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なぜなら、神の義はこの福音の中で啓示され、信仰から信仰へと至らせるからです.「義人は信仰によって命を持ち、そして生きる」と書かれているとおりです。 (ローマ人への手紙1章17節) ルターは信仰によって義とされる真理を回復しました。 罪深い人間である私たちが神の前に義と認められる道は、信仰以外にありません。 この記事を読んでおられる方も、聖書を読んでこのことをよく知ってらっしゃる方も多いでしょう。 私たちは信仰によってのみ、神の前に義とされます。 これによって私たちは、罪定めから救われます。 しかし、信仰が必要なのは最初だけではありません。 クリスチャンになる時だけ信仰を必要とするのではなく、その後もクリスチャン・ライフを生きるには信仰が必要です。 義と認められるだけでなく、義なる生活を送るためにも、信仰が必要なのです。 「信仰から信仰へ」とあるとおりです。 信仰によって「命を持ち」だけではなく、「そして生きる」のです。信仰によって受けた命を生きるのです。 「クリスチャンになったはいいけど、その後の歩みが変わらない。」そんな悩みはないでしょうか? 罪人なのに義と認められるのは恵みそのものですが、その後も罪深い生活を続けていたら、クリスチャンとしていかがなものでしょう? しかし自分の努力で聖書の教えどおりに歩もうとしては失敗し、もがいてはいないでしょうか? 必要なのは、聖書を自分の力で守ろうとする努力ではありません。それでは律法によって義とされようとすることです。 信仰によって生きるのです。 「私にはそんな信仰はない」と嘆いておられる方がいたら、失望する必要はありません。信仰の源は私たちではありません。無理やり信じようと努める必要はないのです。なぜなら信仰の源は、イエスご自身だからです。 聖書の別の箇所に、こうあります。 わたしたちの信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめていなさい. (ヘブル人への手紙12章2節より) イエスをひたすら見つめていれば、彼は私たちの内に始められた信仰を、最後まで完成してくださいます。 彼は信仰の創始者であり、完成者だからです。私たちが彼を見つめる時、彼は私たちの内に信仰を少しずつ注入し、増し加えてくださいます。 ですから彼と交わり、彼を見つめる生活をするようにしましょう。私もそうしたいと願います。
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\(^0^)/ハレルヤ!!
2010/6/1(火) 午後 8:53
アーメン!!
2010/6/2(水) 午前 8:04
今朝、また改めてこちらを読ませていただきました。アーメンです。
<「クリスチャンになったはいいけど、その後の歩みが変わらない。」>←あぐりは、いつもいつもここに引き戻されます。全く成長のできない証拠です。でもこれは、成長を自分の力で頑張ろうとするところに戻っちゃっているんですね。きっと。
「イエスを、ひたすら見つめていなさい」というところへ、導いてくださっている方に感謝です。
<彼と交わり、彼を見つめる生活>ができますように。
2010/6/9(水) 午前 8:10
アーメン!
2010/6/10(木) 午前 6:51