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麦は踏まれるほど強くなる。そのために麦踏をする。冬の寒い朝、家族総出で湯田原の畑に行く。父母それに妹たちも。素足にズックをはいて畑に立つ。麦が3〜4センチに伸びている。一列になって横向きで麦をひと足ずつ踏みながら進む。次第に父母と距離が開いていく。少しでも遅れまいと踏むピッチを上げるが足がもつれて長くは続かない。霜柱が解け出してズックに土が張りつき、冷たさが足の裏から沁みて感覚がなくなってくる。白い息を吐きながら畝を折り返すと、紫尾山の尾根が白くなっている。その方向から吹いてくる北西の季節風が頬に冷たい。足は冷たいがリズムに乗ってくると体が温まってくる。みんな黙々と踏んでいるが、何を考えているのだろう。早く終わって家のコタツで温まりたい。踏み終わって畑を眺めると、緑の畝が踏む前より少し白っぽくなっている。踏まれた麦の葉裏が白く見えるためだ。麦踏みが終わると、さらに「土入れ」と言う試練がある。小さな葉芽の上に土をかぶせて、「さあ出て来い」と言わんばかりに追い討ちをかけるのだ。麦はこうして鍛えられて強い茎になっていき、養分を十分吸収できるようになる。やがて5月になるとさわやかな風に麦穂をなびかせ黄金のじゅうたんを敷き詰めたような湯田原の畑が現れる。これがふるさとの麦秋である。
麦は芽が出てすぐ人間が踏んでやらないと強い麦になれないが、人間は自分自身で麦踏が出来る。その麦踏をするかしないか、どのくらいの強さでするかで人間の強さが違ってくる。人は順境にばかり浸っているていると強くはなれない。逆境や試練を乗り越えてこそ真に強い人間になれる。逆境や試練は望んで与えられる場合は少ない。そのほうがよい。宿命的にそのような立場に置かれるほうが多い。それに立ち向かい克服していく努力の過程が人間を強くする。
喫煙や飲酒など快楽への誘惑、ずる休みなどの怠惰、浪費、勉学からの逃避などをそのままほおっておくと麦踏をしないひ弱な実らない麦に育ってしまう。誘惑に負けない逃避的でない人間になるにはまず自分に克つことが大事なことである。自分の中には自分に甘い自分(否定的)と厳しい自分(肯定的)が同居しており、物事を判断するときにその両者の力関係で方向が決まる。そのバランスが保たれていてはじめて的確な判断がなされる。しかし、自分に甘い要素が強い傾向にある人は常に逃避的な方向へ行ってしまう。つまり自分に負けてしまう。
人間は麦と同じで、若い頃試練を経験するほど頑強になる。体力的にも知能的にも大人の域に達する高校時代に受験勉強や運動部活動の試練を経験することは、その後の人生で艱難にぶつかった場合、乗り越える勇気と気力を与えてくれるはずである。これが最初の麦踏である。この麦踏の経験を経ないで大人になると、少しの苦難でへこたれてしまう。
若いうちの苦労は買ってでもしろと言うのはこのことだ。己に克つという確固たる信念をもってすれば、道は必ず開ける。
己に克て! 「こっき克己」 '99.9.6 父より
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