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日本文化の発信性は理解している積もりだが、「英語を話すサル」には発信してもらいたくない。少なくとも日本人としての「人格」、国を背負う「責任感」と「母国語」に対する愛情を持った人に、外国暮らしをしてもらいたい。 ◆【紙面批評】インターアクト・ジャパン社長 帯野久美子 「英語を話すサル」はいらない 四月。桜前線が列島をゆっくりと北上している。今年も美しい季節がやってきた。満開のさくらは私たちに日本の精神をも思いださせてくれる。 世界は日本の精神をどうみているのか? 多摩大学学長の中谷巌氏は「『花見』の楽しさに気づいた西洋人」と題する「正論」(八日)で、こう語っている。「最近、花見に限らず、日本文化が世界的に見直されている」。日本食しかり、アニメしかりで、日本製品の評価が高いのも、「職人気質や花鳥風月を愛でる文化的伝統が普遍的な価値を持つものとして認められている証拠である」と。 ≪何を指導したのか≫ 氏はまた文化を吸収する側から発信する側に回ろうとしている今、「日本文化の本質が何であるのか、われわれ日本人自身がより明確にする必要があるだろう」と述べ、最後に日本の教育も文化「吸収型」から文化「発信型」に転換していかなければならないと、グローバル時代の教育のあり方を示している。 一方、前日(七日)の「正論」では、国際教養大学理事長・学長の中嶋嶺雄氏が、教育機関として日本の大学が国際レベルを大きく下回っていることを指摘。その最大の原因として一九九一年の大学設置基準の改定で、大学の学部から教養教育が消えたことを挙げている。確かに日本の大学では英語教育や教養教育にこれといった指針もないのがほとんどだ。大学の国際化など二十年前から叫ばれてきたというのに。文科省は何を指導してきたのだろうか。 英語教育をめぐっては先月二十七日、中央教育審議会の外国語専門部会が、小学校五年から英語を必修化すべきだとの報告書をまとめた。九割以上の小学校でなんらかの英語活動が導入されていることや、保護者の七割が必修化に賛成していることなどが理由に挙げられているが、これに対して産経では国語力の低下を心配する記事が目立った(三月二十九日主張など)。 二十九日の「産経抄」も、英語の強制をやめるべきだという改革試案を発表した平泉渉参院議員に対し、上智大学教授の渡部昇一氏が猛反対したという昭和四十九年の「英語教育大論争」を例にとり、「今こそ平成の英語教育大論争が必要ではないか。必修化はそれからでも遅くない」と説いている。 しかし、大切なことは言葉の力よりも何を発信するのか、その中身だ。作家の塩野七生氏が言うには、外国語という道具を手にする前に習得しておくべきことは三つ。まずは「一般教養で育成された人格」、つぎに「自分の言に責任をもつ習慣」、そして「完璧な母国語」で、これができないと「英語を話すサル」になってしまう(「ローマの街角から」)。実際、いくら英語を話せてもアイデンティティーを持っていない人は国際社会では尊敬されていない。 ≪軍国主義は時代錯誤だ≫ アイデンティティーを育む上で大切な「愛国心」の表現をめぐっては、与党間で意見が割れていた。自民案の「国を愛するこころ」と公明案の「国を大切にするこころ」。たった三文字の違いでも現行法の「教育は不当な支配に屈することなく−」という文言が国旗・国歌の反対運動に利用されてきたことを考えれば、極めて重要な問題だ。 結局、与党の教育基本法改正検討会は「国と郷土を愛する(態度)」で合意した。まさに自公妥協の産物で、愛国心を教えることにこれほど議論を要する国も珍しいが、なぜそれが軍国主義につながっていくのか、時代錯誤もはなはだしい。 国を愛するこころもなく、国旗も見上げず、国歌も歌わない。私たちはこんな若者を国際社会に送りこもうとしているのか? 「英語を話すサルなどいらない」。通訳会社の社長としては、これだけはハッキリと言っておきたい。(大阪本社発行最終版による) Copyright; 2006 The Sankei Shimbun
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2006年04月17日
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