|
神は、福音は、宗教に縛られないということを言いたくなって来ました。
こちら側とあちら側という線引き…それは人間のして来たことです。 現代人が抱える課題に対して、宗教は何ら解答を示せなくなって来ています。 当然かと思います。 宗教は民族性や地域性の中から人間が体系化していったものですから。 それでも、人が思わず人知を越える存在に祈ることはなくならないでしょう。 愛といつくしみのあるところ、慈悲や仁のあるところにおわす存在を信じています。 「何事のおわしますかは知らねども忝なさに涙こぼるる」 仏教の僧侶である西行が伊勢神宮参拝の折り受けた霊感を詠んだ歌です。 それは如何なる隔ての壁を持ちません。 私はクリスチャンですが、洗礼を唯一の救いの手段とはもはや全然思っていません。 天国にはあらゆるシステムからやって来た人たちが憩っているでしょう。 私にとって洗礼が何であったかと問われれば、イエスを通して呼びかけられた存在に対して自覚と意志を伴う応答の開始です。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





