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愛の定義
日記
[ sakura sakura ]
2014/9/13(土) 午前 10:07
愛の定義
日記
[ 野の花 ]
2014/9/13(土) 午前 1:22
“水と霊”の水って洗礼のことですか?
うーん…私の洗礼って息子が2歳になってたんですよ。
で、イエスさまから呼びかけられたのは私自身が11歳の時、自宅でご生涯の洋画を観ていた時です。
両方の間にカルト体験があります。
なぜなら、最初出会った神様の臨在、現存を完全に失った時期があるからです。
そのあたりを書いたら記事三枚分くらいになってしまいます。
神様を心の奥底では慕い求めながら、捨てられたのだと恨みに恨んでいた時期もあります。
かなり変わった紆余曲折を歩んで来ましたから、型通りをあまり重要視していません。
このことについては、また改めて書く機会があればと思っています。
とにかく神様は、ノスタルジーだけを残していろんな体験の中を引き回してくださいました。
そしてやっぱり思います。
「神は愛です。」
愛の定義
日記
[ sakura sakura ]
2014/9/12(金) 午後 3:50
愛の定義
日記
[ 野の花 ]
2014/9/12(金) 午後 2:25
悩める愛…すごく正直な告白ですね。
真摯で謙虚なんだと分かります。
何が正解か分からなくて当たり前、子どもに本当に必要なことをしてあげられただろうかと悩むので当たり前だと思います。
私もそうですよぉ〜![]()
それが良いのだと思います。
相手を見つめている証拠ですから。
「私は最善の愛で愛しました。」と言い切る人こそ心配です。
神様の愛はなかなか見えませんね。
私たちは霊の目が開かれていないと言われます。
だから、他人の痛みに無関心でいられるんだろうなと思います。
今飢えている人のすぐそばで飽食していたり、瀕死の怪我人に関わらないように迂回したり、できてしまっているんですね。
一度だけ、360度の光の体験があります。イエスさまの十字架上からのとりなしの言葉を聞いた瞬間にブワッと光に包まれました。
愛の羊水に浸されたような感覚を味わったことを覚えています。
呼吸する内側からも神様の愛が溢れて来るんです。
神様は、ただ“私が存在する”ことを喜んでくださっていました。
無条件にです。
天国だと感じました。
洗礼を受ける何十年も前の出来事です。
愛の定義
日記
[ sakura sakura ]
2014/9/12(金) 午前 8:45
愛の定義
日記
[ sakura sakura ]
2014/9/12(金) 午前 8:32
はい、両親の愛情を全身に受けて育ち
それは今でも変わることなく注がれています。
アルツハイマーで私のことがわからなくなった母も
私を愛してくれていると思ってます
私も同じように子供たちを愛してます
でも私の子供たちに対する愛ってそれが本当の愛と
言えるのかどうか そう言った意味で私は愛というものを
知らないのではないかと。
子供たちににはまず一人の人間として愛してきました。
私の子供なんですが生まれてきた人としてです。
姉妹を比べることはせず姉は姉のいいところ
妹は妹のいいところそれらは本人たちにもわからせてきました。でもいつも「これでいいのか」という思いがあります。今回の次女の体入院みたいに理由と行動が一致
していればいいんですが
愛の定義
日記
[ sakura sakura ]
2014/9/11(木) 午後 11:36
愛の定義
日記
[ 野の花 ]
2014/9/11(木) 午後 6:08
愛には遠くあれど…ですね。
灯台のように迷ったら方向確認をします。
人間は弱いです。
だから躓き倒れたり、道を踏み外すこともあります。
関係を存続できない場合もあるでしょう。
愛はまずありのままを受け入れます。
そうして、愛は一切を包んで育み建てあげる力あるものだと感じています。
ここに言う愛は神様の本質でもあります。
この章全体を読めば、愛のない一切は虚しいと語られています。
その通りだと言えます。
そして、カルトを通過した者として、偽りの愛を識別することの必要性を言いたいのです。
愛を装う偽りのものは、人を内側から蝕みます。
この類いの事柄に対して、あまりにも無知で無関心な人が多いのに…驚きあきれるほどです。





