|
僕はクリスチャンとして、神に何かを委ねるという経験が少ない。
それどころか、神に何かを委ねることを恐れている時さえある。
理由は簡単。
神に委ねたら自分の好きなように物事が運ばないのではないか?そう恐れているのだ。
また、神に信頼していないのだ。神がなす事が愛から出ているという事実を信じていないのだ。
実際、神に委ねるということは、自分の選択を捨て、神が与えてくださる最上の環境を信じ、それにアーメンすることだ。
さて、今回も委ねる学びがあったので、記事にしたいと思う。
この1週間、いろいろあって落ち込んで、集会にも出られず、精神はうつ状態、霊はカラカラに干上がっていた。
まあ集会だけが交わりの場ではないので、電話で話したり個人的に近い人と会うこともできる。
但し今回は、それさえ出来ない情況だった。(理由は複雑なので割愛)
落ち込んだ気分からは、それによって新たな学びができたので、解放された。
しかし外なる人が元気になっても、内なる人がカラカラの枯渇状態なので、早く交わりを回復する必要を感じた。
そして昨晩の夜だ。
「明日は午前中に集会がある。もし早く起きられれば、それに間に合う。
だがこのところ昼夜逆転の生活をしていたから、急に早く起きることなど自然に考えれば不可能だ。
すでに夜中の3時なのだから。」
そこで僕は主に祈った。
「主よ、私は集会に出たいです。しかしこのままでは、明日は出られそうにありません。
しかしこの事を、あなたの御手に委ねます。」
僕はここで学んだ。
集会に出るという問題を主に委ねることによって、出ても出られなくても、主に従うことにしようと思ったのだ。
主は私たちを愛しているのだから、最上の案配をしてくださるだろうと。
こう祈ると、気持ちは穏かになった。
結果として、不思議と7時前に目が覚め、10時の集会にはゆうゆう間に合った。
「明日は集会だ」という意識が少しあったのも手伝ったようだが、とにかく起きることが出来た。
主はまことに恵み深い。
まあ3時過ぎに寝て7時近くに起きたのだから、睡眠不足は少し感じたが、集会時はさっぱり目が覚めていた。
これで昼夜逆転した生活も戻せるだろう。
集会はとても豊かであった。
|
主に委ねるって、簡単そうで実は一番難しい。自分の考え、願望・・・すべてを明け渡し、主にお任せする。まだまだ、自分の手にシッカリと握っていたい、手離したくないものがイッパイあるから、すべてを捧げる事の難しさを感じるんですね。「委ねる」「明け渡す」とは主のみ手の中に自身を投げ出す事。大海のような主の愛のみ手の中に、自分自身を投げ出す時に本当の平安を頂く事が出来るのでしょうね。マタリーさんが少しでも元気になられた事、嬉しいです!!感謝!!
2007/2/8(木) 午後 8:33 [ Barnabas ]
バルナバさんは、個人的に主との生きた接触をちゃんと持って、そのなかで学んでる方なんですね。↑のようなコメントを出来るので伝わってきます。こういう、ツーカー来る交わりは、僕としても嬉しい限りです^^
2007/2/9(金) 午前 6:20
そう言って頂けるなんて、こちらこそ嬉しい限りです^^
2007/2/9(金) 午後 8:25 [ Barnabas ]
別にお世辞を言ってるわけじゃありませんよ。でも誉められて高ぶることのないようにw(僕に言われるまでもないか^^;)形ばかり立派で聖書の知識はあるくせに、主との生きた交わりに居ないクリスチャンを見ると悲しくなるんで、バルナバさんみたいにしっかり主に根を下ろしてる人を見ると嬉しいんですよ。(偉そうなこと言える立場じゃないかも 汗)
2007/2/9(金) 午後 8:45