Jesus diary

療養中のクリスチャンです。レスが遅れたり、できない時もありますがご容赦ください。

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第1テサロニケの手紙より

2:7 「むしろ、わたしたちはあなたがたの間で、養う母が自分の子供たちをはぐくむように優しくしました。」

2:11 「あなたがたが知っているとおり、父が自分の子供に対してするように、わたしたちはどれほどあなたがた一人一人に勧め、慰め、証ししたことでしょう.」


使徒パウロについて、「厳しい人」という印象を持ってる人は多いかもしれません。

しかし厳しいだけでなく、主の愛に満ちていた人であることが上の言葉などからも伺われます。どうぞサッと読み飛ばさず、あらためて味わってお読みください。

これらの言葉、見落としてはいないでしょうか?

彼は「優しくしました」とまで言っています。「ただただ厳しい人」というイメージとは大違いです。

彼があんなにたくさんの手紙を各地の教会や個々の信者に宛てて書けたのは、関心を持ってるからこそ!です。そうでなければできません。愛の関心がなければ、教会や信者がどうなってもほったらかしでしょう。

「だれかが弱っているのに、わたしが弱らないでおれましょうか?だれかがつまずいているのに、わたし自身が燃えないでおれましょうか?」なんて、感動的な言葉もあります。(第2コリント11:29)

時折、厳しい言葉を語るのも、まさに親が子を愛し思う気持ちからでありましょう。

「わたしがこれらの事柄を書くのは、あなたがたを辱めるためではなく、わたしの愛する子供として諭すためです。
たとえあなたがたがキリストにあって、導く者を一万人持っているとしても、多くの父がいるわけではありません.というのは、わたしがキリスト・イエスの中で、福音を通してあなたがたを生んだからです。
こういうわけで、わたしはあなたがたに勧めます.わたしに倣う者になりなさい。
このことのゆえに、わたしはテモテをあなたがたに送ったのです.彼は主にあって、わたしの愛する忠信な子であり、わたしが至る所のあらゆる召会で教えているとおりに、キリストにあるわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせるでしょう。」

(第1コリント4:14−17)

その霊のとりなし

「・・・同じように、その霊もわたしたちの弱さを担って、助けてくださいます.なぜなら、わたしたちはどのように祈ったらよいのかわからないのですが、その霊自ら言い難いうめきをもって、わたしたちのためにとりなしてくださるからです。」

ローマ8:26より


とりなす霊は、わたしたちのためにとりなすことによって、わたしたちを助け、わたしたちに同情し、わたしたちを支え、わたしたちを慰め、わたしたちを保持します。時には、わたしたちは弱いと感じ、意気消沈するかもしれません。しかし、わたしたちの内側には、そのような時でさえ、わたしたちを支え、保持し、励まし、慰めるものがあります。わたしたちは弱いのですが、内側には保持するものがあります。ある種の祈りがわたしたちの内側で、わたしたちのために進行してさえいます。これがとりなす霊の働きです。その霊は、あらゆる状況においてわたしたちを助けてくださいます。なぜなら、彼はわたしたちの必要、問題、短所を知っているからです。そして彼はわたしたちに同情し、わたしたちを保持し、わたしたちを支えます。

イエスが来た目的

「・・・わたしが来たのは、羊が命を得、しかも豊かに得るためである。」

新約聖書 ヨハネによる福音書10章10節より イエスのことば。



上に引用したとおり、イエスがこの地上に来られたのは、信じる者に命であるご自身を得させるためです。

この命は人が生まれながらに持っている肉体の命ではなく、神ご自身の命であり、イエスそのものであります。

しかも彼は信じた者に一度だけ命を得させるだけでなく、「豊かに」命を与えたいと願っておられます。
最初は種のように小さい命ですが、これが信者の内で豊かに成長することを、彼は願っておられるのです。

御子に口づけせよ

昨日は主の愛らしさを考えていたら、なんだか彼を抱きしめて口づけしたくなってしまいました。

主イエスは知れば知るほど、愛すべき方ですね。

そういえば聖書に登場する人で、やはりイエスに口づけをした人がいました。マグダラのマリヤです。彼女ほどイエスを愛することができたらいいなと思いました。

またこんな言葉もありました。彼に口づけせよと命じています。


「御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。」

詩篇2:12


(話がずれますが、なんと旧約にも「御子」って言葉が出てくるんですね!)

「御子に口づけせよ」とは、主を愛しなさいということですね。愛さずにはいられませんよ、こんな素晴らしい方を知ってしまったら。


「『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』。これが大切な第一の戒めである。」

取り除かれた肉の誇り

最近どうも集会に出られません。体調が悪いです。

それでも頻繁にメールや電話をくれる人たちがいて感謝なのですが、やはり日曜は弱って家で休んでるのではなく、集会に出ていたいのがクリスチャン・マタリーの本音です。

どうしてこうなっちゃったのかなあ・・・と考え出すと、発病の経緯やそれ以前の会社や学生時代とか、かなり昔のことまで遡って考えてしまいます。

しかもずっと集会に出ていないと、みんなが楽しそうにしてるのに溶け込めなかったりして、「これじゃあ行っても自分の居場所は無いな・・・」とか考えはじめてしまいます。

それでハッとしたことがありました。

若いころ、それも学生時代。よく自分より少し年上の人が、大学進学や就職をきっかけに教会から遠ざかりがちになっていくケースを見ることがありました。

おとなになるにつれて環境が新しく、またより厳しいものになり、世の荒波でもまれるようになると、信仰生活も揺さぶられますもんね。

今はそういうことも理解できるのですが、当時は解りませんでした。

だから大きな集会とかでみんなが盛り上がってるところに、昔は元気だった誰かが元気なさそうにしているのを見ると、よく「あの人は忠実さに欠けているからあーなってしまったんだ。俺はあーはならないぞ。」と思ってました。
熱心であれば信仰生活が維持できると思っていたのです。しかしそれは自分の力に信頼することであり、主に依り頼むことが必要であることをわかっていませんでした。
で、今になって思い知らされているわけですが。本当に信仰生活は、主が必要です。若い甘ちゃんのうちは、自分の熱心でなんとかなるかも知れませんが、この世はそんなにあまくないです。

まあそういうわけで、一時的に教会で孤独感を味わい、「ああ!あの人たちがみんなと共に喜べないでいたのは、こういう気持ちだったんだ!」と、はじめて彼らの気持ちに触れました。(遅いねぇ悟るのが)
あ、『他の人を計るものさしで自分も計られる』とは、このことですね。

つらかったろうな・・・こんな気持ち。

よし、元気になったらこういう人たちを裁かないのはもちろん、もしそういう人を見かけたら、放置したりしないで、できれば共に泣ける人になろう。いや、ならせてください、主よ。

幸いわたしは捨てられたわけじゃないし。現に調子が悪ければ、連絡をくれる人がいる。主は本当に、傷んだ葦を折ることも、くすぶった灯心を消すこともしないんだと実感します。

喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く。やっぱりこれですね。これが主の道だ。主はそういう方だ。

そういえば主はラザロが死んだ時、姉のマルタやマリヤのところへ行って、そこで涙を流されたんだったな。

でもよかった。これでわたしの肉の誇りが一つ取り除かれたのだから。「自分は熱心に教会生活を続けている」という自負みたいなものが打ち砕かれて、えらそうな顔ができなくなったのだから。ハレルヤ!


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