話が発表される三時間前の八月二十六日午後一時。自民党文教部会長だった石橋一弥は、自民党文教族の有力者、三塚博とともに、自民党本部に呼ばれた。
 幹事長室には幹事長の二階堂進ら党三役と官房副長官、池田行彦が待ち構え、池田が一枚のコピーを配った。
 「部会長、どう思われますか」という池田に、石橋は「『これではダメだ』と言ってもよろしいでしょうか」と応じた。
 だが宮沢談話はすでに外交ルートを通じて中国、韓国に通告したと、池田が明かした。納得のいかない石橋は、「是正とは何だ。今までの検定が悪かったと認めるようなものではないか」と食い下がったが、すべては後の祭りだった。
 文部省に向かった石橋は、事務次官、三角哲生の前で、「残念だが、時すでに遅しだ」と悔し涙を流した。
                  □  □  □
 河野は、旧日本軍が中国に残したとされる遺棄化学兵器の処理問題にも深くかかわった。遺棄化学兵器の処理は平成九年四月に発効した化学兵器禁止条約(CWC)に基づく処置だ。日本は五年一月に署名し、七年九月に批准した。CWCは化学兵器の使用や開発、製造や貯蔵を禁止する条約だが、中国の強い希望で遺棄化学兵器の「廃棄条項」(第一条三項)が盛り込まれた。中国での旧日本軍の残留兵器以外は世界で「遺棄」を認めている国はなく、事実上の「日本専用条項」といえる。河野が官房長官の時に署名し、外相時代に批准した。
 旧日本軍の化学兵器は、ソ連軍や中国軍に武装解除されて引き渡した武器の一部。所有権は中ソ両国にあり、中国のいう「遺棄兵器」には当たらないとの見方が政府内にもあった。
 だが、河野は武装解除で引き渡されたことを証明する書類がないことを理由に、日本による化学兵器の処理を推進した。
 十一年七月三十日に締結した日中の「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」では、日本が処理費用をすべて負担し、将来の事故も日本が補償する内容となった。日本側代表は駐中国大使の谷野作太郎。そして、中国の言い分をほとんど受け入れた外交のつけが今また、国民に大きな財政負担を強いようとしている。償還が前提の円借款と異なり、無償援助であり、総額も確定していないのだ。
 日本国際フォーラム理事長の伊藤憲一は、遺棄化学兵器処理問題について、「日本の対中外交の典型だ。遺棄兵器の管理責任は本来、旧日本軍から武装解除で引き渡しを受けた中国、ソ連が負うべきであり、そういう議論をきちんとやるべきだった」と指摘する。さらに、「当たり前のことを協議で詰めもせずに『賠償金を払っていないから』ということで中国に巨額資金を垂れ流すのであれば、あまりに安易な外交だといわざるを得ない」と批判している。(敬称略)
                  ◇
 ■河野談話(慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話)要旨
 調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接、あるいは間接にこれに関与した。当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 (平成5年8月4日)
                  ◇
 ■加藤談話(慰安婦問題に関する内閣官房長官談話)要旨
 今回発見された資料や関係者の方々の証言やすでに報道されている米軍等の資料を見ると、従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できないと思う。この機会に改めて、従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい。
 (平成4年1月13日)

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結果的に自社さ政権は国の道を誤らせることとなった。もっと言えば細川護煕というタレント議員を担ぎ出した小沢一郎さんの責任は重いことになる。

◆【戦後60年 歴史の自縛】(1)内閣改造直後に突然「村山談話」 少数で決めた「侵略」の謝罪

 戦後、六十回目の八月十五日がやってくる。「一億総懺悔」から出発した日本人の戦争への反省は、いつしか謝罪へと変わった。だが、中国と韓国は、歴史認識問題を対日カードとして使い続けている。終わりなき「謝罪」はどのようにして始まったのか。戦後六十年、日本を自縛してきた「亡霊」の正体を検証する。
                  ◆◇◆
 四月十七日。元首相、村山富市は京都御所内に完成した京都迎賓館の完成披露式典で、首相の小泉純一郎と顔を合わせた。
 「インドネシアでAA会議(アジア・アフリカ首脳会議)があるので、今、『村山談話』を読んでいるところです」
 にこやかに声をかけてきた小泉に、村山は「ああ、そうですか」とだけ答えた。村山には、小泉の靖国神社参拝で日中関係が悪化しているとの思いはあったが、あえて口にはしなかった。
 五日後、小泉はAA会議で「村山談話」を引用して頭を下げ、多くの首脳を驚かせた。
 四月、中国全土で反日デモの嵐が吹き荒れた。国家主席、胡錦濤との日中首脳会談を前に、先の大戦について「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を盛り込んだ村山談話を踏襲する姿勢を明確にすることで、日中関係改善のきっかけをつかみたいとの思惑が、小泉にはあった。
 だが、AA会議翌日の首脳会談で、胡は、反日デモによる被害への謝罪はせず、逆に「歴史を正しく認識し対処するために、反省を実際の行動に移してほしい」と靖国神社参拝中止を求めた。先の大戦への謝罪を明確にした村山談話は何の効き目もなかった。
 平成七年八月十五日、村山はアジア諸国に向け日本の「侵略」と植民地支配に関する痛切な反省と謝罪を柱とした首相談話を発表した。
 この二年前の八月十日、朝日新聞記者出身の細川護煕は首相就任後、初の記者会見で、日本の戦いを「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と発言、遺族会などから激しい反発を受けた。細川以前の自民党政権は、戦時中の日本の行為について「深い反省と遺憾の意」を表明しても「お詫び」という表現は注意深く避け、欧米によるアジアの植民地支配に終わりを告げさせた側面をも否定する「侵略戦争」という用語は決して使わなかったからだ。
 熊本の旧陸軍教育隊で終戦を迎えた村山は、平成六年六月、自民、社会、さきがけ三党連立政権の首相に就任した直後から、「アジア各国に対する過去の清算」を「内閣に課せられた歴史的役割」と考えていた。
 「『戦後』は終わるもんか。一応のけじめをつけようという程度の話じゃ。戦後がこれで終わるなんておこがましいことは言わんよ」
 今年、八十一歳の村山は、大分市内の自宅で当時の心境をこう語る。
 談話発表まで村山と官房長官、故・野坂浩賢は周到に作戦を練った。日米安保条約堅持と自衛隊容認に踏み切り、支持層が離れた社会党にとって戦時中の日本の行為を非難する「五十年談話」は“社会党政権らしさ”を示す譲れぬ一線だった。
 七年六月、連立政権発足時の約束だった「謝罪・不戦」を柱とした戦後五十年国会決議が衆院本会議で採択されたが、自民党から大量の欠席者が出た。この轍を踏まず、「植民地支配と侵略」の文言を盛り込むにはどうすればいいか。野坂は決意を秘めていた。
 「異議を申し立てる閣僚がいれば、内閣の方針に合わないということで即刻、罷免するつもりでいた」(野坂著「政権と変革」)
 八月十五日午前。閣議室の楕円形のテーブルに着席した閣僚を前に、野坂は「副長官が談話を読み上げますので謹んで聞いてください」と宣言した。古川貞二郎は下腹に力を入れて読み上げ、閣議室は水を打ったように静まり返った。野坂が、「意見のある方は言ってください」と二度、発言を促したが、誰も発言しなかった。
 総務庁長官、江藤隆美は「閣議で突然、首相談話が出てきて仰天した。(反対と)言っても始まらないと思って黙っとった」と振り返る。
 内閣改造から一週間しかたっていなかったことも村山に幸いした。
 運輸相として初入閣した平沼赳夫は、「事前の相談はまったくなく、唐突に出た。社会党出身とはいえ、何でこんなの出すのかな、と思った」と話す。「ちょっと問題のある文章だなと思ったが、あえて発言しなかった。今思えば率直に思ったことを言っておけばよかった」と悔やむ。
 こうして談話は異議なく閣議決定され、村山自身が記者会見して発表した。だが、記者の「『国策を誤った』政権とは具体的にどの政権を指すのか」という問いに村山は答えられなかった。談話は有識者による議論も経ず、ごく少数の政治家と官僚がかかわっただけで、歴史認識を内閣あげて討議して練り上げたものではなかったからだ。
                   ◇
≪中韓へ正当性与える結果に≫
 ◆「東京裁判史観を基に個人的な思い」
 村山談話について村山は、「みなさんと相談してつくった」と強調する。だが、実情は違う。
 当時、内閣副参事官として談話の原案を起草した民主党参院議員の松井孝治は、「政策的に思い切ったアイデアを企画する場合、官邸スタッフが『少数ならでは』の思わぬ効果を上げる場合がある」とした上で、「首相側近の大物官僚が村山の意向をくみとり、週末に親しい学者と相談して書き上げた」とごく少数の官邸スタッフが携わり、極秘裏に案文づくりが進んだことを認めている。
 大物官僚とは、内閣外政審議室長(現・内閣官房副長官補)で、後に駐中国大使となった谷野作太郎だ。
 谷野は、「(アジア諸国の人々に対し多大の損害と苦痛を与えたという)歴史の基本的ラインを曲げてはいけない、開き直ってはいけないと思った」と証言する。ただし、中国や韓国が「謝罪が十分ではない」と批判していることについては「謝罪は十分したし、卑屈になる必要はない」と語った。
 松井はこう振り返る。
 「自分が起草した文章が谷野さんに直されてガラリと変わった。賛否両論はあるが、『国策を誤り』などという表現は胆力がなければ書けないし、味も素っ気もない“官庁文学”では作成し得ない出来栄えだ」
 自民党で事前に案文を見せられたのは、通産相の橋本龍太郎、野中広務らごく一部。橋本は「『終戦』を『敗戦』にすべきだ」とアドバイスしただけだった。
 自社さ政権下で生まれた村山談話を、明星大学教授の高橋史朗(占領史研究)は、「明らかに『東京裁判史観』に基づくものだ」と批判する。「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」とする部分は、東京裁判の論理に合致すると分析。高橋は「東京裁判史観は、戦前の日本の歴史を抹殺しようとした連合国軍総司令部(GHQ)とマルクス主義歴史学者たちの合作。その延長線上に村山談話がある」と指摘する。
                   ◇
 村山談話の反響は大きかった。英BBCは「日本の首相が侵略におわび」とトップニュースで伝え、ニューヨーク・タイムズも一面トップで報じた。だが、村山が期待した中国、韓国の反応は「今後の日本の態度に注目する」といった冷淡なものだった。
 逆に、村山談話はその後の日本外交に大きな足かせとなった。当時の官房副長官、古川貞二郎は「過去だけでなく未来志向にも重点を置いたもので、その後の政権の基調となっている」と評価するが、「未来志向」は日本の片思いに終わった。
 村山談話によって日本が「侵略」を認めたとされ、中国、韓国の歴史認識カードに都合の良い「正当性」を与える結果を招いた。
 今年三月一日、韓国・ソウル市内で開かれた「三・一抗日運動」の記念式典。大統領の盧武鉉は、村山談話の「痛切な反省と謝罪」を引用、韓国政府が対日賠償請求権を放棄した昭和四十年の日韓基本条約を覆すかのように、「(日本は)賠償すべきは賠償しなければならない」と発言した。
 当時の外務官僚の一部が懸念していた「戦後補償問題はすでに解決済みなのに、個人的な思いだけで首相が謝罪すれば、補償問題が再燃しかねない」との指摘が現実のものとなった。
 それでも村山は言う。
 「『あんな談話を出したからいつまでも謝らなければいけない』という者があるかもしれんけどな、それは言う人の勝手じゃ。談話は読めば分かる。それ以外の何ものでもない。僕自身は誤ったことをしたとは思っていない。あれで良かったと思っている」(肩書は当時。敬称略)
                  ◇
 ■天皇陛下は「謝罪」に踏み込まず
 天皇陛下は平成四年、中国をご訪問された際、「わが国が中国国民に多大の苦難を与えた一時期」という踏み込んだ表現をされた。
 昭和五十三年、中国のトウ小平副首相が来日した際、昭和天皇は「一時、不幸な出来事もありました」と述べられたが、中国側は反発を示さなかった。中ソ対立が続いていた当時の世界情勢も大きく影響しており、冷戦崩壊後の平成四年の天皇陛下のお言葉とはニュアンスが大きく異なる。
 ただ、強い遺憾の意を表明しつつも直接的な謝罪の表現を避けたのは、天皇陛下のご訪中が国内の慎重論を押し切った上で実現した経緯から、「陛下にご負担をおかけしてはいけない」(宮沢喜一首相)という日本政府の方針があったからだ。

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