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私は年齢のわりに社会経験が乏しく、精神的にも未熟で、何の芸もない、つまらない男です。
別に卑屈になっているのではなく、事実そうなのです。
ですからよく他人を見ては、自分の情けなさに落ち込んでしまいます。
しかし最近、そんなときの心の反応が変わってきました。
「おかげで高ぶらなくて済む。感謝だな」と思うようになりました。
劣等感が、実は自分を高慢から守ってくれるのです。
もし自分が他の人よりも優れていると思っていれば、それは高ぶりであり、危険です。そんな人間が神と人に仕ようとすれば、有害です。
私は何者でありません。誰にまさる者でもありません。しかし、主は私を愛してくださっているのです。
神の恵みも川が低いところへ流れるように、へりくだった者に流れます。
ペテロの第一の手紙は言います。
5:5 ・・・なぜなら、神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
劣等感に限らず、私たちを制限する事柄の多くは、実は私たちを守ってくれるのです。
ダビデは平和な時に人の妻を見て、姦淫を犯しました。戦いに参加してるようなときは、このような事はありませんでした。自由なときのほうが危険です。
「小人閑として不善をなす」とも言いますね。
最後にガラテヤ人への手紙を引用して終わりにしたいと思います。
6:3 だれでも、自分が何者でもないのに、自分自身をひとかどの者と考えているなら、自分を欺いているのです。
6:4 そこで各自に、自分の働きを吟味させなさい.そうすれば、自分だけには誇ることができても、他の人には誇れなくなるでしょう。
追伸 へりくだるのは結構ですが、私のように無芸無能よりは何かできたほうがいいですね。そのうえで謙遜であれば理想だと思います。
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