2011年3月11日(金)、午後2時46分、
「東日本大震災」から一年が経ちます。
去年娘は、3日前に4歳になったばかりでした。
気管支が弱く、季節の変わり目にはよく
気管支炎を起こします。
1年前の今日,病気で保育園からの呼び出しも少なくなった娘が
気管支炎に罹り、私も珍しく仕事を休んでいました。
14:46、娘はお昼寝中でした。
最初、、グラッと来た時、いつもより少し強目の地震だなぁ〜と思っておました。
そのうち、TV横のDVDが落ち始め
地面が水面のように揺れ始めました。
慌てて娘を抱き抱え、リビングの端にへたり込みました。
全く立ち上がれませんでした。
東京、震度5強。
初めて経験した「大震災」・・・。
しかしその数分後、TVには信じがたい映像、光景が
流れてきました。
町が、津波に飲み込まれて「壊滅」していくシーン・・・
「地獄絵」を見ているかのようでした。
『逃げて、みんな逃げて〜!!』
TVに向かって叫んでいました。
その後も、船酔いするような余震が頻発しました。
14時前に、「今日は舟曳というとこまで出張。スカイツリーが
目の前に見えて綺麗だよ♪」とメールをしてきた妹とは
連絡が取れなくなりました。
東京湾から、荒川や江戸川、利根川に津波が侵入するシーンが
頭をよぎり、googleで妹の所在地を確認しました。
大きな河川にはさまれた土地・・・
『3階以上のしっかりしたビルに登って!!』
何度もメール送信しましたが
届いているのか、見ているのか・・・。
外出時に震災に遭った人たちは
とにかく情報が把握できない状況だったそうです。
そのうち、「地下鉄が動かない。歩いて帰る。」というメールが
きて、墨田区から中野区という長距離は危険だから
途中の救護所で夜を明かすようにとと送信しましたが
音信不通・・・。
mix●やYaho●、いろんなサイトで
「拡散して下さい」と情報が飛び交い
何をしていいのか、見れば見るほど頭が混乱しました。
私たちも非難したほうが良いのか、すぐにコンビニで食材を買ったほうが良いのか・・・。
妹は近所のコンビニで水を購入し
何の情報もないまま、愛犬の安否だけを気遣い
帰宅難民で混み合う道をひたすら歩いたそうです。
上野の御徒町でヒールを脱ぎ捨て、スニーカーを購入し
またひたすら歩き
うちに連絡があったのが、21時過ぎのことでした。
鏡が倒れていただけで、2匹のチワワが無事だと
泣いていました。
それからTVをつけたようで
『コレが、これが本当に日本なの???』と
津波のNEWSを初めて見て、嗚咽していました。
翌週から私と会社のスタッフは
休むことなく、仕事に明け暮れました。
訪問中、緊急地震速報が流れても
途中で看護処置の手を休めることもなく、
TVで福島第2原発が水素爆弾が起こるNEWSを見て
「日本はどうなるんだろう? 娘に会いたい・・。」
予期不安が襲いましたが
とにかく、働きました。
コンビニで昼食を購入すると、カップラーメンを買いだめする人、
ドラッグストアではディスポのマスクや飲料水を買いだめする人、
そんな人々の姿を見ながら、
「いざとなったら、娘に食べさせる物はあるの? 逃げれるの?」
そんな不安を打ち消すのは、そこに患者さんがいたからです。
被災地で耐え忍ぶ人たちがいたから・・・。
でも本音を言ってしまえば
毎朝、娘を保育園に送るとき
心では泣いていました。
「これが最期になってしまうのではないか?」と・・・。
あれから1年、今も毎日のように地震が続いています。
M8クラス,震度7の都市直下型地震が襲うというNEWSが、連日、報道されています。
被災地の復興は進んでいるのか、募金や寄付した物資は
被災者の方々に届いているのか、
日々、考えない日はありませんでした。
あの日が終わった訳ではない、
原発の問題も含め明日はどうなるか分からない、
「ing」なんですね。
娘は、8日で5歳になりました。
来年は、小学生になります。
「生まれ育ったこの土地」で生きていく。
今日も明日も、これからも・・・
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