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私は年齢のわりに社会経験が乏しく、精神的にも未熟で、何の芸もない、つまらない男です。
別に卑屈になっているのではなく、事実そうなのです。
ですからよく他人を見ては、自分の情けなさに落ち込んでしまいます。
しかし最近、そんなときの心の反応が変わってきました。
「おかげで高ぶらなくて済む。感謝だな」と思うようになりました。
劣等感が、実は自分を高慢から守ってくれるのです。
もし自分が他の人よりも優れていると思っていれば、それは高ぶりであり、危険です。そんな人間が神と人に仕ようとすれば、有害です。
私は何者でありません。誰にまさる者でもありません。しかし、主は私を愛してくださっているのです。
神の恵みも川が低いところへ流れるように、へりくだった者に流れます。
ペテロの第一の手紙は言います。
5:5 ・・・なぜなら、神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
劣等感に限らず、私たちを制限する事柄の多くは、実は私たちを守ってくれるのです。
ダビデは平和な時に人の妻を見て、姦淫を犯しました。戦いに参加してるようなときは、このような事はありませんでした。自由なときのほうが危険です。
「小人閑として不善をなす」とも言いますね。
最後にガラテヤ人への手紙を引用して終わりにしたいと思います。
6:3 だれでも、自分が何者でもないのに、自分自身をひとかどの者と考えているなら、自分を欺いているのです。
6:4 そこで各自に、自分の働きを吟味させなさい.そうすれば、自分だけには誇ることができても、他の人には誇れなくなるでしょう。
追伸 へりくだるのは結構ですが、私のように無芸無能よりは何かできたほうがいいですね。そのうえで謙遜であれば理想だと思います。
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私のような人間がでかい顔できなくなるのは良いことです^^
2009/8/14(金) 午前 6:02
よくわかりました。
謙遜こそ、美徳です。
2009/8/14(金) 午前 9:07 [ 近い人 ]
そうですね。
謙遜こそ、美徳ですね。
2009/8/15(土) 午前 9:40
内緒さんへ。
ありがとうございます。
しかし私は断言しますが、そんなに良い人間ではありません。内緒さんご存知ないような酷いことをやってきました。今も気づかぬうちにやらかしてるかも知れません。神がご存知です。
もっと自己を砕かれて、主と同じかたちに造り変えられたいと切に望んでいます。
私は救われた罪人でありますから、神の前に私の自己は無価値なのです。もっともそれは全ての聖徒に当てはまりますから、そういう意味ではみんな一緒ですね。
2009/8/21(金) 午後 9:24
ほんとうにおっしゃるとおりですね。
信仰をもってから、劣等感がどんどんひどくなってきたように思います。劣等感を感じるというより、とにかく自分が低く低くさせられるような出来事の連続です。なれないうちは、ほんとうに苦しいものでした。いまだにやっぱり、恥ずかしいと感じたり、情けなく感じたり、悲しくなったりしますが、それでも自分を誇らずに済むということは、ほんとうに感謝なことです。あぐりにとっての神さまの大きな恵みなのですね。傲慢に身を包んで苦しい思いをしていた者でさえ神さまは、助けをくださるのですね。
2010/5/10(月) 午後 10:02