保守の源流を訪ねて

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共同通信は「中国5都市で反日デモ!」などと報道している傍ら、下記の報道も。これはシンガポール情報誌NNA経由であるが、いやはやどちらが正解か。因みにこれは日本では読めない。一体全体、日本のマスコミはどうなっているのか。

中国  2012年8月27日(月曜日)

上海で日本商品展、多くの来場者でにぎわう[経済]

【上海共同】中国上海市で24日、日本商品を売り込む大規模な展示会が開幕した。尖閣諸島をめぐり日中が対立していることを受け、主催者は会場の警備員を予定より増員。ただ、会場は多くの来場者でにぎわい、日本商品の根強い人気ぶりをうかがわせた。
約180の企業や団体が出展し、3日間にわたって衣服や日用品、食品などのほか、旅行ツアーなども紹介。24日は開場前から100人以上が行列をつくり、主催者も「前回3月の開催時と同様にお客さんは多い。土日はもっと増えるだろう」と安心していた。約5万人の来場を見込む。
来場した上海市の男性(57)は「政治の話は関係ない。日本製品は性能がいいし、旅行も行ってみたい」と笑った。
不動産開発大手の森ビルなどは、日本のアニメの舞台となった千葉県鴨川市や埼玉県秩父市に観光客を誘致するパネルを展示。「文化面から日中の結びつきを強めたい」(森ビルの担当者)と話していた。<上海>

「朝日」の無責任一題

今になって始まったことではないが、これは面白い。

◆【正論】高崎経済大学教授・八木秀次 蘇る香山氏の「福祉国家亡国論」

 本欄草創期からの執筆メンバーで学習院大学教授を務めた故香山健一氏(1933〜97)の言論がここにきて再評価されている。

 ≪マスコミの再評価始まる≫
 例えば、朝日新聞はこの1月10日付で、主筆の若宮啓文氏の大型コラム「座標軸」「『日本の自殺』を憂う」を掲載した。『文藝春秋』75年2月号掲載の論文、「日本の自殺」に言及したもので、共同執筆者の「グループ一九八四年」の中心は香山氏であったと明かしている。それに呼応するようにして、『文藝春秋』3月号は「朝日新聞主筆が瞠目した衝撃論文」と題し、「予言の書『日本の自殺』再考」を特集し、論文を再掲載している。

 私も、これらの掲載に先立つ昨年10月31日付の本欄「野田氏は大平政治の何に学ぶか」で、大平正芳内閣で民間人や官僚による9つの研究会が組織されて、その中心に香山氏がいたこと、中でも、「家庭基盤充実研究」グループの報告書『家庭基盤の充実』(80年5月)や、報告書の土台となった自民党研修叢書『日本型福祉社会』(79年8月)は、香山氏自ら執筆したもので、その内容は再評価されるべきものであることを指摘している。

 若宮氏は「日本の自殺」について、「論文はローマ人が怠惰になって『パンとサーカス』を求めたように、日本人は福祉や減税、平等、利便を求めて自立精神を失い、政治はそれに迎合して赤字を増やす、とやいばをつきつけた」としながら、「保守のイデオロギー色の濃いその内容には偏見や見通しの誤りも少なくなかったが、(中略)バブル崩壊からほぼ20年。後始末に追われながら国の借金が瀬戸際までふくれたいま、『日本の自殺』がかつてなく現実味を帯びて感じられる」と概ね肯定している。
 「保守のイデオロギー色が濃い」だの「偏見や見通しの誤りも少なくない」だのと素直に肯定できないのは、いかにも朝日の主筆らしいが、それを言うなら、「日本の自殺」が発表された75年当時、朝日が何を主張していたのかを振り返ってみるがいい。
 ≪『英国病の教訓』の予言≫

 香山氏の主張を一言でいえば「福祉国家亡国論」である。78年の『英国病の教訓』(PHP研究所)では「福祉国家というのは、初期においては理想に燃えて、この社会の中でハンディキャップを負っているために貧しい生活をしている人たちがいる、こういうことがあってはならない、その人たちに愛の手を差し伸べなくてはならないとか、あるいは病気に罹った人たちが非常に苦しい生活をしているのを見捨てるわけにはいかない、みんなで助けようということから出発して、非常に面倒みのいい国ができたわけなのです」と述べながら、「ところが、そういう理想に燃え、夢を実現するための動きの中で、予期せざる重大な副作用が発生し、拡大してくるという大変皮肉な結果がもたらされてきました」と説いている。

 「重大な副作用」「皮肉な結果」とは、重税や財政破綻、国民の健全な勤労意欲の喪失や人間同士の絆の希薄化のことである。

 『日本型福祉社会』については、「医療を無料にすれば確実に病人が増える。老人医療が無料になってから、人々は大晦日に救急車を呼んで病気の老人を病院に入れると自分たちは家族そろって旅行に出掛けることを覚えた。そして首尾よく入院させてしまえばもう引き取りにこない」「公立の安い保育所ができれば、母親が子供を預けて働きに出る『必要』が誘発される。この必要に完全に応じようとすれば、保育所をポストの数ほど作らなければならなくなる。必要があるからといって地方自治体がどんどん作り、国はその費用の2分の1を自動的に負担しなければならないとすると、国は確実に破産する」といった記述もある。

 ≪保守言論人は損な役回り?≫

 国が1000兆円もの借金を抱え、少子高齢化で年金や医療財政の破綻が予想され、生活保護費が国や地方自治体の財政を圧迫している現在を予測した「瞠目すべき予言」である。

 今の状況になってみれば、若宮氏を含めた誰もが理解できるが、これらが発表されたのは「バラマキ福祉」路線を取った革新自治体華やかなりし時代である。この頃、朝日は大衆に迎合して耳あたりのいいことばかりを言い、香山氏らの言論を「タカ派」「保守反動」「弱者切り捨て」と批判していたはずである。

 香山氏らはそれに耐えながら、遠い将来を予測して言いにくいことをあえて発言していた。保守の言論人とは何と損な役回りで、朝日などリベラル派は何と暢気な稼業なのかと思う。

 政府は「社会保障と税の一体改革」を進めている。しかし、それはあくまで現状を維持する弥縫策でしかない。今こそ香山氏らの「予言」に謙虚に耳を傾け、「福祉」の抜本的な見直しに着手しなければ、文字通り「亡国」となるのは必至である。(やぎ ひでつぐ)
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渡辺先生は歴史的事実を淡々と述べているに過ぎないのに、この正論が本当に新鮮に思えるのは何故だろう。日本は本当にどうかしてしまった。
 
2010.8.27 03:17
 韓国併合(日韓併合)条約は1910年8月22日に調印され、同29日に発効した。併合100年を機に菅直人氏の首相談話が、過日発表された。往時の日韓関係についての事情を顧みることなく、謝罪自体を自己目的としているがごとき談話であった。
 
 ≪謙虚で率直で勇気あることか≫
 「当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。…この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」
 ここまで踏み込んでいいのか。談話はさらにこういう。「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います」
 現在の価値観をもって往時の日韓関係を眺め、“そういうことはあるべきではなかった”と考えることが、どうして謙虚で率直で勇気のあることなのだろうか。併合条約を有効だとする日本が、条約自体を無効だと言い張る韓国に謝罪の言葉をいくら積み上げたところで、相手を満足させることなどできはしない。道義において自国がいかに劣っていたかを強調すればするほど、姑息と卑屈にみずからを深く貶めるだけである。現在の価値観で過去を論じることのいかがわしさに、もうこのあたりで気づかねばならない。
 
 ≪各国との合意による合法統治≫
 李朝時代末期の韓国は、時に清国、時にロシア、時に日本と、周辺の大国に依存しようという「事大主義」の傾向を強め、自立と近代化への展望を欠いて政争に明け暮れた。当時の韓国は清国と君臣関係(清韓宗属関係)にあり、韓国内で内乱が起こるたびに清国に派兵を要請した。日本がこれを脅威と見立てたのは当然であり、清韓宗属関係を断ち切るための戦争が日清戦争であった。
 シベリア鉄道が完成してしまえば、ロシアが朝鮮半島の占領へと向かう可能性は十分にあった。当時、ロシアは満州(中国東北部)に強大な軍勢を張っており、日本人の多くがロシアを「北の脅威」とみていた。ロシアによる朝鮮半島の占領は、すなわち日本の亡国の危機である。そうであれば併合によって韓国の近代化を図り、半島の守りを固めることは日本にとってどうしても避けられない安全保障上の戦略であった。
 日露戦争とは、ロシアの南下政策に抗して、日本が韓国の「自由裁量権」を獲得しようとして戦った戦争である。自由裁量権とはいかにも“あけすけな”表現だが、弱者に「安住の地」がなかった帝国主義時代の用語法である。
 日本の韓国における自由裁量権は、ポーツマス条約でロシアにより、また日英同盟下のイギリスにより認められた。さらには日本は米国との間でも、日本が米国のフィリピン領有を承認し、米国が日本の韓国統治を承認するという桂・タフト協定を結んでいた。日本の韓国統治は幾重にも国際的に承認され、併合への道を阻止するものはなかった。各国との合法的な条約や協定に則って日本の韓国統治が展開されたのである。
 
 ≪近代化は日本の支援によって≫
 併合は韓国人にいまなおつづく鬱屈であろう。日本人にとってもこんな手荒なやり方ではなく、別の方法を選択することができなかったかという思いはある。日本が韓国の独立を承認して韓国の近代化を助力し、2国の善隣関係を保ちながら「共に亜細亜を興す」(福澤諭吉)友邦たりえたとすれば、それに越したことはなかったであろう。しかし、現時点に立って判断してもそれは不可能事であったといわねばならない。
 1つには、日本の開国維新のような、近代化へと向かう挙国一致の政治的凝集力が韓国の中から生まれてくる可能性を期待することはできなかった。2つには、相当の軍事力を温存したまま敗北を余儀なくされたロシアが対日報復の挙に出ることを日本人は恐れていた。日本人がこの恐怖から解放されるには、革命によってロマノフ王朝が完全に崩壊するまで待たなければならなかった。
 韓国は日本の強圧によって結ばされた併合条約は無効だというが、往時の韓国民の中にも自国のみで韓国の近代化を図ることは無理であり、日本との「合邦」により日本の支援を受けながら近代化を実現するより他なしと考える一群の有力な人々が存在したことは指摘しておかねばならない。李容九、宋秉●などをリーダーとする「一進会」に集った人々である。統監府の資料によっても参加者は14万人、実際には数十万人に及ぶ当時の韓国最大の社会集団であった。首相桂太郎をして併合を決意せしめたものが彼らによる合邦への要請にあった。
 しかし、いくらこういった議論を重ねても、併合条約が有効か無効かの議論を日韓で一致させることは期待できそうにない。ならば、語られるべきは過去ではなく、現在と未来でなければならない。(わたなべ としお)

久し振りの投稿です。役人の馬鹿さ加減(組織維持・権益を守りたい)とメディアのとんまさの重層複合汚染が日本の新聞、メディアに充満している。せめて文学の世界ではこれらから無縁の世界で逍遙したいが、それも最近の下手くそ翻訳で、状況は変わっているようですね。

【正論】社会学者・加藤秀俊 「常用」に縛られず漢字は自由に

2010.8.20 03:17
 漢字の種類がいくつあるのか、だれにもわからない。5万ともいうし10万ともいう。15万、という学者もいる。不便といえばまことに不便である。しかし、漢字は大陸で発明され、これまで数千年にわたってつかわれてきた文字であり、いまなお生きている文化財である。不便だから、といってこれを捨てるわけにはゆかない。
 ≪強制力のない最低限の目安≫
 それでも何万というのはいくらなんでも多すぎる。だから、このなかからいくつかをえらんで共通の基礎知識にしようではないか、というのはもっともなことである。この秋から29年ぶりで改定され2136字をさだめる「常用漢字」はそのこころみのひとつである。まあ、このくらいは読めるようにしておこう、というのがその趣旨で、小学校の「教育漢字」、中学校での漢字もこれに連動することになるから、ちょっと教育文化がかわる。
 それはそれでよい。しかし、文化庁がこうして「常用漢字」をさだめるのは、あくまでも「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送等,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示す」ためのもので、べつだん強制力をもつものではない。ちょっと語弊があるかもしれぬが、たとえていえば、それは人間の身だしなみにおける肌着のようなものだ。最低このくらいは着ていないとみっともない、という「目安」である。その上にセーターを着ようと、靴を履こうと、あるいはアクセサリーをつけようと、すべて自由。
 ≪「まぜ書き」気にせぬ放送局≫
 漢字もこれとおなじ理屈で、必要なときには適切な漢字をどんどん使ったらいい。完全な自由化をしたらよろしいのである。なんの気兼ねがあるものか。文化庁はべつだん漢字取り締まりの警察じゃあるまい。当の文化庁も「(この表は)科学,技術,芸術その他の各種専門分野や,個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」と注記しておられる。特定の漢字が「常用漢字表」に入っていない、とか入れるべきであるとかは天下の一大事ではないのである。
 だからたとえば「蹄」という漢字が「常用漢字表」に入っていなくても、新聞雑誌はためらうことなく「口蹄疫」と表記する。ところがトンマな放送局があって「口てい疫」と「まぜ書き」の字幕をだす。あの放送局は肌着以外の着衣をしないのが優等生だと錯覚しているのだろうか。まことにおろかしいことである。漢字はもっと自由につかい、書いたらよろしい。
 それに、漢字問題のいくつかはすでに解決されている。たとえば現代の技術は漢字をコード化して1万ちかくの漢字を瞬時にして呼び出すことに成功した。文選工(ぶんせんこう)という熟練した職人たちが活字の棚を飛びまわって文字を拾う時代はおわったのである。漢字制限どころか、現代技術は漢字の自由使用を可能にしてくれたのだ。
 もちろん、わざわざむずかしい漢字をつかう必要はない。できるだけ漢字はすくないほうがいい。だいたい日本語という言語はおおむね「和語」つまり「やまとことば」で表現できるのだから、ふつうの文章はかな文字だけで間にあう。だが、漢語、あるいは音読みが必要なときには堂々と漢字を使用したらいい。
 むずかしい漢字は読めない、わからない、書くことができない、どうしてくれる、といったことをいう人がいるが、バカも休み休みいいなさい。わからなければ辞書をひけばよろしい。辞書はそういうときのためにある。
 ≪むずかしいばかりの公文書≫
 おかしなことはほかにもある。さきほど引用した文化庁の文章のなかの「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送等」とある部分をみただけでも賢明な読者ならおわかりのように、句読点が気になる。横書き公文書での句読点は、法令によって「,.」とすべし、とさだめられている。「、。」ではないからだ。ちょっと常識はずれではないか。
 なによりも、文化庁は勝手に「法令,公用文書」と「新聞,雑誌」などを同列にならべておられるが冗談じゃない。お役人の公的文書と新聞記事とのあいだには天地雲泥の差がある。たとえば、あの「子ども手当」。この法律の条文をみると、この手当をうけることができるのは「子どもを監護し,かつ,これと生計を同じくするその父又は母」や「父母に監護されず又はこれと生計を同じくしない子どもを監護し,かつ,その生計を維持する者」うんぬん、とある。
 わからないなあ。だが、これを「一般の社会生活」の「国語」に翻訳すれば、「こどもといっしょに暮らしている親」「親がわりになってこどもの面倒をみている人」ということである。それだけのことをわざわざむずかしくするのが「法令,公用文書」なのだ。
 わたしの文章だって、こんな「法令」の悪文と並記されるのは迷惑千万。わたしとしては「個々人の表記」の自由を享受して、ちっとはマシな日本語で書きたいとねがっているところなのである。(かとう ひでとし)

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