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実際的に正常といえる教会生活の源はなんでしょうか?
それはキリストの様々な豊かさを経験することです。
キリストの豊かな恵みを経験することから、正常な教会生活が流れ出ます。
つまり、恵みを受けることにより、自然と兄弟姉妹と集いたくなったり、他の兄弟姉妹を顧みる気持ちが沸き起こったり、罪人に福音を伝えたくなり、そのような生活が生まれるのです。
例証として、一匹のカニを挙げましょう。
カニの体には殻があり、中にはおいしい実が詰まってます。
教会生活において、集会したり祈ったり、奉仕したりと様々な活動がありますが、それはカニの殻に当たります。
一方、キリストの恵み(恵みは実はキリストご自身であり、聖霊でもあります)は、カニの中にある実に当たります。
問題は、その「実」がどれだけあるかどうかです。
今日、多くのクリスチャンがいて、いわゆる「教会生活」を送っています。
毎週日曜礼拝に参加し、奉仕をしたり、祈祷会に出たりします。
しかし問題は、そのような外面の活動があっても、その中にどれだけキリストがあるか?ということなのです。
私はなにも、祈りや集会が必要でないと言っているのではありません。それらは必要です。カニには殻も実も必要です。
しかし、「実のない」あるいは「実が少ししかない」生活を送っているクリスチャンが、今日どれだけ多いことでしょう!
ですから今日、多くのクリスチャンは、新約聖書が書かれた当初に比べていちじるしく弱く貧しいのです。
喜びと活気にあふれた教会生活をするために、もっと主の恵みを受けられるように祈りましょう!
実のぎっしり詰まったカニのような教会生活を送ることができますように!
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私は以前は教会に行っていましたが・・・・今は一人で聖書読んでいます。
2008/11/17(月) 午後 1:52 [ 近い人 ]
きっとその「教会」は正常に機能していなかったのでしょう。
そこへ行っても恵まれなかったんですね?
主は正しい立場に立つ教会の上に祝福を注がれます。
以下のサイトをごらんになってください。
http://www.lordsrecovery.jp/localchurch.html
2008/11/17(月) 午後 8:13
主はご自分の民が一つになっているとき、そこに祝福を命じられます。
詩篇 133:1−3 「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう・・・主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」
主はわたしたちが一つになっているとき、そこに永遠の命の祝福を命じられます。
おろかものさん。あなたが以前行っておられた「教会」は、みんなが一つになっていなかったのではないでしょうか?牧師がワンマンだったり、信徒同士にいさかい等があったりしませんでしたか?クリスチャンはみな一つです。しかし悪魔サタンは働いて、それをばらばらにしようとしています。
2008/11/18(火) 午前 8:09
ですから使徒パウロは彼の書簡でこう言っているのです
「謙虚と柔和を尽くし、辛抱強さをもって、愛の中で互いに忍び合いつつ、平和の結合するきずなの中で、その霊の一(oneness:一つであること)を保つことを熱心に努めなさい.」エペソ4:2−3
私たちクリスチャンの中には霊なる神がおられます。多くのクリスチャンがいますが、内におられる御霊は一人です。それはちょうど、パンを裂いていただく時のようです。パンは裂かれてみんなの中に入りますが、いくつのパンを食べましたか?と問うたならば、依然として一つのパンだと答えるでしょう。
このようにキリストを信じた私たちは、内に受け入れたキリストによって、すでに皆一つにされているのです。これがパウロの言っている「その霊の一」です。ですから私たちは、彼が言ったように一つであることを損なわないよう気をつける必要があるのです。信者が互いに一つ心を失っている状態は好ましくありません。ましてやいがみあったりしていれば、サタンに完全にいいようにやられてしまっているのです。
2008/11/18(火) 午前 8:11
そうですね。霊は一致しますね。聖霊様が内に宿っている兄弟姉妹同士には愛が見られます。一致があります。全ての教会が、そういう神の家族の集まる教会であってほしいですね。
2008/12/2(火) 午後 0:39 [ jesusgarden777 ]
アーメン。
2008/12/3(水) 午前 6:50