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こんばんは
今日は中島 敦「李陵・山月記」新潮文庫の中から今の自分と共振する言葉を抜き書きしたいとおもう。
中島 敦ー僕がおもうに、彼ほど作中の人物の口を借りて自分の内心の言葉を吐露した作家はいないだろう。だから作中の人物の内面およびその告白は、そのまま中島の苦悩そのものであり、またそれはやがて読む者をして自らの苦悩の根源を知らしめるにいたる。次に引用する文は、中島の苦悩と同時に僕自身の苦悩でもあるのだ。
「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。」
「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずる故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。」
「これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。」
「才能の不足が暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。」
「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。」
「しかし何処が悪かった?己の何処が?何処も悪くはなかった。己は正しい事しかしなかった。強いていえば、唯、『我在り』という事実だけが悪かったのである。」
「始めて、彼は、自分がこの一月狂乱にとり紛れて己が畢生の事業たる修史のことを忘れ果てていたこと、しかし、表面は忘れていたにも拘わらず、その仕事への無意識の関心が彼を自殺から阻む役目を隠々
の中につとめていたことに気がついた。」
今日はここまでにしよう、自らの内面の声を聞くのは本当は堪え難いものであるから。
追記
中島文学の背景にある漢学ーこれは小さいころあずけられていた、漢学者の祖父の影響によるといわれる。幼き中島が過ごした街ー現在僕が住んでいる街でもある。
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