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まずはエペソ4章3節の口語訳と回復訳の違いを見てください。 4:3 平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。(口語訳) 4:3 平和の結合するきずなの中で、その霊の一(いち)を保つことを熱心に努めなさい(回復訳) いろいろ違う言葉遣いがありますが、今日は「一致」と「一」の違いについてお話したいと思います。 「一(いち)」というのは造語です。回復訳聖書など、日本福音書房の出版物ではたびたび目にします。 ここの原文は「エノテース」というギリシア語で、「一つであること、一つである現実」を意味します。 すなわち、「一つであることを熱心に努めて守りなさい」という意味なのです。 わたしの持っている織田昭氏のギリシア語小辞典では、(一致することではなく)というカッコ付きで「一つであること」と書いてあります。 一致と一は違います。 一致は複数のものが合わさったり、符号している状態を言いますが、一はすでに一つであるという事実を言っています。 すべてのクリスチャンの内には、聖霊という一人の方が住んでおられます。 多くのクリスチャンがいますが、内におられる方はお一人です。ですからクリスチャンは信じて聖霊を受けた時、すでに皆が一つにされているのです。わたしたちクリスチャンは、みな一つです! そしてパウロはこの箇所で、その一(oneness)を保ちなさいと言っているのです。 なぜなら目を覚ましていないと、わたしたちは一つであるのにサタンによってバラバラに分裂させられてしまうのです。 神はお一人です。彼のなされるみわざも、一つであるという特徴があります。それは彼が唯一の方であるという性質にしたがっています。 その反対に、サタンは一つのものを分裂させる働きをします。バベルの塔がそのよい例です。神の裁きによって言語が一つであったのを混乱させられた原因は、サタンに扇動された民が自分の名を高く上げようと塔を築いたからです。 (これが今日キリスト教が多くの分派に分かれている理由です。始めはともに集っていても、意見がぶつかりあったりすると、自分の意見を固守して自らを高く上げたいために一つであることを軽んじて分裂してしまうのです) さて、ヨハネの福音書で主イエスが十字架にかかる前、ご自身の民が一つになるよう何度も祈っておられます。 この主の祈りは、すでに私たちが一つであるという事実に矛盾しているかのように見えますが、そうではありません。 主は信じたわたしたちが聖霊によって一つとされるだけでなく、さらに完全に一つになるよう祈られたのです。 これについて語ると長くなりますので、話も脱線気味ですしここまでにします。 最後にたとえを用いましょう。主の食卓でわたしたちがあずかるパンは、一つです。 それを裂いてみんなのお腹に入っても、「みんなはいくつのパンを食べましたか?」と尋ねられれば、多くのパンではなく、一つのパンだと答えるでしょう。 これが一、ワンネスなのです。
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日本福音書房の出版物を見ると、たびたび「召会(しょうかい)」という言葉が出てきます。 |
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