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すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい.そうすれば、わたしはあなたがたに安息を与える。 (新約聖書より イエス・キリストの言葉)
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すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい.そうすれば、わたしはあなたがたに安息を与える。 (新約聖書より イエス・キリストの言葉)
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5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちに押し迫っているからです.そこでこう判断しました.一人の方がすべての人のために死なれたからには、すべての人が死んだのです.
5:15 そして、彼がすべてのために死なれたのは、生きている者が、もはや自分自身にではなく、彼らのために死んで復活させられた方に生きるためです。 |
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ローマ人への手紙には「信仰から信仰へと至らせるのです」とありますが、ガラテヤ人は信仰から律法の行いへ戻ってしまったのですね。 |
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さて、イエスはそこから進んで行くと、マタイと呼ばれる人が収税所に座っているのをご覧になり、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立って、イエスに従って行った。 イエスがその家で食卓に着いておられた時、見よ、多くの取税人や罪人が来て、イエスと彼の弟子たちと一緒に食卓に着いた。 (マタイによる福音書9章9−10節) ここの解説を読んで「すばらしい!」と思いました。 どこがどうすばらしいのか、無断転載できないので、解説は以下のリンクをクリックしてご覧ください。 さりげなく「食卓に着いておられた」と書いてありますが、マタイは自分の家で大宴会を催していたのですね。彼はそれをひけらかしませんでした。
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なぜなら、神の義はこの福音の中で啓示され、信仰から信仰へと至らせるからです.「義人は信仰によって命を持ち、そして生きる」と書かれているとおりです。 (ローマ人への手紙1章17節) ルターは信仰によって義とされる真理を回復しました。 罪深い人間である私たちが神の前に義と認められる道は、信仰以外にありません。 この記事を読んでおられる方も、聖書を読んでこのことをよく知ってらっしゃる方も多いでしょう。 私たちは信仰によってのみ、神の前に義とされます。 これによって私たちは、罪定めから救われます。 しかし、信仰が必要なのは最初だけではありません。 クリスチャンになる時だけ信仰を必要とするのではなく、その後もクリスチャン・ライフを生きるには信仰が必要です。 義と認められるだけでなく、義なる生活を送るためにも、信仰が必要なのです。 「信仰から信仰へ」とあるとおりです。 信仰によって「命を持ち」だけではなく、「そして生きる」のです。信仰によって受けた命を生きるのです。 「クリスチャンになったはいいけど、その後の歩みが変わらない。」そんな悩みはないでしょうか? 罪人なのに義と認められるのは恵みそのものですが、その後も罪深い生活を続けていたら、クリスチャンとしていかがなものでしょう? しかし自分の努力で聖書の教えどおりに歩もうとしては失敗し、もがいてはいないでしょうか? 必要なのは、聖書を自分の力で守ろうとする努力ではありません。それでは律法によって義とされようとすることです。 信仰によって生きるのです。 「私にはそんな信仰はない」と嘆いておられる方がいたら、失望する必要はありません。信仰の源は私たちではありません。無理やり信じようと努める必要はないのです。なぜなら信仰の源は、イエスご自身だからです。 聖書の別の箇所に、こうあります。 わたしたちの信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめていなさい. (ヘブル人への手紙12章2節より) イエスをひたすら見つめていれば、彼は私たちの内に始められた信仰を、最後まで完成してくださいます。 彼は信仰の創始者であり、完成者だからです。私たちが彼を見つめる時、彼は私たちの内に信仰を少しずつ注入し、増し加えてくださいます。 ですから彼と交わり、彼を見つめる生活をするようにしましょう。私もそうしたいと願います。
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