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11−12日の二日早足でペナンに行ってきた。シンガポールから一時間北上、機内サービスを受けるのもそこそこに飛行機は目的地に到着、20年来の友人(Chinese Malaysian)と5年ぶりに再会した。お互い目にはしわ、髪は白髪が目立ち、それなりの年輪を重ねていたが、彼は私より年長にも拘わらず、依然意気軒昂な実業家であった。 Chineseで成功した人が一様にそうであるように、相変わらず私を抱くように出迎え、車中では運転大丈夫かと思うくらい身振り手振り激しく「あの人はどうした、この人は今こうしてる」などと話は途切れることなく、あっという間に街に到着してしまった。 ペナンは自称か他称かPearl of the Orient(東洋の真珠)と呼ばれているきれいな島にある小さな港町。この島は人口120万人だそうで、シンガポール面積のほぼ四割、日本人は二千世帯いる由。対岸のButterworthにはシャープ等の日系メーカーの工場が数多くある。 Penang港はドラフト(喫水)が浅いのであまり大きなコンテナ船は入れず、その分シンガポールあたりと比べて、街は静かで落ち着いた雰囲気を醸し出している。またペナン島はChinese比率がマジョリティを占めその分進取の気性が高く、シンガポールと似て海外資本誘致に積極的。最近は日本からの移住者(老後の)も増えているそうだ。 早速以前から出張の際、皆でよく行ったエビそば屋に連れて行かれ有名なPrawn Meeをごちそうになり、ビールで乾杯。話は尽きなかった。 彼曰く、マレーシアはマレー人の国と言われているが、マレー人比率は50%をちょっと超えた程度、4人に一人はChineseであると。いわゆるブミプトラ(マレー人優遇政策)はまだあるが、実際この国を引っ張っているのはマレー人ではないと。確かに実業の世界では課長以上のレベルは大体がChineseである。シンガポールでもそうだが、役所にはやたらマレー系が目に付く。 大学も70年代は人種を問わず同じ試験を課したところ、何と八割がChineseとIndianになってしまった。今は差をつけマレー人比率を6割程度にキープしていると。従って優秀なChinese、Indianはこの数十年、隣国シンガポールに行ってしまった(シンガポールはこれを逆手に取って奨学金を与えている由。卒業後五年間シンガポールで働くという誓約書を取った上で)。 国語は四方式、Malay、Chinese、Indian、その他とあり、それぞれの母国語Plus英語Plusマレー語を課しているとの事。いわゆるSingapore ChineseはChina本土からと思っていたが、これは私の思いこみで実際は殆どがマレー半島に遙か昔住み着いた人々だったのだ。確かに65年独立の際に自動的に国境が出来ただけで、偶々あの島に住んでいた人がSingaporianになっただけなのだ。その先祖はそれに先立つ六百年も前からこの土地に住み着いていた人達なのだ。(余談だが、あの独立の際に何の流血事件も起きなかったというのは特筆される) 東南アジアの気候がそうさせたのか、確かにここに居を構えている中華系はマレー系同様、東南アジア特有のおっとりというかほんわかと言うか、時間の観念が我らの三倍もあるのではと思わせるような人が多い。我が日本人もこの環境を与えられると同じように気質も変わるか、私も実験台になろうかと一時感慨にふけった次第。
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シンガポール通信
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昨年だったかある会合で日系企業の顧問を何社もしている日本通のシンガポール人と同席、夕食を共にしたことがあった。紹興酒で口が軽くなったのか、同氏は流暢な日本語で、「Nさんね(私のこと)、この国はね4百人なのよ、4百人」と仰る。何のことかと返答出来ずにいると、要はシンガポールはある特定の家系が国の大本を押さえており、そのグループが常時政府・国有企業・団体の幹部の役職を行ったり来たりして、段々登り詰めていくのだと。 彼らは小さい頃から英才教育、国立シンガポール大学などすっ飛ばして、英米の有名大学・大学院に留学、帰国後20代で即、役所の副局長レベルに付くのだと。その後本人の適材適所で、国の息のかかった民間の銀行や製造業、通信・運輸の部長職を経験し、役所にまた戻る。これを何度か繰り返すことにより、国としては国を本当にリードして行く超エリートを常時400人程度抱えているだと。 「はあー」と聞いているだけだったが、偶に会う役所の連中は確かに若い。昨年会った日本の国土交通省・海事局次長に匹敵するひとは確か34-5歳であった(京都に6年留学していたと言っていた)。日本の本省だったら50を下らないだろう。 一事が万事、こういうことだと、この4百人に入れぬグループは民間で頑張るしかないということになる。民間でも元気な人はそれはそれは多いが、市井の人も含め、シンガポール人が何となく元気がないと思えるのは、これを聞いたせいだろうか。下段でリー首相が日本にはなりたくないと言っているが、よけいなお世話だ。 尚一番下にあるテマセクの話は、同国最大、というよりシンガポール政府投資会社Temasek Holdings(首相夫人が総裁)がこの数年、中国、インドネシア等への投資を活発化させていることについて。国民及び投資元からたっぷり税金を取って、そのお金を使っているわけだ。 ==== ◆【外信コラム】シンガポール マーライオンの目 ブログにも監視の目 「何さ、淑女ぶっちゃってさ。しょせん、欲求不満の中年女でしょ。あたしらの色気に妬(や)くんじゃないわよ」 日本語に訳すとこんな感じだろうか。最近、シンガポールの女子中学生が女性教諭からミニスカートを注意された。むかついた彼女はブログ(日記形式の簡易ホームページ)にこんな書き込みをして憂さを晴らしたのだが、学校にばれて大目玉をくらった。ブログに教諭の悪口を書いて停学になった女子高生もいる。インターネットがかなりの程度チェックされている実態が明らかになり、学生を震え上がらせた。 ブログのトラブルはほかにもある。十七歳から二十七歳までの男三人がマレー系住民を侮辱する内容を書き込んだとして、こちらは扇動禁止法違反で起訴され、一人に禁固一月の判決が下された。「言論の自由にも限度がある」(聯合早報)として、政府内には刑罰を重くしようという動きさえ広がる。 シンガポールは厳罰主義で有名だ。「まるでアジアのどこかの国と同じだな」と外国人が揶揄するのを聞いたことがある。 もちろん冗談ではあるが、「問題の芽は小さいうちに摘んでおく」という強烈な国家意思の前で、笑いながらも息を潜める国民がいるのは確かだ。(藤本欣也) Copyright; 2005 The Sankei Shimbun All rights reserved. 【シンガポール】首相「今後20年、複数政党制ない」 リー・シェンロン首相は6日、海外特派員協会と会見し、今後20年間はシンガポールが欧米式の複数政党制の民主主義になることはないと述べた。ロイター通信などが報じた。「20年間で社会も政治も変化するだろうが、欧米モデルが我々が求める目標となるとは思わない」と述べ、シンガポール式の政治体制を堅持する姿勢を表明した。 首相は、「議会制民主主義と自由選挙が存在する体制で、有権者は一党に圧倒的な信頼を寄せてきた」と与党・人民行動党(PAP)が独占している政治状況を説明。また、「自立を保つ必要があり、人種と宗教の調和を維持しながら、国土や資源に恵まれた国々に勝る競争力をもたなければならない」という特異な事情を指摘し、軍事政権時代を経て民主化した韓国や台湾とは比較できないと語った。 ■日本型の回避 首相は、シンガポールと同様に安定と成長をもたらした一党体制であるとともに、汚職、利権誘導型政治に特徴付けられる日本と比較し、「シンガポールのシステムを維持しながら、日本のような結果を避けられるかどうかは指導者層全体の考え方の問題だ」と強調した。 ■次期選挙でも国民の負託 前回(2001年)の総選挙は、米同時テロから約1カ月半後という与党有利の状況で実施され、例外的だったと分析しながらも、次期総選挙でもPAPは国民から大きな支持と負託を得られるだろうと自信を示した。前回の総選挙では、75%の得票を得てPAPが圧勝した。次期選挙の時期については明言を避けた。 ■ゲイ行事は国民に不快感 今年6月に同性愛者のパレード開催を許可しなかったことに関連しては、「同性愛者が普通の人たちだということに同意する」と指摘。一方で、「その考えに激しく反対する国民がいることも勘案する必要がある」「パレードは多くの国民にとって不快感を招く」などと述べた。 ■テマセクには不介入
中国での投資を活発化させている財務省傘下の投資会社テマセク・ホールディングスについて首相は、「政府が管理することではない。政府を含めた投資家にとって、(投資先選定で)正しいことを行っていると信頼している」と話し、テマセクの投資と資産運用には介入していないと強調した。 (NNA) - 10月10日7時16分更新 |
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先週土曜日シンガポールのBlog仲間で飲み会があった。お誘いを受け、「私みたいなおじんでもいいかな?」と思ったが、もともと飲み会はひょこひょこ出かけていく方なので、当地では有名な沖縄料理の店に出向いた。 |
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世界各国どこにもある「屋台」は庶民文化の象徴。「民度」を計る尺度(?)にもなろうか。当地シンガポールにも国が支援・援助しているホッカーセンター、コーヒーショップ(日本流喫茶店ではなく軽食屋)とコンセプト(?)は異なるが様々な屋台があり、中華、マレー、インド風の料理を提供し、さすが人種のメルティングポット、シンガポールの売り物になっている。 |
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数学者岡潔は戦前フランス留学から帰国の途次、船がシンガポールに寄り数日過ごした(のだろう)際に、そこで波音を聞いているうちに突然ある種の「懐かしさ」に襲われ、砂浜に暫しうつ伏せた(?)と。そしてわが日本民族はこの辺りから数万年前に北上したに違いないと確信し、「涅槃経」の「日本民族は常住にして変易なし」とつぶやいたと。 |


