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まさかこのブログをご覧になったからでも無かろうが、安倍さんにお詫びしたと。
お年の方に申し上げるのもつらいが、この軽さは、もう見にくいとしか言いようが無い。
過去経団連会長にはそれなりの人物がいた(筈だ)。大局を見る目、透徹した歴史観、言うべきことは言う度胸、これら全てにおいて、問題があるようだ。
あまつさえ、安倍さんは今、全マスコミ、repeatオールマスコミを敵にして孤軍奮闘しているのだから。
経団連会長が安倍氏に陳謝=「批判は誤解」 経団連の米倉弘昌会長は12日、自民党の安倍晋三総裁に電話し、安倍氏が主張する
金融緩和強化を「無鉄砲だ」などと批判したことを陳謝した。安倍氏が明らかにした。
米倉氏は自身の発言について「真意は安倍総裁の経済政策への批判ではない。
私は全面的に安倍総裁の経済対策を支持しており、誤解されて報道された。
迷惑をお掛けして申し訳ない」と釈明。
安倍氏は「選挙中でもあり、慎重にご発言いただきたい」と注文を付けた。
安倍氏が消費増税に関し「経済好転が条件」との考えを示していることに対しても、 米倉氏は「総裁としてふさわしい発言か」と疑問を呈していた。(2012/12/12-20:34) |
保守の源流を訪ねて
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多分同じ記者会見での発言と思うが、読者はどう思われるだろうか。
「経済成長に見通しがつけばやるべきだが、(今後も継続して)マイナス成長だったら、やるのは厳しい状況だ。」という安倍さん発言。
「何がなんでも上げるというわけではない。景気動向をみたうえで」という会長発言、この二つは同一人物の発言とみても、不自然では無いと思うが。 それでも「もっと力強く、消費税を上げて経済も活性化するんだという意気込みを見せてほしい」といったところから、ああ、この会長、経済が全く判っていないなと思われるのが関の山。
経団連会長「マイナス成長での増税は厳しい」 経団連の米倉弘昌会長は10日の定例記者会見で、内閣府が同日発表した7〜9月期の国内総生産(GDP)の改定値が実質で2四半期連続のマイナス成長となったことに関連し、2014年4月の消費増税について「経済成長に見通しがつけばやるべきだが、(今後も継続して)マイナス成長だったら、やるのは厳しい状況だ。綱渡り的で大変な状況にきている」との認識を示した。
(2012年12月10日18時26分 読売新聞)
米倉経団連会長、安倍氏にかみつく 消費税増税への慎重発言に「自民党総裁としてどうか」(産経)2012.12.10 17:53
経団連の米倉弘昌会長は10日の会見で自民党の安倍晋三総裁が9日のテレビ番組で消費増税に対し「何がなんでも上げるというわけではない。景気動向をみたうえで」と消極姿勢をみせたことに「自民党総裁としてふさわしい発言か」と苦言を呈し、「もっと力強く、消費税を上げて経済も活性化するんだという意気込みを見せてほしい」と注文した。 また環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉への参加表明をしていない野田佳彦首相にも「日本だけがモタモタしている。がんばってもらいたい」とエールを送った。 |
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がれきと化した町並みに黙礼される天皇、皇后両陛下=4月27日、宮城県南三陸町(AP、4月28日付本紙1面掲載) 何度見ても、何度見ても、このお姿には涙を禁じ得ない。
竹本氏言われるように、天皇皇后、両陛下のこの「祈り」とは何であるのか、われわれ日本人は今更ながら深く思いを致すべきではないか。
そして日本人がその始原から持っていた精神の高貴さをもう一度取り戻すために。
両陛下の祈り 「なぜか」への至上の答え 文芸評論家・竹本忠雄
2011.5.9 10:33
4月28日付の本紙1面に私は大きな衝撃を喫した。
天皇皇后両陛下が、畳なわる瓦礫に向かって黙祷されるお姿に−。
衝撃は、この写真の左側に載った「迷惑をかけない日本人」という記事とのコントラストで倍加した。ソウル支局長、黒田勝弘氏のリポートで、そこで投げられたある問いに対して両陛下のご姿勢以上に絶妙の答えはありえないと思われたからである。
黒田氏は、いま外地でも評判の、なぜ被災地の日本人はかくまでも「冷静で秩序正しい」のかとの疑問を取りあげ、韓国人の間では「諦念」「遠慮」といった評語まで飛びかっていると伝えている。
これまでにもメディアは諸外国でのこの「なぜか」を報じてきた。そのつど私は、このようなメンタリティについて下される種々の憶測を興味深く思ったが、同時に、本当の理由がどこにも指摘されていないことにもどかしさを禁じえなかった。その「なぜか」への至上の答えを写真は黙示していると思われたのである。
このことは私に忘れられないある対話を思いださせる。昭和49年5月、アンドレ・マルロー(仏の作家、政治家)が出光佐三(さぞう)氏(出光興産の創業者)をその美術館に訪ねたときのことである。「日本人は精神の高貴さを持っています。なぜですか。仏教も、その理由の一つではないでしょうか」との単刀直入のマルローの問いに、間髪を容(い)れず出光翁はこう答えたのだ。
「そうじゃありませんね。二千六百年続いてきた皇室が原因ですよ」と。
たしかに、国難のいま、私たちを斉(ひと)しく打つものは、皇室、何よりも両陛下の、あの同床同高とも申しあぐべきご姿勢に表れた何かである。祈りである。今回だけではない。これまでの日本中の被災地めぐりだけでもない。先の戦災地、さらには南冥の島々まで、慰霊の旅をも、お二人は重ねてこられた。しかも史上、「恤民」すなわち民を哀れむは、皇道の第一義として歴代天皇の最も実践してこられたところであった。
であればこそ、国民も常にそれに感じ、「民を思い、倹を守る」お姿以上に頭を高くすることを慎んできたのだ。被災地で命を救われたおばあさんが「すみません」とお礼を言って美談となったそうだが、このような国なればこそ、自ずと培われてきた節度なのである。
大震災は、しかし、大地の亀裂だけでなく、これほどの国柄にもかかわらず日本人の心に生じていた分裂をも露わにした。国安かれとの天皇の日夜の祈りを踏
みにじるような、現政権担当者たちの無知、厚顔、専横の数々は、「3・11」を待たずして既に別のツナミをもって国を水没させつつあったのではないか。
御在位二十年記念の折、皇居の宮殿でのことを私は忘れもしない。事もあろうに、両陛下お招きの祝宴で最後に鳩山首相の発声もあらばこそ、片隅で、蚊のなくような幸夫人の声で辛うじて「…ばんざい」と一言、拍手もまばらだった。
戦後66年、憲法の一行をも変ええず、民主主義を盾に政治家の皇室軽視の言動が昂ずる一方で来ただけに、大天災の中で却って強められた君民の絆は、なお尊く、真に日本の未来を照らす光ではなかろうか。
政治家は「一寸先は闇だ」というが、祈りを通じて天皇皇后は国の全体を見透しておられる。でなくして、皇后美智子さまが、『岬みな海照らさむと点るとき弓なして明かるこの国ならむ』とお詠みになることはなかったであろう。
天皇皇后の祈りとは何か−−これを考えるべき時が来た。
昭和天皇が、崩御に先立って翌年の歌会始のために遺されたお題は、『晴』だった。来年のお題は、『岸』だ。まだ東日本沿岸がそよとも揺れなかった今年1月、どこから、陛下のみ胸に、このヴィジョンが生まれたのであろうか。(寄稿)
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【プロフィル】竹本忠雄
たけもと・ただお 昭和7年生まれ。文芸評論家、筑波大名誉教授。霊性文化の次元から日本の理解と復権を目指して多年、日欧間で講演と評論活動に従事。コレージュ・ド・フランス招聘教授として『マルローと那智滝』連続講義及び出版、皇后美智子さまの御撰歌集『セオト せせらぎの歌』の仏訳を刊行。著書に『皇后美智子さま 祈りの御歌』『天皇 霊性の時代』など多数。 |
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下記は小泉首相が2005年10月17日に靖国神社への公式参拝を終えた後の各国、メディアの反応を整理した産経社説(2005年10月25日付)及び筆者の感想である(同日付)。
中韓の二ヶ国はある人が言っていたが「特殊アジア」、他の圧倒的多数であるアジア諸国の心ある人は、日本人の心の問題である「靖国」には、(幾らマスコミが騒ごうと)ある人は無関心、ある人は敬して近づかず(Stay away)、またある人は寧ろ尊敬の念を持つに至るのだ。「はあ、日本人はちょっと違うな」と。
大方のChinese、Koreanがそうであるような、「死者に鞭打つ」ような発想は日本人には希薄なのかと。むしろインドネシア、ミャンマに居住する民族の発想に近いのかも知れない。筆者が日本人は南方系に違いないと確信している理由の一つである。
首相問責、総選挙だと相変わらず大騒ぎしている日本のマスコミに「靖国」をもう一度考えてもらいたい。
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静かな語り口だが、これは産経主張の勝利宣言とも言える。朝日を頭目とする反日メディアはいったいこれらにどう反駁するのだろうか。まさに私の主張(?)「朝日の反対を行けば国は安泰。朝日主張に沿えば国は危機に瀕する」ということだ。
海外論調もNY TIMESのような一部跳ね上がりはあったが、一様に静かというより無関心だった。Bostonの「Christian Science Monitor」はエリート紙らしく「Koizumi's visits boost controversial version of history」として「歴史の再評価をしても良い」とまで言い切っている。
How Japan was 'forced' into warとして、ハルノートから日本は戦争に追い込まれたという意見を紹介したり、日本人の信心の問題を詳しく解説している。戦時中、(敵国だから当然だが)JAP ZERO Plane等と言っていた紙である。小泉さんの5度にわたる靖国参拝、その間の中韓の大騒ぎは世界の心ある人々にChinese、Koreanと異なり「はあ、日本人とはこういう民族なのか」といったある種の敬意(RESPECT)の念を図らずも引き起こしたとも言える。今まで日本は主張しなさ過ぎたのだ。
これからも国内の反日メディアはやかましいだろうが、この「主張」のように、両国の政権が「靖国」を外交カードとして使えなくなるように、より重層的な関係をつくっていくことなのだろう。
◆【主張】首相靖国参拝 国民は冷静に受け止めた 2005年10月25日社説
小泉純一郎首相の靖国参拝で日韓外相会談を見送る意向を示していた韓国は、潘基文外交通商相が予定通り、今月末に来日すると伝えた。日本国民は首相の靖国参拝に過剰反応をせず、東アジア外交も、多くのマスコミが指摘したほどには悪化していないようだ。
小泉首相が靖国参拝した翌十八日付の各紙社説は、産経を除き、首相の参拝に批判的な論調が目立った。
しかし、朝日新聞の緊急世論調査では、首相の靖国参拝を「よかった」とする回答が42%で、「参拝するべきではなかった」の41%をわずかながら上回った。共同通信社の調査でも、参拝支持が48%と不支持の46%を上回った。フジテレビの調査は、「評価する」(47%)が「評価しない」(48%)をわずかに下回った。
今夏の各紙世論調査では、首相の靖国参拝に反対する意見が賛成意見よりかなり多かったが、その差は縮まり、逆転する傾向すら見せている。日本のマスコミ論調が、必ずしも民意を反映していないことの証左といえる。
中国は二十三日からの日中外相会談をキャンセルし、抗議の言葉は激しかったが、四月に起きたような暴力的な反日デモは再発していない。当局が力でデモを封じ込めているといわれる。今春の“官製デモ”で、北京の日本大使館の窓ガラスなどが割られる映像が世界中に流れ、国際社会から批判を受けたことの学習効果だろう。
韓国の“反日”の風潮はもともと、中国とは温度差があった。日韓外相会談を行う方向に転換したのも、日本の冷静な世論を見極め、現実的な選択をしたからだとみられる。
アジアは中国と韓国だけではない。インドネシアのユドヨノ大統領は六月の安倍晋三・自民党幹事長代理との会談で、「国のために戦った兵士のために(小泉首相が)お参りすることは当然だ」と語っている。東南、南西アジアや大洋州をも含む広い視野に立ったアジア外交が必要である。
「継続は力なり」といわれる。小泉首相は中韓両国の抗議で途絶えていた靖国参拝の慣例を復活させ、五年間続けた。小泉首相の後、誰が次期首相になっても、参拝を継続し、両国が「靖国」を外交カードとして使えなくなるような関係の構築が大切だ。
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「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国」から早く脱皮しよう。これからの20年に希望をつなごう。
この投稿をなしたのは平成17年8月16日のことであった。あれから有6年半、私も6つ歳を得たが、一体全体この国はどこに向かっているのだろうか。
川端康成、三島由紀夫、江藤淳、皆自裁してしまった。下にあるように、今やもう絶望しかないのではないか。
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【私の中の25年】三島由紀夫 果たし得ていない約束 恐るべき戦後民主主義
私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。
私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
この二十五年間、認識は私に不幸をしかもたらさなかった。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。
なるほど私は小説を書きつづけてきた。戯曲もたくさん書いた。しかし作品をいくら積み重ねても、作者にとっては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。その結果賢明になることは断じてない。そうかと云って、美しいほど愚かになれるわけではない。
この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。思想的節操を保ったために投獄されたこともなければ大怪我をしたこともないからである。又、一面から見れば、思想的に変節しないということは、幾分鈍感な意固地な頭の証明にこそなれ、鋭敏、柔軟な感受性の証明にはならぬであろう。つきつめてみれば、「男の意地」ということを多く出ないのである。それはそれでいいと内心思ってはいるけれども。
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。これも「男の意地」であろうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。
◆からっぽな経済大国に
個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、その実践によって、文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。
肉体のはかなさと文学の強靱との、又、文学のほのかさと肉体の剛毅との、極度のコントラストと無理強いの結合とは、私のむかしからの夢であり、これは多分ヨーロッパのどんな作家もかつて企てなかったことであり、もしそれが完全に成就されれば、作る者と作られる者の一致、ボードレエル流にいえば、「死刑囚たり且つ死刑執行人」たることが可能になるのだ。作る者と作られる者との乖離に、芸術家の孤独と倒錯した矜持を発見したときに、近代がはじまったのではなかろうか。私のこの「近代」という意味は、古代についても妥当するのであり、万葉集でいえば大伴家持、ギリシア悲劇でいえばエウリピデスが、すでにこの種の「近代」を代表しているのである。
私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。原因はすべて私のわがままに拠る。私には寛厚という徳が欠けており、果ては上田秋成や平賀源内のようになるのがオチであろう。
自分では十分俗悪で、山気もありすぎるほどあるのに、どうして「俗に遊ぶ」という境地になれないものか、われとわが心を疑っている。私は人生をほとんど愛さない。いつも風車を相手に戦っているのが、一体、人生を愛するということであるかどうか。
二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。(作家)
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みしま・ゆきお 本名・平岡公威(きみたけ)。大正14年、東京生まれ。昭和24年の「仮面の告白」で作家としての地位を確立。代表作に「金閣寺」「豊饒の海」など。戦後社会の甘えを憂い、44年の「文化防衛論」で文化天皇制の理念を示す。45年11月、「楯の会」メンバーと自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺した。
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この随筆は、昭和四十五年七月七日付産経新聞夕刊に掲載されたテーマ随想「私の中の25年」の一回目を再掲載したものです。
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