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李完用と聞いて日本人の殆どが首を傾げるだろう。
かつての李朝についての知識がある人ならば、李朝末期の政治家・朝鮮併合時の総理大臣と答えるかも知れない。
では、韓国人に李完用の名前を尋ねればどういう反応を示すだろうか?
「売国奴」「国賊」「反逆者」「乙巳の五賊」「日帝の傀儡」等、自国の総理大臣であった者への評価としてはあまりにも酷すぎるものである。
日本でも、賄賂政治の元凶などと言われた田沼意次や恐怖政治で知られる井伊直弼など悪し様に罵られる為政者も少なからずいる。
だが、彼らについては反面の長所の部分を指摘する研究などもあり、日本ではいかに評判の悪い為政者であっても、一方的に罵られることはない。
それに対し、李完用について現在の韓国では、最初から最後まで悪口雑言の嵐である。
朝鮮併合を韓国人でありながら日本と結託し押し進め、さらには高宗を退位に追い込んだ朝鮮史上最悪の政治家と李完用は罵られる。
果たして彼は韓国人達がそこまで罵る程、彼は酷い政治家だったのであろうか?
李朝後期、朝鮮に作られた最初の西洋系学校「育英公院」の第一期生として1886年に入学し、英語を自在に操り当時の最先端の教育を受けている。
さらに、外交官として渡米するなど当時の朝鮮における数少ない「国際派」であった。
日本で例えるなら、同じく国際法に精通し日本最初の共和制政体を北海道に誕生させた榎本武揚(明治政府において北海道開拓使・逓信大臣・文部大臣・外務大臣・農商務大臣を勤める)のような人物だと思えば良いのかも知れない。
今でこそ、英語を話したり国際法に通じたりなど珍しくもないが、当時のアジアで西欧教育を受ける事自体が最高のエリートであることを示していたのである。
李完用は、その後も朝鮮政府の重職を歴任し、学部大臣・外部大臣・農商工部大臣を務めている。
まずもってこの経歴を見ただけでも彼がただ者ではないことがよく分かる。
自己保身と出世栄達しか考えない無能の輩が、一国の大臣職をかくも勤めることが出来るはずはないからである。
またこの頃より、李完用は初代統監の伊藤博文とも親交を持ち、その政治手腕を伊藤博文ですら賞賛するほどであったと伝えられている。
さらに、1905年の日韓保護条約締結に際しその締結を促し、その「功績を認められて」議政大臣代理に任命され、1907年より朝鮮で最初の内閣総理大臣(役職名として初めて)となっている。
李完用がどの辺りから朝鮮と日本の合邦を考え始めていたかは定かではないが、日韓保護条約の前後で、朝鮮きっての国際派であった彼は当時、末期症状であった將ゥを自力更正不可能と見ていたのは間違いないだろう。
韓国人はこの辺りの事実を認めたがらないが、李朝末期は完全に国家としての機能を失っていたと見て間違いはない。
当時の朝鮮を訪れた外国人達の意見を素直に聞くならば、その様子を理解出来るだろう。
さて、ここからが李完用を「逆賊」たらしめている部分に関わってくるのだが、1907年6月オランダのハーグで開かれていた国際会議にこともあろうに高宗が密使を派遣し、日韓保護条約が日本の強制によって結ばれ向こうであると訴えてきたのである。
保護条約締結の際、それを認めてきた米国、英国など欧米各国はこの密使を完全に無視している。
むろんこの密使事件に対する日本の怒りは凄まじい物であった。
条約違反として実力行使でもって朝鮮を征伐する事も本気で検討している旨を日本政府は李完用首相に伝えたのである。
これを受けた李完用は閣議を主催し、その席で内閣の意志として国王高宗の責任を追及する事を決定した。
事実関係で見るならばこれは当然のことである。
日朝両政府の合意の元で結ばれた条約をいかに国王とはいえいきなり無効だと訴え、それも日本の面子を潰しかねない国際会議の場に密使を送るなど狂気の沙汰である。
もし当時の朝鮮が日本と一戦交えてでも自主独立の構えを取っていたのなら話は分かるが、むろんそのような政策を朝鮮の内閣は持ってはいなかった。
となれば、日本と戦争になりかねないような行為を行った国王にその責任を追及するのは内閣として当然だと言うことだ。
結果として高宗を退位に追い込み、純宗を朝鮮の新国王として迎えることになったのだが、朝鮮の国益を代弁する李完用首相は当然の事をしたまでで、彼には何らの落ち度もない。
なお、この高宗退位劇では一旦退位を宣言しながら、翌日の詔書では退位ではなく摂政をおいて政務を任せるとしただけだなどと支離滅裂な言動を高宗は取っている。
国王として潔く自分の所行に責任を取ることが出来なかった人物であることが、このエピソードからも分かるだろう。
李完用はこの高宗退位を受けて、無知蒙昧な庶民の反感を買い、暴徒に自宅に火を付けられるなど命がけの政治を行っている。
なお、日韓保護条約締結の際にも暴漢に刃物でめった刺しにされるなど重傷を負っている。(後にこのときの傷が元で李完用は他界している)
世界の歴史を振り返れば、数多くの悪の為政者たちが存在した。
自己保身・出世栄達だけを考え私腹を肥やし非道の限りを尽くしてきた為政者達も多くいる。
だが、そのような悪の為政者であったと言われる李完用は命を晒して朝鮮の未来のために尽力してきたのではないか。
悪し様に罵られるだけの為政者がここまで政治に命を懸けることが出来るであろうか?
また、李完用は公式の場において日本語を使うことは一度もなかった。
もちろん李完用は日本語を話せたのだが、朝鮮民族としての矜持を日本語を話さない事で示していたのである。
高宗に刃物を突きつけ退位を迫っただの、根も葉もない作り話で彼を罪人扱いする輩は李完用の本当の姿を全く知らないのであろう。
当時の朝鮮をよく会社に例える人がいる。
零細企業の「朝鮮」という会社は不渡りは出すわ、将来設計はないわ、会社内の規律も全くない状態のないないづくしの零細企業であった。
もはや自力再建は不可能で、後は倒産を待つばかりの状態だった。
そこで、最近ようやく芽が出始めた中小企業の「日本」という会社が、「朝鮮」の窮状を鑑み再建の手助けをすることにした。
取りあえず、出資金を日本が出し朝鮮へ役員を送り込み再建を計画した。
ところが、その朝鮮の「高宗」という会長が、これまで通りのワンマン経営で自分のやりたいようにやりたいと駄々をこね始めたのである。
ようやく再建の道が出来たばかりの朝鮮では会長の突然の乱心に混乱をきたし、社長であった李完用が決断を下し朝鮮の再建を邪魔しかねない会長を追放したのである。
結果として、会長派と社長派に社内は割れ、社長は会長派の社員に襲われる事態にまでなったががんとして朝鮮の再建への道を曲げなかったのである。
その後、朝鮮は出資金100%の日本の子会社となり存続したのである。
確かに、自国が他国と併合されることを心の底から歓迎する人間など「売国奴」でもなければまずいないであろう。
だが、国家が滅亡の縁に立ったとき、その国の為政者として自国の将来を少ない選択肢の中からどのように選ぶであろうか。
李完用は朝鮮は自力再建不可能と判断し、日本との合邦による再建の道を選んだのである。
そこには一点の私心もない、朝鮮と朝鮮民族の未来を考えた選択であった。
結果、朝鮮半島では李朝時代では無かった人口増加・インフラ整備・近代医療の導入・近代教育の普及・治安の回復・税制措置の優遇など李完用の決断は朝鮮半島に近代化という光をもたらした。
命を賭けて朝鮮の未来を繋いだ李完用こそ朝鮮史上最高の政治家である。
私は日本人であるが、朝鮮のために全てを捧げた彼の思いに敬意を払い、そして彼が命を賭けて守った韓国で悪し様に罵られる姿を見るたびに、彼の無念を思い涙するのである。
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