流れの面 ながれのおも

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「新年」を迎へて誰しも覚悟を新たにしてゐるでらうところへ野暮申すやうながら、ツイタチといひツゴモリといふは月が姿を隠し、月が姿を見せ始める日をいふのである。まして何月何日とは月の公転周期の中の第何日の義であり、明治改暦以後のグレゴリオ暦の蔓延は日本語の語感を根本に狂はせてしまつたと思へてならぬ。

十二月六日の明けを一月の一日といふその怪訝さよ

そこで昨日はかく詠んだ。

月ありて陽を漉し生命を育むと思へど改暦の樂屋落ちかなし


 太陽の日射のみでは惑星上には灼熱の昼と絶対零度の夜しかない。月の介在あつてはじめて日射の中の害毒を除き水を発生せしめて生命発生の環境はうまれるものである。

 しかしこの暦を廃し代ふるに太陽暦を万古不変の理のごとく権威づけた詔勅を発せられたその舞台裏の事情とは財政難の折から間近に迫つた閏月分の官吏の俸給支払ひを節約せんといふ甚だ姑息の思惑に出たものであつた。
 詔勅の尊器をかかる思惑を糊塗するダシに使ふが故に二度の戦勝の後に大東亜線一敗地に塗れた被占領下の憲法にて詔勅が否定せられ華族も廃されて皇室は国民の海の中に取り残された藩屏なき王朝となられた上に、国語はその基礎字母たる五十音図が何故経緯図かを慮らぬ輩の手で穴明きにされて現代かなづかいなる「歴史的勘違ひ」に占領せられてしまつた。「代用暦」と「代用国語」はその拙足軽薄さ加減に於て密接に結びついてゐるといへる。
 参照こよみのページ

公轉の楕圓を圓と言ひ包む暦うけがひかねつつ我は

 楕円に回るものを一向円に扱はむとする太陽暦といふものは便利なやうながら、その思考の中に発想発明せられた諸々の技術が知らず知らず地球環境を疲弊消耗に導く因になつてはをらぬか一元的にこれのみを国際暦として用ゐることには懸念を覚える。温暖化なる現象もこれと無縁ではない。馬も人も競走場裡にては楕円のコースを回る、これ公転軌道の齎す理の自然であらう。

 以上のことから私は改革としての復古の一環として国家としての責任による太陰太陽暦の観測とその発行、又現行正月は公的にこれを尊重するも本来の正月も改めて公的に祝ふ殊に皇室におかせられてその沙汰あるべきかと愚案する。
「旧正月」は多く二月にあたり兎角商売枯れといはるる時期に一の景気刺激策として有効である。「旧正月」とは日本のみがかういふのであり、中国韓国はじめ東南アジア諸国の正月は皆これによつて祝はれるものである。何かと軋轢多い彼我の間を調整する一の薬味ともなる。

 この点短歌サイトに縁遠く思はれる投資分析氏のブログなどからもアクセスあるやうなれば、一度正月が二度祝はれるやうになつた場合の投機筋の動向に就いてシミュレーションせられてはいかがなどおもふ。

 歳月とはそれ自体が波動をなして推移する生命体である。四年に一度の閏日のみにて済ますグレゴリオ暦をグラフにするとこれどことなく脳死者の脳波かと思へてならぬ「月日は百代の過客にしてゆきかふ年も又旅人なり」なる細道書き出しを「月日は永遠の放浪者である」などと訳する手合は日本語について何も知らぬといへる。。

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