Jesus diary

療養中のクリスチャンです。レスが遅れたり、できない時もありますがご容赦ください。

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先日の日記「わたしはキリストと共に十字架につけられました!」を書くにあたり、私はウォッチマン・ニーの名著「キリスト者の標準」を参照しました。

この本は10年以上前にざっと一度読みましたが、自分の関心のあるところばかり読んで、今回参照した箇所はほとんどしっかり読んでいませんでした。

第3章「前進する道−知ること」が、該当箇所です。ここでは古い人がキリストと共に十字架につけられたという事実を「知る」(頭ではなく啓示によって主観的に)ことについて、ローマ人への手紙6章から述べられています。

6章6節 わたしたちは次のことを知っています.わたしたちの古い人が彼と共に十字架につけられたのは、罪の体が無効にされて、わたしたちがもはや、奴隷として罪に仕えることがないためです.

ここに「知っています」とありますが、あなたは頭の知識ではなく、この言葉が言っていることを真に知っているでしょうか?

さて、「キリスト者の標準」というタイトルですが、その意味に注目してみましょう。
この本でニーが言わんとしているのは、正常なキリスト者つまり「標準的なキリスト者」の生活を送る秘訣であります。
巻頭にはこうあります。


 正常なキリスト者の生活とは、どういうものでしょうか?この問題について十分に検討する必要があります。これらの学びの目的は、それは一般のキリスト者の生活とは非常に違っていることを示すことです。
 記された神の言葉、たとえば山上の垂訓を例として考えると。このような生活は神の御子以外には生きることができないのではないかという疑問が起こってきます。そして間違いなくこのような生活は、「御子ご自身」以外にはできないのです。
 使徒パウロは、ガラテヤ人への手紙第二章二〇節において、キリスト者の生き方について一つの定義を下しています。すなわち、「もはやわたしではありません。キリストが」と教えているのです。パウロはここで、何か特別に高度なキリスト教を述べようとしているのではなく、むしろ神がキリスト者に求めておられる基準を啓示していると、わたしたちは信じます。そして、それは「生きているのはもはやわたしではありません。キリストがわたしの中に生きておられるのです」という言葉に要約できます。


ここに引用されていますが、パウロのように「生きているのはもはやわたしではありません。キリストがわたしの中に生きておられるのです」と宣言できるクリスチャンがいったいどれだけいるでしょうか?
私マタリーを含め、実にそれは少ないと言わざるを得ないのです。
ですからこの本には、それを可能にするためのローマ書の実際的な学びがあり、それは非常に貴いものです。私はこの本とローマ人への手紙を、いま一度学びなおし、キリスト者が本来あるべき生活を取り戻したいと考えております。



(注:この記事で引用した文章は、正確にはいのちのことば社発行の「キリスト者の標準」ではありません。同じ本ですが日本福音書房発行のウォッチマン・ニー全集題三三巻「正常なキリスト者の生活」から抜粋しました。後者は前者に比べて翻訳が正確かつ平易な言葉でなされており、意味もより明確になっています)

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マタリー
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