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「わたしが彼らの中におり、あなたがわたしの中におられるのは、彼らが成就されて一となるためです.」
(ヨハネの福音書 17:23より)
おとついの主日、集会に行ったら久しぶりの人に会いました。
わたしがクリスチャンになったばかりの頃、導いてくれた兄弟の一人です。
彼はわたしの一つ年上で、まだ高校生だったわたしたちは、よく青少年集会を一緒にしていました。お互いよく知ってる仲です。
彼は現在、当時住んでいた実家を離れ、会社の近くで一人暮らしをしています。今回は3連休ということで、一時帰省したようです。
たまに電話で連絡を取ってるのですが、会って話すのは久しぶりなので、話しに花が咲きました。
そんな彼とわたしですが、最近気付いたことがあります。
実はこの兄弟とわたしはタイプが元々違うんです。
今みたいに自然に楽しく話しができるような仲ではなかったのです。
それが今は、そうした違いをあまり感じないで、自然に楽しく交わりができるのです。
これは人の努力では到底、成し遂げられるものではないです。不可能です。まさに神ワザ。
お互い15年以上経つなかで、主によって造り変えられ、その結果こうして一つになれたのだと思いました。
「あー、共に建造されるってこういう事なんだな」
今さらになって実感しました。
信仰の家族のなかでも、自分と波長が合う人もいれば、合わない人もいます。
でもみんな、神の家族です。
元々ウマの合う人は最初からうまくやっていけるので、本当の意味で共に建て上げられているかは分かりにくかったりします。
しかし、もろに違うタイプの人は、お互い本当に一つとなっているか?とても分かりやすいです。
今回その事がはっきりしたので主に感謝しています。
★以下は彼とわたしが如何に合わない関係だったか、具体的に思い出して書いたものです。
救われたばかりの頃は、よく彼との違いを感じたものです。波長が合わないときがあるというか。
クリスチャンとしても人間としても先輩なのですが、近い間柄だけに、自分の気に入らないところが目に付いたものです。
少年だったわたしが彼に対して持っていた印象は、
「雰囲気がなんとなくダラダラしていて嫌だ」
「すぐに説教したがる」
「独特の話し方が、なんとも苦手」
等々。言い出したらキリがありません。
しかし一方では、理屈ばかり言っている若者だったわたしと比べ、彼は生き生きとしたキリスト経験を持っていることにも薄々気付いていました。
(そこがまた癪に障りました^^;)
いろいろ彼について悪く思っていたことを挙げましたが、じゃあ自分はどうだったのかと尋ねられたら、遥かにとんでもない愚か者でした。思い出すだけでも恥ずかしいです。
そんな二人ですから、当時は兄弟愛でいっぱいの麗しい交わりとは程遠い感じでした。
主にある交わりをしているようでも、どこか争ってるような雰囲気があったりしました。
彼が何か言うと「それは違うと思うな」と、すぐに否定したりしました。
逆に自分の痛いところを突かれると、すぐにカチンときたりしてました。
喧嘩こそしなかったものの、いつもそんな調子でした。
しかし今は、こんなわたしに合わせて話してくれる彼に、主から来るへりくだりを感じるようになりました。
また、彼に対して昔のような苛立ちを感じなくなった自分も、少しはマシになったんだな〜と思いました。
造り変えられ、建造され、一つになる!
すばらしい事です。
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こういう経験の一つひとつが私たちの宝ですね。
>造り変えられ、建造され、一つになる!
すばらしい事です。
本当にそうですね。希望あふれる記事をありがとうございました。
2007/10/12(金) 午前 7:38
おっしゃるとおり、こうして一つ一つ経験するのが大事だと思わされます。
「希望あふれる記事」とお感じになりましたか!
こういう事にピンとくる人って、当ブログでは少ないので嬉しいです。
2007/10/12(金) 午前 11:57