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新宿「紀伊国屋書店」は田辺茂一氏によって、昭和2年1月22日に創立されました。
昭和2年といえば「紀伊国屋書店」の真向かいの「中村屋」が「純インド式カリー」を発売した年です。

田辺茂一氏は1905年、新宿で紀州備長炭を扱う”炭問屋”の跡取りとして生まれます。
祖先は紀州和歌山の出身です。

1915年、大正天皇即位大礼の日に父に連れられて行った、日本橋「丸善」の洋書に魅せられ、
書店経営を志すようになります。

慶応卒業後、銀座の「近藤書店」でたった半日の丁稚奉公。
半日で書店とは”こういうもの”と判ったそうです。

昭和2年、実家の炭問屋の隣の空き地に、弱冠22歳で「紀伊国屋書店」を創設しました。
当時の店は間口3間、奥行き6間、新築2階建ての洋風の店でした。
現存する写真を見ると2Fの壁にアーチ型の細長い窓が4つあって洒落た造りになっています。
又、2Fは当時まだ珍しかった”ギャラリースペース”になっていたそうです。

この店は東京大空襲で焼失、一時は廃業も考えていたようですが、将棋仲間の角川源義の励ましで
事業を再開、しばらくはバッラク建てで営業していました。

1946年(昭和21年)株式会社紀伊国屋書店を設立。

1947年(昭和22年)前川國男氏の設計で新店舗を建設。
1F、2Fの開口部は全部四角いガラス窓になっている設計でした。

田辺茂一氏が後に語ったように「書店を志したのは、本が好きというよりも、書店の風景が
好きなのであった」という言葉を反映しているような書店でした。

1964年までこの建物でしたので、私もこの2階建ての店を子供の頃からよく見ていますが、
店は少し奥まった所にあり、店の前面に道というか広場のようなスペースがあり、ここには
今でいうワゴンセールのような小さな出店があり、小物やブロマイドなどを売っていました。
左側には喫茶部があったように思います。この店舗はとても懐かしいです。

1964年(昭和39年)480坪のビルを建設(現・紀伊国屋ビル)、大型書店の先駆けに
なりました。この紀伊国屋ビルには4Fに画廊、5Fに演劇ホールの「紀伊国屋ホール」が設けられました。「書店は街頭の大学である」を実践したような建物になりました。

1966年(昭和40年)には紀伊国屋演劇賞創設など文化自業に力を注ぎました。

こうして”新宿文化の担い手”として突っ走って来た茂一氏ですが、その性格は大の駄洒落好きで粋人
であり、夜な夜な銀座に繰り出し「夜の市長」と呼ばれるなど数々の伝説に彩られた、破天荒なスケールの大きい人物でした。

文芸作家としても「すたこらさっさ」「ひまつぶし余話」、映画化された「新宿泥棒日記」「茂一〜一人歩き」など数々の著書を出しています。作家としての評価がもっとなされても良いのではとの声もあります。

1981年10月にはフランス文化勲章騎士賞を受賞しましたが、同じ年の12月11日他界されました。新宿の「緑雲寺」の田辺家代々のお墓に眠り、今でも新宿を暖かく見守っているのではと思います。

「紀伊国屋新宿店本店」は田辺茂一氏の夢を?壓ぎ、今日も多くの人々で賑わっています。

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