|
ローマ人への手紙には「信仰から信仰へと至らせるのです」とありますが、ガラテヤ人は信仰から律法の行いへ戻ってしまったのですね。 |
聖書・信仰
[ リスト | 詳細 ]
|
一生懸命になって立派なクリスチャンらしくあろうとするのは、律法によって義とされようとすることと同じですね。 |
|
あなたが一番こわいものは何ですか? |
|
多くの人は自分を変えたい、変わりたいという願いを持っていると思います。 |
|
聖書の最初の2章と、終わりの2章は対応しています。 創世記の1、2章と啓示録の21、22章を対比すれば、多くの項目が対応しているのを見ることができます。 違いは創世記には否定的なもの、たとえば善悪を知る木が出てくるのに対し、啓示録の終わりでは命の木のような積極的なものしかないということです。 そのうち一つだけ、今日は見てみたいと思います。 創世記1章の、神による6日間の創造の記録は、クリスチャンの経験の絵です。以前の日記でも、たとえば「光よあれ」という言葉による光の創造が、人がイエスに出会って救われる経験を見せていることをお話しました(これはパウロがコリント人への第2の手紙4章で言っていることですね) さて、6日間の創造において、毎回次のような記載があります。 こうして夕があり、朝があった。第○日。 ここで注目したいのは、まず夕があり、そのあと朝が来ているということです。 ふつう私たちは、一日は朝に始まり夜に終わると思っているでしょう。しかしここでは逆です。 これはクリスチャンの経験を表しています。クリスチャンは時に夜のような暗い状態を通りますが、その後で朝がやってきます。夜があっても、朝が来ます! さいきん私も「夜」の経験を持ちましたが、やがて朝がやってきました! このような経験を繰り返し、最終的には 夜はもはやない。 という状態に至ります(啓示録22:5より)。ハレルヤ! しかしクリスチャンとして幼い頃は、「夜」の期間が長く、「朝」はあまり少ないというのが実感でしょう。 ですが成長するにつれ、夜の期間は減っていき、朝の時間が長くなるそうです。 箴言 4:18 義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。 このようにして、最終的に暗やみは完全に追い出されます。 夕があり、朝があった!ハレルヤ!
|




