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あらためて…
日記
あらためて…
日記
[ 野の花 ]
2014/10/3(金) 午前 7:41
sakuraさん
ありがとうございます。![]()
突然の曲がり角は、多かれ少なかれ誰もが体験することではないかと思います。
今では心構えとして、そこから先に続く道に決して希望と勇気を忘れずに行きたいな、そう思っています。
思い通りにならない体験は、実は軽んじていた“本当に大切なこと”の再発見のチャンスであることが多かったなというのが正直な感想です。
お祈りですが…私も小道に花を発見すれば「神様!」としか言えないことがあります。(本当の花の場合もよく)
神様は形容し難い瞬間の想いをきちんと受け取る方です。
小さい子がよく「ママ!ママ!」と何かを指しながら一生懸命語りかけていますが上手く言葉にならない姿をよく見ます。
大切なのは分かち合いたい、理解されたい存在として心の眼差しが神様に向かっていることの方だと思えるんですが。。
sakuraさんとの対話を通してたくさんの学びや気づきがあります。
すっごく貴重な瞬間がたくさんあります。
本当にありがとうございます。
あらためて…
日記
[ sakura sakura ]
2014/10/2(木) 午後 7:31
アンの言葉は野の花さんの歩いてこられた道そのものなんでしょうね。
生きてるって平坦な道ばかりじゃないですね
自分の今までを振り返るとそれなりに曲がり道や分岐に立ち、その時その時で選びながら歩いてきたような気がします。
迷いながら歩いたこともあります。
泣きながらに選んだ道もありました。
でも時が経てば喜びとまではいかないけど、いい思い出になっていると感じます。
私も希望を持って歩きたいです![]()
最近祈りが短縮されてしまって
なぜだか「神様」
「神よ」この言葉が多くなりました。
これでは神様も何を祈っているのか届きませんね![]()
次女、少しづつですが良くなってきました。
野の花さんの言葉に心が救われました。感謝します
ありがとうございます
「愛するとは傷つくこと」
日記
[ 野の花 ]
2014/9/30(火) 午前 5:19
sakuraさんが神様に深く愛されていること、それは感じて来たのですが、さらに…sakuraさん自身が気づかずして神様との交わりを体験しているのを感じます。
生きること、愛することに対してとても真摯ですよね。
態度に誤魔化しや適当な妥協がない。
真実に生き、真実に愛することを希求する魂だなって感じて来ました。
神様は、そういう魂に愛の深みのベールを上げてお見せになることがあります。。
sakuraさんの心を聞きながら、御母マリアさまの受難が思い出されます。
「パッション」を観られましたね。
倒れられたイエスさまに駆け寄る心の内に幼い日の光景が重なります。
血まみれの我が子を抱き締めながら幼い日に語りかけた同じ言葉をかけられます。
「私はここにいるわ。」
このシーンに、母性愛の極みを感じました。
痛みも蔑みも孤独も…一切を共にしましょうという覚悟が込められたひとことです。
上の文章を、この場面を思い起こしながら読みました。
「愛するとは傷つくこと」
日記
[ sakura sakura ]
2014/9/29(月) 午後 2:11
「愛するとは傷つくこと」
日記
[ 野の花 ]
2014/9/29(月) 午前 11:28
立派なお祈りです!
祈りは霊の呼吸ですから。
瞬間瞬間に思いが溢れ出るように祈っているのですね。。
神様に対しては正直であることが一番いいと思います。
イエスさまご自身が十字架上の苦悶の中で「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と祈られています。
「私を見捨てられたのか!」という叫びです。
これほど赤裸々な祈りを…。
愛するということは綺麗事ではないですよね。
七転八倒することもあります。
自分以外の存在の幸福を願って絞り出すように祈る瞬間って人生にそう度々来るものではありません。
語弊を承知で言いますが、尊いと思います。
これほど無私に愛し愛されることを体験できるということは、本当に尊いと。
神様のこと、今はよく解らないって、これもまた正直でいいと思います。
私だって解らないことはいっぱいです。
私が知ったことは、絶対的に愛されているということだけです。





