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命の木のすぐ側にあるんだよね。 |
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コリント人への第一の手紙1章から 1:26 兄弟たちよ、あなたがたの召しを考えてみなさい.肉によれば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、生まれの良い者も多くはありません。 1:27 しかし、神は知者を辱めるために、この世の愚かな者を選ばれました.また神は強い者を辱めるために、この世の弱い者を選ばれました. 1:28 また神は、有るものを無いものとするために、この世の生まれの卑しい者、さげすまれた者、すなわち無きに等しい者を選ばれました 「あなたがたの召しを考えてみなさい」とあります。わたしも改めて考えてみました。高校生の時の話になります。 思い当たるところ、多々あります。たとえば・・・ 「この世の愚かな者を選ばれました」←まさに私のことですね。しかし当時は自分は愚かであるという自覚があまりなかったですね。パウロがコリント人に「あなたがたの召しを考えてみなさい」と思い起こさせたように、いま振り返ってみてよかったです。愚かなこの私が選ばれました! 「この世の弱い者を選ばれました」←やっぱり弱かったですね。弱くてよく悩んでいました。そこへ主が来て召してくださったわけか。 「さげすまれた者」←明ら様にさげすまれた覚えはないですが、陰でバカにされてた気がしますね。服装がダサイとか。ぱっとしない奴だとか。 「無きに等しい者」←まさにそんな感じでした。まったく取るに足りない者でした。 ・・・というわけで、パウロの言葉どおり自分が召された当時について振り返ってよかったです。コリント人もいろいろ忘れてるところがあったので、パウロも思い出すよう促したんでしょう。 「それはどんな肉も、神の御前に誇ることがないためです。」(29節)
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この方から、からだ全体は、その豊富な供給のあらゆる節々を通して、またそれぞれの部分の度量に応じた活動を通して、組み合わされ結合され、からだを成長させ、愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。 (エペソ4章16節) いつ読んでもすばらしいと思う箇所です。 キリストの有機的なからだとしての召会の生き生きとした光景を見せてくれています。 とても有機的で、命が感じられます。 人が生まれながらに持っている命ではなく、キリストご自身がからだの命となって、生き生きと機能し活動しています。 召会の究極的な理想の状態が、ここにあります。とても内容が豊かな一文で、どの部分を取り出して語ってもとても時間がかかると思います。語りつくせないほど!(たとえば「愛の中で」)
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第2コリント3:3 あなたがたは、わたしたちが仕えているキリストの手紙であって、それもインクによってではなく生ける神の霊で書かれ、石の板にではなく心という肉の板に書き記された手紙であることが、明らかにされているのです。 とても面白い表現だと思います。神の意図は人が彼の栄光を現すことですが、それをパウロは「手紙」にたとえて話しています。 どんな手紙にもメッセージが書かれていますよね。パウロにとってコリントの信者たちは、キリストの手紙であったと言うのです。 私もそのようなキリストの手紙になりたいものです。つまり私を人が見るとき、そこにキリストからのメッセージが読み取れるような存在になりたいのです。 そのためには存在が根本的に変えられる必要がありますね。特に「心」とあるように、心が神の霊によって「書かれ」る必要があります。心が変えられなければ、いくら外面的に善良なクリスチャンの振りをしても、それは演技にすぎません。 それらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれであると主は言われる.わたしはわたしの律法を彼らの思いの中に分け与え、それを彼らの心に書き記す.わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(ヘブル8:10)
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よく気に入らないことが起こると、「この状況さえ良くなれば・・・」と思ったり、 |



