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神は、福音は、宗教に縛られないということを言いたくなって来ました。
こちら側とあちら側という線引き…それは人間のして来たことです。 現代人が抱える課題に対して、宗教は何ら解答を示せなくなって来ています。 当然かと思います。 宗教は民族性や地域性の中から人間が体系化していったものですから。 それでも、人が思わず人知を越える存在に祈ることはなくならないでしょう。 愛といつくしみのあるところ、慈悲や仁のあるところにおわす存在を信じています。 「何事のおわしますかは知らねども忝なさに涙こぼるる」 仏教の僧侶である西行が伊勢神宮参拝の折り受けた霊感を詠んだ歌です。 それは如何なる隔ての壁を持ちません。 私はクリスチャンですが、洗礼を唯一の救いの手段とはもはや全然思っていません。 天国にはあらゆるシステムからやって来た人たちが憩っているでしょう。 私にとって洗礼が何であったかと問われれば、イエスを通して呼びかけられた存在に対して自覚と意志を伴う応答の開始です。 |

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それでいいですよ。
2015/3/17(火) 午前 8:19 [ honky tonk man ]
フランスの哲学者ドゥルーズは「無知は不幸、認識は治療」といいました。
野の花さんは「自覚と意志を伴う応答の開始」をした。つまり「認識を開始」したのですから、これから小さな真理の断片を少しずつでもこつこつと会得して行けば、より幸せになれますよ。
あなたと同じようにミドルネームを持つ者として応援していますよ。
2015/3/17(火) 午前 10:25 [ honky tonk man ]
やはり神様は人をお選びになるんですか
2015/3/17(火) 午後 3:11 [ sakura sakura ]
トンクマンさん
ありがとうございます。
こんなに素早くコメントいただいて。。
応援いただける理解者を持てる私は本当に幸せ者です。
神様に対して非常に大胆な信頼を寄せていることを知ってくれている人は何も心配していないようです。
2015/3/17(火) 午後 10:57 [ 野の花 ]
sakuraさん
?
どういう意味の質問ですか?
2015/3/17(火) 午後 11:03 [ 野の花 ]
とても深い記事だと感じました。
僕は特定の宗教を信仰は
していませんが
聖書を持っているので
その言葉に励まされることもあるし、
仏教の考え方に賛同できることも
またあります。
人は愛するために生まれて、
愛されるために生まれたと
思いたいし、
そんな世の中であってほしいです。
2015/3/18(水) 午後 7:29 [ +NobunagA+ ]
NobunagAさん
コメントありがとうございます。
この記事を書くことができたのは、そちらのブログで考えさせられ、コメントさせて頂いたことがきっかけです。
いつも介護の現場からたくさんの福音を語っておられます。
つまり…愛に根ざした、他者の人格を尊重した真摯な取り組みの中からの生きた言葉です。
仰るように人は愛し愛されて生きるために生まれて来ているのですね。
続きを改めて書かせてください。
お願いします。
2015/3/20(金) 午前 0:39 [ 野の花 ]
> 野の花さん
ええ〜…っ、
そうなんですか…
それはお恥ずかしい…w
むしろ僕のほうが野の花さんの
この記事にとても感銘を
受けたのですよ。
よく神様とは?って考えるのですが
こちらを読んであ〜…なるほどと。
本当にありがとうございます。
2015/3/20(金) 午前 1:46 [ +NobunagA+ ]
内緒さん
ああ、それはね?
クリスチャンがこういう記事を書くということはある意味、大顰蹙を受けることもあると知っていてのエールなんです。
キリスト教も世界宗教の中の一宗教に過ぎないと、もっと深くて大切なものはそんな枠組みを越えてしまっているんですと宣言したんですから。
同じポジションからの応援宣言な訳です。
2015/3/20(金) 午前 11:13 [ 野の花 ]
野の花さんに対しての応援と人に対してということですか?
2015/3/20(金) 午後 0:59 [ sakura sakura ]
sakuraさん
あなたは頭のいい人だと思っています。
だから不思議に思います。
本当は何を問いたがっているのかなって。。
2015/3/20(金) 午後 3:18 [ 野の花 ]
横から失礼。
私が書いたことで混乱が起きているのでしたら、私の意図と趣旨を明確にしておきます。
私自身は8歳時にカトリックの洗礼を受けました。だからミドルネームを持っています。
しかし私は数年前にブログでキリスト教を棄教すると宣言しました。
私にとってキリスト教のみならず宗教は必要ではなくなったからです。かといって野の花さんに棄教を勧めてはいません。
文字通り、
「これから小さな真理の断片を少しずつでもこつこつと会得して行けば、より幸せになれますよ」と野の花さんとご家族がより幸福になるように「応援している」だけのことです。
2015/3/20(金) 午後 3:41 [ honky tonk man ]
私が野の花さんと知り合ったのは、私自身がカトリックにかろうじてしがみついていた頃です。(但し、リアルで会ったことはありません)。
その当時から哲学、神学、仏教、その他の学問を学び続けて、私なりに「真・善・美」が何であるかを知解できたと思ったから棄教したのです。私は宗教から卒業しました。
宗教から卒業することを人々に勧めているわけではありません。
宗教が人々に心の平安と幸福を与えるならば、それはそれで結構なことであると思っているからです。
ただし盲目的な信仰は真の幸福とはほど遠いとは思っていますが。
2015/3/20(金) 午後 3:53 [ honky tonk man ]
野の花さんへ
私は頭は良くないですむしろ無知で何も知りません。
トンクマンさん
ありがとうございます ご迷惑をおかけしてしまったこと
お詫びします。「応援」理解できました
野の花さんが持つ不思議がわかりません
私はそのくらいこ無知なんです。
ここからは私が感じているものです。
イエス・キリスト様は実在したと思ってます 宗教活動をされたのも
事実だと思ってます。その存在は絶対なるもの
福音にある数々の啓示(こう言っいいものかわかりませんが)
それらに対し、人間はずれています 私もずれています
しかし、クリスチャン、プロテスタントの方は福音を理解し、主の教えを守ってます。
でも、神は自分の教えを守り、祈りを捧げるものを優先的に見るのか。
聖書も福音も知らないものよりしっているものに愛を注がれ、
その愛を感じることが出来るものなのか。
真理、私にはわかりません、神そのものが真理であると思ってます
その人に起こり得るもの、それは神が決めたことで変えられないのもだと。
野の花さん すみません余計に疑問に思われるでしょうがこれが私の
感じていることな
2015/3/21(土) 午後 5:22 [ sakura sakura ]
なるほど。
キリスト教は宗教なのです。そして「義人=正しい人」と「罪びと」との区別を、カトリックでは「信仰と善き行い」、プロテスタントでは「信仰のみ」を義人であり、そうではない人を罪びととしたのです。
宗教だから仕方がないのです。
たとえば日本の仏教の中で浄土系は「何無阿弥陀仏」と唱えていれば極楽浄土へ行けると説いています。
宗教だからです。
でも、神または仏は、果たしてそんなことを要求しているのか?
私はしていないと思います。
神は、もし存在したとしても、万人の神であって、そんな教会が言うようなことが必ずしも正しいということではないと思っています。
神が存在するならば、その神は一人ひとりの神でしょうね。
なぜなら神は公平、平等であるはずですから。
2015/3/21(土) 午後 5:44 [ honky tonk man ]
違う言い方をすれば、すべての宗教は人々をいかに「救済」するかを考えたのです。
ですから、ユダヤ教は律法を守る人、キリスト教は信仰する人、浄土系は何無阿弥陀仏を唱える人を「救済」するとしたのです。
因みに私はそれらを信じることができなかったことも棄教した理由のひとつです。
2015/3/21(土) 午後 6:03 [ honky tonk man ]
私なりにではありますがよく理解できました。
イエス・キリスト様からカトリックとプロテスタント、その他諸々
仏陀から日蓮 親鸞 古くは弥勒信仰 それらが生まれたのと同じなのですね
だからイエス様は救い主と呼ばれるんですね
しかしイエス様は父なる神がいらっしゃいますよね
仏陀には父なる仏陀という存在はないと聞き及んでいます。
弥勒信仰、浄土真宗、浄土宗、臨済宗がカトリック、プロテスタントに
成り代わるものなんでしょうか
今まで自分の解釈の仕方が怖くて聖書を読めないでいました
でも読む勇気が出ました。
今までの行いの数々、振り返りたいと思います。
野の花さん、ありがとうございます。
わからないのでうまく表現できなくてすみません
聖書を読んでみても私には多分理解出来ないと思います
少しでも神という存在を感じることが出来ればと思います。
2015/3/21(土) 午後 8:45 [ sakura sakura ]
sakuraさん
記事とコメント欄をゆっくり読み直してみてください。
神様は何か宗教的条件を満たした者を優先的に愛するという考え方から離れたいと言っています。
特定の宗教に属さずとも、今生きる場所で誠実に一人一人の尊厳を大切にし、愛ある他者との関わりを模索する人から溢れ出る言葉に福音を聞くと告げている相手もいます。
sakuraさんが本当に言いたいことは、今尋ねている言葉のもっと奥にあると思えるんです。
そう思いながら次の記事を書きました。
如何ですか?
2015/3/21(土) 午後 9:31 [ 野の花 ]