【正論】社会学者・加藤秀俊 「常用」に縛られず漢字は自由に 漢字の種類がいくつあるのか、だれにもわからない。5万ともいうし10万ともいう。15万、という学者もいる。不便といえばまことに不便である。しかし、漢字は大陸で発明され、これまで数千年にわたってつかわれてきた文字であり、いまなお生きている文化財である。不便だから、といってこれを捨てるわけにはゆかない。
≪強制力のない最低限の目安≫
それでも何万というのはいくらなんでも多すぎる。だから、このなかからいくつかをえらんで共通の基礎知識にしようではないか、というのはもっともなことである。この秋から29年ぶりで改定され2136字をさだめる「常用漢字」はそのこころみのひとつである。まあ、このくらいは読めるようにしておこう、というのがその趣旨で、小学校の「教育漢字」、中学校での漢字もこれに連動することになるから、ちょっと教育文化がかわる。
それはそれでよい。しかし、文化庁がこうして「常用漢字」をさだめるのは、あくまでも「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送等,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示す」ためのもので、べつだん強制力をもつものではない。ちょっと語弊があるかもしれぬが、たとえていえば、それは人間の身だしなみにおける肌着のようなものだ。最低このくらいは着ていないとみっともない、という「目安」である。その上にセーターを着ようと、靴を履こうと、あるいはアクセサリーをつけようと、すべて自由。
≪「まぜ書き」気にせぬ放送局≫
漢字もこれとおなじ理屈で、必要なときには適切な漢字をどんどん使ったらいい。完全な自由化をしたらよろしいのである。なんの気兼ねがあるものか。文化庁はべつだん漢字取り締まりの警察じゃあるまい。当の文化庁も「(この表は)科学,技術,芸術その他の各種専門分野や,個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」と注記しておられる。特定の漢字が「常用漢字表」に入っていない、とか入れるべきであるとかは天下の一大事ではないのである。
だからたとえば「蹄」という漢字が「常用漢字表」に入っていなくても、新聞雑誌はためらうことなく「口蹄疫」と表記する。ところがトンマな放送局があって「口てい疫」と「まぜ書き」の字幕をだす。あの放送局は肌着以外の着衣をしないのが優等生だと錯覚しているのだろうか。まことにおろかしいことである。漢字はもっと自由につかい、書いたらよろしい。
それに、漢字問題のいくつかはすでに解決されている。たとえば現代の技術は漢字をコード化して1万ちかくの漢字を瞬時にして呼び出すことに成功した。文選工(ぶんせんこう)という熟練した職人たちが活字の棚を飛びまわって文字を拾う時代はおわったのである。漢字制限どころか、現代技術は漢字の自由使用を可能にしてくれたのだ。
もちろん、わざわざむずかしい漢字をつかう必要はない。できるだけ漢字はすくないほうがいい。だいたい日本語という言語はおおむね「和語」つまり「やまとことば」で表現できるのだから、ふつうの文章はかな文字だけで間にあう。だが、漢語、あるいは音読みが必要なときには堂々と漢字を使用したらいい。
むずかしい漢字は読めない、わからない、書くことができない、どうしてくれる、といったことをいう人がいるが、バカも休み休みいいなさい。わからなければ辞書をひけばよろしい。辞書はそういうときのためにある。
≪むずかしいばかりの公文書≫
おかしなことはほかにもある。さきほど引用した文化庁の文章のなかの「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送等」とある部分をみただけでも賢明な読者ならおわかりのように、句読点が気になる。横書き公文書での句読点は、法令によって「,.」とすべし、とさだめられている。「、。」ではないからだ。ちょっと常識はずれではないか。
なによりも、文化庁は勝手に「法令,公用文書」と「新聞,雑誌」などを同列にならべておられるが冗談じゃない。お役人の公的文書と新聞記事とのあいだには天地雲泥の差がある。たとえば、あの「子ども手当」。この法律の条文をみると、この手当をうけることができるのは「子どもを監護し,かつ,これと生計を同じくするその父又は母」や「父母に監護されず又はこれと生計を同じくしない子どもを監護し,かつ,その生計を維持する者」うんぬん、とある。
わからないなあ。だが、これを「一般の社会生活」の「国語」に翻訳すれば、「こどもといっしょに暮らしている親」「親がわりになってこどもの面倒をみている人」ということである。それだけのことをわざわざむずかしくするのが「法令,公用文書」なのだ。
わたしの文章だって、こんな「法令」の悪文と並記されるのは迷惑千万。わたしとしては「個々人の表記」の自由を享受して、ちっとはマシな日本語で書きたいとねがっているところなのである。(かとう ひでとし) |
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2010年08月20日
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