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「信頼を演じることはできないわ。謙遜を『行う』ことができないのと同じ。
信頼するかしないか、どっちかしかないのよ。 信頼は、あなたが愛されているとわかっている関係性から生まれる果実です。 わたしがあなたを愛していることを知らないから、あなたはわたしを信頼できないの」 (「神の小屋」より) |

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こんにちは、ゲストさん
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「信頼を演じることはできないわ。謙遜を『行う』ことができないのと同じ。
信頼するかしないか、どっちかしかないのよ。 信頼は、あなたが愛されているとわかっている関係性から生まれる果実です。 わたしがあなたを愛していることを知らないから、あなたはわたしを信頼できないの」 (「神の小屋」より) |
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とても深い言葉だと思います。
僕は信頼してほしい人に対して
あなたが好きだ、
あなたがいると助かる、
ということをけっこう頻繁に
口にしています。
そうするとお互いしあわせな
関係性を作りやすいので…
2015/4/6(月) 午後 10:20 [ +NobunagA+ ]
NobunagAさん
「関係性」って今の私のキーワードになっています。
この文章のやり取りは実は、聖霊と主人公の会話なんです(笑)。
全然威圧感のない、家庭での交わりのような会話からふっと得る気づきがたくさんあります。
覚え書きのようにアップしちゃいました。
信仰と言わず信頼というところや、謙遜は「行えない」というさらっとした表現もね?
人格との対峙の現場に臨もうとする人にはとても解りやすい表現だと思いませんか?
コメントありがとうございました。
2015/4/7(火) 午前 10:32 [ 野の花 ]
少し前までの私そのままの心を表現している言葉です…
信頼=心の繋がり=愛だと思います。ずっとそれに気づかないふりをしてきました…
2015/4/7(火) 午後 8:04 [ みらい ]
こんばんは
謙遜は、行えないっていうのも深いですね〜
マリア様は謙遜に受胎告知を「はい」と受けられましたが
それは、謙遜に従われたのであって、何かを積極的に行うと
いうのとは少し違いますから、謙遜は神様からの導きに
素直に従うっていうことなんでしょうか。。。
(私たちの生活においても)
2015/4/7(火) 午後 11:17
みらいさん
人は深いところでは…いち早く気づいているのだと思いませんか?
そこに平安があるかないか。。
信頼は関係から生まれる果実ですから、育つものなはずなんです。
互いを大切に思い合う関係の中では。
だから私は「違和感」を今大切にしています。
これに向き合う勇気は、初動の遅れの痛恨を体験したから得られたのだと思うとすべて感謝です。
「識別」について、いつか文章にできれば…と思っています。
2015/4/8(水) 午前 6:33 [ 野の花 ]
ニールさん
「謙遜」は状態ではないかなと感じました。
畏れと希望と信頼を土台に開かれた心の状態かなと。
聖母マリアの受胎の受諾、不可知に遭遇した時必ず胸におさめ思いめぐらされる態度、そして御子の十字架の下に立ち続けられたという聖書にもある記述を思う時に、神様への絶対の信頼と決して失われなかった希望は…その心が如何に謙遜な状態を保たれていたかを示していると思います。
2015/4/8(水) 午前 7:20 [ 野の花 ]
そうですね、謙遜の反対は 傲慢というこころの状態でしょう
謙遜って、自分の利益とかを考えずに、神様と隣人への愛に
あふれている状態なんでしょうね
わたしにはとても難しい課題です
2015/4/8(水) 午前 10:44
内緒さん
私ならお断りしますね。
何か理由をつけてでもいいし(私の場合性格上はっきり感じる問題点を口にしてしまうことがしばしば…)。。
それはお相手との関係をむしろ腐らせない為にです。
これで壊れる関係なら手放していいんじゃないでしょうか。
私は教会組織の中に光の天使を装う悪魔を時々見ます。
善意の人であろうとする優しく与し易そうな信者にすり寄って最初は善いことのように見せかけますが時間が経つにつれ巧み支配を始めます。
心に育ち行くものを見直してみてくださいね。
この復活祭に何人かの人と久しぶりに交流がありましたが、本音で真剣に喧嘩できた人とは関係が切れません。
時間は篩でもありますね。
愛徳って何でしょうね?
少なくともやみくもな我慢ではないと思います。
2015/4/8(水) 午後 1:15 [ 野の花 ]