とりあえず 麦酒!

酒の肴になる話です。このブログは日記として書いているものです。議論する意思はありませんので、反論コメントはご遠慮ください。

ペット

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ポテト逝く。。。

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息子が連れてきたプレーリードッグのポテト(♀)が先日14日に死んだ。年齢は8歳くらいだっただろうか。
ちょうど3年前、連合いのアナン(♂)が死んでから独りで生きてきたが、この夏の猛暑と寄る歳並み、それに病を得て急激にやせ衰えてしまった。
13日にはもう今夜までだろうと思っていたが、朝起きてみたら健気にもまだ生きており水をやったら飲んでくれた。一晩中必死で生きようとしていたのだろうか。
その後、妻が介抱していたが9時過ぎに妻の腕に抱かれて天国に旅立ったという。
 
ポテコは先に我が家にやって来たアナンのお嫁さんとして息子が貰って来たものだった。アナンとはお互い毛づくろいをし合ったりして仲睦まじく過ごしていたが、子供はできなかった。
 
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プレーリードッグというように、本来は大陸の広大な草原に棲んでいるのだろうが、狭いゲージに閉じ込められて、人間が与える餌を食べて生きてきた。
犬や猫はペットとしてしか生きられないのであろうが、プレーリードッグは人間の勝手で無理やりペットにされたのかもしれない。本当に彼らはペットとして飼われたことが幸せだったのだろうか?
我が家ではアナンもポテトもペットとして十分愛情を尽くして飼ってきたと思っている。
 
ポテコの亡骸は庭のアナンの隣に埋めてやった。今頃は天国でまたお互いに毛づくろいしていることだろう。
 
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ついに去勢手術!

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去勢手術すれば、もちろん、臭いおしっこスプレーをしなくなるほか、性格が穏やかになる、長生きする、病気にかかりにくくなる、彼女探しの必要がなくなるから、外を出歩くことがなくなり交通事故にあわなくなる・・・などの効果があるという。
これらは人間=飼い主にとってはいいことなのだが、本当に猫自身にとっていいことなのだろうか?
ペットとして飼われていない、いわゆる野良猫なら自由気ままに生きている方がいいに決まっている。しかしペットであるからには人間と共生しなければならない。そうするとそこにはルールが必要だ。このルールがペットである猫にも適用されるわけだから、あたりかまわず臭いおしっこを撒き散らすことはルールに反することになる。おしっこをかけるのは発情するからであり、だとすると、やはり去勢手術して、発情をさせないようにするしかないのである。
去勢に踏み切れないで“知恵袋”で相談し、お寄せいただいた回答の中にこんなことが書かれていた。引用させていただく。
「去勢することで、かなりの病気を予防することができるし、何より去勢は、飼い主の最低限の義務だと思いますよ。去勢に踏み切れないなら猫と暮らすべきではないと思います。
生き物を飼い殺して愛玩するという最大の「勝手」を押し通すならば、それに適応しやすい環境を整えてやることがせめてもの愛情だと思います。」
彼女が欲しくてたまらない思春期の彼に、彼女を与えもしないで、彼の本能を抑圧しようとする飼い主の勝手は、ペットに対する本当の愛情とはいえないのではないかと思うようになった。
そんなことで手術する決心をした。「チロちゃん、ごめんな!」

愛猫チロは、4月に生まれてすぐに我が家に来てから10ヶ月になる。
手探りで哺乳瓶から乳を飲んでいたが、体重は4.5キロ、体長は約70cmの立派な青年猫に育った。
この時期、俳句の季語にもなっている「猫の恋」の季節である。
チロが初めて迎える“恋の季節”。やはり、ちゃんとチロにもやってきた。
長い尻尾を立てて、それを震わせながら、ガラス戸やカーテン、壁、箪笥や家具、外に出てても植木などあたりかまわずふりかける。これを「スプレー」というらしい。一点に絞った水鉄砲のようなスプレー式放尿である。これが普段のオシッコよりもまた臭いのだ。他のオス猫に自分の縄張りを主張しているのか、お気に入りの雌猫の彼女に「僕はここにいるよ」といっているのか・・・。
先週末の三連休には、チロのあとからバケツと雑巾を持って追いかける始末。泥棒とお巡りさん、権兵衛とカラスのようだった。
これに堪り兼ねて、妻は「休み明けには絶対病院に連れて行って、去勢手術してやる」と息巻いていた。
火曜日に帰宅したら、すぐに玄関まで迎えに来る(本当は外に出たくて、ピンポーンが鳴ると、どこにいても寝てても起きてやってくる)はずのチロが珍しく出て来ない。さては、昨夜言っていた事が起こったかと思いきや、案の定、チロは動物病院に強制入院させられていた。
その夜は、夕食のときも椅子やテーブルにチロはいないし、いつも寝るときは私の布団の上の足の間にうずくまって寝ているが、それもいないし、なんとも寂しい夜だった。
また、明け方は目覚ましテレビがつく前に、私の額や頭を手でさすって起こすのだが、それもしてくれないし、朝ごはんの催促もないしで、こんなにもチロがいないことが寂しいと感じたことは、今までになかった。
チロも昨夜は手術跡が痛んだり、よその家だったりで眠れなかっただろう。
「チロちゃん、人間の勝手でごめんな!」

ペットの死

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息子が連れてきたプレーリードッグのアナン(♂)が5日未明に死んだ。
我が家に来て7年。家族同然に暮らしていた。独りでは寂しかろうとお嫁さんももらった。
相性はよくて、とても仲睦まじかったが、なぜか子どもはできなかった。
連れてきた息子より、私たち夫婦のほうが可愛がった。とりわけ妻はとてもアナンを可愛がっていて、アナンもなつき、彼女の肩にのって髪の毛の毛づくろいをするのが得意だった。
夏は、シャワーを浴びせてやったり、外で砂遊びをさせたり、それは我が子同然、いやそれ以上?の可愛がりようだった。
しかし、今年の春ころから痩せてきて、夏には片手に載るくらいにまでなってしまった。さらに、歩き方がぎこちなくなって、やせて骨がごつごつと目立つようになってきた。
以前は、果物やアイスクリームなど甘いものが大好きで、赤い小さな舌を出してぺろぺろとなめていたものだったが、だんだん食が細くなり、糞(ウサギの糞みたい)もいつもの半分くらいの大きさになって、最期は下痢状態になってしまった。
死ぬ前の日、妻が汚れたお尻を拭いてやったとき、とても痛がって噛み付いたそうだ。自分でも惨めになってしまったと思ったのだろうか?
その日(死ぬ前日)は日曜で、私が机に向かっているところに来て抱いてほしがったので、抱いてやったらおとなしく寝ていた。死期が近いことを悟って甘えたかったのだろうか?
病(たぶん消化器系の癌だろうと思う)を得て、それが原因で死んでいったが、私たちは敢えて動物病院に連れて行かなかった。自然治癒に期待したところもあったが、小さな身体を切り刻まれることのほうが可哀想に思ったからだ。私たち夫婦はそれでよかったと思っている。
プレードッグといえば、その名前のとおり、南米の草原に棲息するリス科の小動物である。広大な草原を走り回り、時には外敵にやられたりもするだろう。そして、一日中、食べ物(草食性)を探し回っていたりするだろう。そんな動物が湿気の多い日本に連れてこられて(多分アナンは日本で生まれただろうが)、人間が与える食物で育てられ、快適な部屋の中のゲージに入れられてペットとして飼われることは、彼らにとって本当に幸せなことなのだろうか?
ペットとは人間本位の飼い方育て方で、決して彼らの本意ではないのではなかろう?
しかし、人間にとって、ペットは話し相手でもあり、慰めてくれる大事な存在でもある。独り暮らしの老人は、ペットと暮らしている人のほうがボケないし長生きするそうである。ペットの役割がそんなところにもあるのなら、ペットには可哀想な気がするが、尽くしてほしいものである。
アナン、君と暮らした7年はとても楽しかったよ。草原を走り回ってる夢を見てゆっくり休んでください、ありがとう!安らかに!

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