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レビ記 13:45 患部のあるそのツァラアトの者は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。
ある時、この箇所を読んで思った。
「これって人が自分を罪人であると自覚したときの絵だよなあ・・・」
きっとそうであろうと思い、「真理過程第三段階 ニ巻」(W.リー著)で調べてみた。それによると案の定、次のように解説してあった。
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レビ記第十三章四五説から四六節は、らい病を患っている人が他の人たちに自分のらい病を公に告白することについて語っています。これが示していることは、罪人が自分の罪を公に告白すべきであるということです。
(中略)
服を引き裂くことは、自分には道徳がないことを罪人が認めることを表徴します。頭の毛を乱すことは、彼が権威に服することに全く欠けており、手に負えず、見境がないことを表徴します。上唇を覆うことが表徴しているのは、罪人から出て来るものは何であれ、汚れていて、伝染するものであり、彼は接触されるべきではないということです。罪人がされるべきではないということです。罪人が「汚れている、汚れている!」と叫ぶことは、やむことなく自分を罪定めすることを示しています。
(この本では新改訳聖書第3版のように、まだ「らい病」をいう差別用語を改めていませんが、内容を改ざんして掲載するわけにはいかないので、そのまま引用しました)
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やっぱりそうだ。
クリスチャンになって年数が経ち、ある程度成長して経験も積み、霊的な状態が良いと、自分がイエス・キリストの死によって義とされた罪人であるという事実を忘れがちだ。
しかし、「やむことなく自分を罪定めする」と引用文にあるように、常に本来の自分は罪人に過ぎないという自覚を持ち、自己を誇らず主を誇る態度がなければならない。どんなに円熟したとしてもだ。
そうでなければ遅かれ早かれ失敗に陥るだろうと思う。
ガラテヤ6:3 だれでも、自分が何者でもないのに、自分自身をひとかどの者と考えているなら、自分を欺いているのです。
6:4 そこで各自に、自分の働きを吟味させなさい.そうすれば、自分だけには誇ることができても、他の人には誇れなくなるでしょう。
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自分は何物でもない!
そういう自覚を忘れないよう似します。
アーメン
2008/12/3(水) 午前 9:20 [ 近い人 ]
アーメン。
私も気をつけたいものです。
2008/12/3(水) 午後 0:11