Jesus diary

療養中のクリスチャンです。レスが遅れたり、できない時もありますがご容赦ください。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

解放

一生懸命になって立派なクリスチャンらしくあろうとするのは、律法によって義とされようとすることと同じですね。

ガラテヤ人を笑う資格はありません。

新約聖書にガラテヤ人への手紙があるのは、そのような誤りを気付かせるためではないでしょうか?

自分がガラテヤ人のようにユダヤ教に逆戻りしていると思っているクリスチャンは少ないかもしれませんが、新約聖書が律法と化してる人はいっぱいいると思います。

「自分にはできない」と認め、イエス・キリストの救いが必要であると認識する必要があると思います。

前回は解説ばかりで難しい話になってしまいましたので、わかりやすいように自分の話をさせていただこうと思います。

わたしはずっと神を愛するよう努めてきました。どんなに苦しくても、時には神が嫌いになっても、我慢して忍耐して。

神を愛することは間違っていませんが、↑これって愛してない時もあるのがバレバレですよね?
愛してる時もありました。調子のいいときとか^^;
でも「神を愛することなんてできない!」って思ったことも、正直何度もありました。
それでもなお愛そうとして努力して苦しんでました。これってなんだか、悲壮感ただよってませんでしょうか?

「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」なんて無理なんですよ、人には。少し愛することはできても、ここまでして愛することは無理です。

↑この言葉、間違ったことは言ってません。しかしこれも律法の言葉なのです。律法の目的は「自分にはできない」と悟らせるためにあります。

ですからわたしは、自分の主に対する愛に信頼しません。それは必ずしもあてにならないからです。

それより神のわたしたちに対する愛に信頼したほうがいいです。彼の愛は強力です。

雅歌にはこうあります。

「わたしをあなたの心に置いて印のようにし、あなたの腕に置いて印のようにしてください。愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです。」

(雅歌 8:6 より)

また使徒パウロも言っています。

「なぜなら、死も、命も、天使たちも、支配たちも、現在の事柄も、来たるべき事柄も、力も、高いものも、深いものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないと、わたしは確信するからです。」

(ローマ人への手紙8:38−39)

これだけ強い神の愛こそ、わたしの希望であって、自分のあてにならない愛には信頼しません。

全1ページ

[1]


.
マタリー
マタリー
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(5)
  • いつくしみ
  • 寺内秀明
  • 近い人
  • レベキ監督牧師
  • だいすけ
友だち一覧
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

Yahoo!からのお知らせ

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事