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このトピックについて、引き続き書いてみようと思います。 コリント人への第二の手紙13章14節には、こうあります。 「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように。」 この箇所の回復訳聖書の注解がとてもいいので、一部抜粋します。 「この節は、神格の三一が、組織神学の教理的理解のためではなく、三一における神ご自身が、選ばれ贖われた人々の中へと分与されるためであることを、強く証明します。聖書の中で三一は、決して単なる教理として啓示されていません。それは常に、神と彼の被造物との関係、特に神が創造された人、とりわけ彼が選び贖われた人々との関係について啓示されているか、あるいは述べられています。」 この注解の文章には、まだ続きがあってそれがまた素晴らしいのですが、長いので割愛させていただきます。関心のある方はぜひ「オンライン聖書-回復訳」のサイトで読んでみてください。 さて、注解にもあるとおり、三一の神は教理的理解のためにおられるのではなく、ご自身をクリスチャンに「分与する」という経験のためにおられることが分かります。 14節本文に、恵み・愛・交わりと、実際の経験に関わることが書かれているとおりです。恵みも愛も交わりも、完全に経験の問題です! 最後にあるエピソードを記して、この記事を終えたいと思います。 ある集会が終わったあと、一人のクリスチャンの女性が深い幸せを感じたように、「今日の集会に出られてよかった。恵まれた〜」と言っていました。 この女性は三一についての詳しい教理的理解はよく知らなかったかも知れません。しかし「恵まれた〜」という言葉に表れているように、彼女はその集会によって、確かに恵みを受けたのです。 イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりは、三つのものではなく、実は一つのことの三つの面です。この女性は「恵まれた」と言いましたが、実はイエス・キリストの恵みだけでなく、神の愛と聖霊の交わりも同時に経験していたのです。 (このことについても注解の一番最初に書かれているので、読むことができます。) 以上、考察を終わります。
神聖な三一の神聖な分与を感謝します! |
回復訳聖書を読む
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日本語の聖書にも、さまざまな翻訳があります。
ここでは日本福音書房発行の新約聖書「回復訳」のすぐれた点についてご紹介していきたいと思います。
回復訳聖書には、ギリシア語原典に忠実な聖書本文に加えて、各書のアウトラインやフットノート(注釈)が付いており、聖書を理解するうえでとても大きな助けになります。
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昨日は使徒行伝4章33節を朝に食べて、霊的に養われました。 4:33 使徒たちは大いなる力をもって、主イエスの復活の証しをした.そして、大いなる恵みがすべての者の上にあった。 ここを祈り読みしていて思ったのですが、「復活の証しをした」というのは、イエスが復活させられた事を宣べ伝えただけではないと思いました。 そこで回復訳のフットノートを読みますと、 「使徒たちは、復活したキリストの証し人でした。彼らは言葉だけでなく、彼らの生活と行動によって、特に彼の復活の証しを担いました」 こうありまして、やはりそうか!と思いました。 彼らは「わたしは復活であり」と言われた方、つまり復活そのものである主イエスと一つになって生活、行動していたのですね。また十字架を負うことによって、復活の領域にもたらされて生きていたのだと思いました。
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聖書が言っている福音とは、いったいどういうものでしょう? イエス・キリストが十字架にかかり、罪人の代わりに死んだので、信じる者は罪を赦され滅びることがない・・・ということでしょうか? 私は何も、これが福音ではないとは言いません。しかしこれは、福音の一部であって全部ではないと思います。 では福音って、いったい何でしょう? 使徒パウロはローマ人への手紙でこう言っています。 1:2 この福音は、神が彼の預言者たちを通して、聖書の中であらかじめ約束されたものであって、 1:3 御子に関するものです.この方は、肉によればダビデの子孫より生まれ、 1:4 聖別の霊によれば、死人の復活により、力の中で神の御子と定められたわたしたちの主イエス・キリストです. ここによれば、福音は「御子に関するものです。」(3節) そしてその御子はどのような方であるか?続く節に書かれています。 またテモテへの第二の手紙にも、このようにあります。 2:8 死人の中から復活させられた、ダビデの子孫であるイエス・キリストを、いつも思っていなさい.これがわたしの福音です. やはり同じようなことが書いてあります。 以上の節から、福音は御子そのもの、御子のパースン(つまりその人)、御子の存在に関係があると言えます。 簡単に言えば、イエス・キリストがどのような方であるか? これが福音です。 彼がどのような方であるかは、彼がどのような働きをされるか以上に重要です。 そしてこの方は、ダビデの子孫であり、死人の中から復活させられた方です。 これは彼が、神であると同時に人であることを言っています。 そして彼の人としての性質は、ダビデの子孫とあるように王の血を継ぐ威厳あるものであり、また復活により神の御子と定められた人性です。 人の性質が神の御子と定められた?? もともとイエスは神の子じゃないの?? 答えは以下のページを参照してください笑 わかりやすい解き明かしが掲載されています。 たとえば第二テモテ2章8節のフットノート3にはこうあります 「使徒の福音は、生けるパースン、キリストの喜ばしいおとずれです。このキリストは、神の性質と人の性質の両方を所有する方、受肉して人の子となった方、復活して神の子となった方です。ローマ人への手紙第1章1節から4節(ローマ1:1―4)は、同じことを言っている箇所です。」 ハレルヤ!彼は受肉して人の子となった神であり、復活して神の子となった人です! しかも聖書によれば、信じる私たちはこの方に似せられていく過程にあります。 これは福音、すばらしくよい知らせではないでしょうか?
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ローマ人への手紙から(回復訳) 1:2 この福音は、神が彼の預言者たちを通して、聖書の中であらかじめ約束されたものであって、 1:3 御子に関するものです.この方は、肉によればダビデの子孫より生まれ、 1:4 聖別の霊によれば、死人の復活により、力の中で神の御子と定められたわたしたちの主イエス・キリストです. 4節のフットノートから:ここの聖別の霊は、3節(3節)の肉と対照的です。3節(3節)の肉は、肉におけるキリストの人の性質を言います。同じように、この節の霊は、神の聖霊のパースンではなく、キリストの神聖な本質を言っています。 つまり4節の「聖別の霊」(英語では、the Spirit of holiness)は、3節の「肉」がキリストの人性について言っているのに対し、対照的に彼の神性について言っています。 聖書の翻訳ではよくあることですが、英語や他の言語のほうがニュアンスが伝わりやすいときがあります。 その意味でこの箇所は、日本語回復訳の「聖別の霊」よりも、英語のthe Spirit of holinessのほうがピンとくるのは私だけでしょうか? もっとも聖書で聖い(holy)と言う場合、それはすべて俗なものから区別されているという神の性質を言っているので、「聖別の霊」という表現も意味的には通ってますし、訳者の苦労が伺えます。 ちなみにこの箇所、他の日本語の代表的な翻訳では「聖なる霊」や「聖い御霊」などと訳されています。 前者は口語訳や新共同訳、後者は新改訳(第2、3版とも)で用いられています。 「聖なる霊」は悪くないと思うのですが、「聖い御霊」とすると三一の神の第三格位である霊なる神を指してしまう感じがします。キリストの神聖な性質について言及するこの箇所では不適切と思われます。 以上、簡単な考察を終わります。
(本当は翻訳からさらに進んで、この箇所の「福音」が「御子に関するものです」という内容のすばらしさについて語りたいのですが、時間の都合上ここまでとさせていただきます) |
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コロサイ2:3 このキリストの中には、1知恵と知識のすべての宝が隠されています。 ここのフットノート1には、以下のようにあります。 歴史によれば、ギリシャ哲学を含むグノーシス派の教えが広がり、パウロの時代に、異邦人の召会へ侵入していました。ですから、使徒はコロサイ人に、真の知恵と知識のあらゆる宝は、キリストの中に隠されている、と言いました。これは、キリストと召会に関する、神聖なエコノミーの霊的知恵と知識です。知恵はわたしたちの霊と関係があり、知識はわたしたちの思いと関係があります(エペソ1:8,17)。 すばらしい解説だと思います。
私はこのような方としてのキリストを知りたいと常々思っています。 |




