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まずはエペソ5章の言葉を。
5:31 「このゆえに、人はその父母を離れて、その妻と結び合い、二人は一体となるのである」。
5:32 この奥義は偉大です.実は、わたしはキリストと召会について言っているのです。
昨日の日記では、新しいエルサレムが、実は完成された召会(教会)であることを見ました。
もう少しつっこんだ話をしたいのですが、パウロはエペソ5章で夫婦に生活上のすすめをしながら、「実は、わたしはキリストと召会について言っているのです」と話題をキリストと召会に変えています。
彼は31節で、「このゆえに、人はその父母を離れて、その妻と結び合い、二人は一体となるのである」。という創世記の言葉を引用しています。
この「二人は一体となるのである」に注目してください。
この言葉を指して、パウロは「この奥義は偉大です.実は、わたしはキリストと召会について言っているのです。」と言っていますね。
つまり、キリストと召会は、ここにあるように一体となるのです。
しかも人間の夫婦が二人で一人になる以上に、キリストと召会は一つになってしまいます。
なぜならキリストは信者一人一人の内に住んでおられ、日々信者たちの存在に浸透し、混ざり合っているからです。
クリスチャンの成長は、内におられるキリストが自分と混ざり合っていく生活です。
パウロはガラテヤ人への手紙で「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで」という表現をしました。
この混ざり合いは本当にすばらしいです!
今、私たちはキリストにあまり似ていないかも知れません。しかし最終的に完成される日が来ます。
完成された新しいエルサレムは、すべての信者と神が混ざり合った、大きな実体となります!
これはあまりにも栄光で、ちょっととてつもないとさえ感じます。
神のかたちに造られた人間に生まれて、さらにイエスを信じることによって神ご自身からクリスチャンとして生まれ、本当に嬉しく思います。
同時に、この神の子という身分は何と栄光なんだろうか!と驚きを隠せません。
神ご自身と完全に混ざり合ってしまうのですよ?人間、しかもクリスチャン以外にこんな幸いにあずかることはできません。
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