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皆様お久しぶりです。少々長いですが良質な映像を是非ご覧ください。そして拡散お願いします。
”戦後70周年に向けて 「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」映像集”
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皆さんは、日本が独立国として承認されていると思いますか?これだけ国際利権に好きなようにされても黙っているわけですから、どう考えても独立しているようには思えませんよね。
実際のところ条約上、日本は今でもアメリカの保護下にあります。「いや、日本はサンフランシスコ講和条約(1951年)によって独立を認められている」という人がいたら、私は「ちゃんと条文を読んで下さい。日本語は正文ではないので、英語版を読んで下さい。日本の独立は正文上ではとても曖昧です」と答えるでしょう。 〔※補足〜苫米地英人 著『脳と心の洗い方』より該当する記述を(1つの解釈として)抜粋: 実際にサンフランシスコ講和条約 San Francisco Peace Treaty(1951年)の英文原文を読んでみますと、条約が効力を発する翌年4月28日をもって終戦を宣言する第1条(a)に続く、独立を認めたとする第1条(b)の文面は、“The Akkied Powers recognize the full sovereignty of the Japanese people oveer Japan and territorial waters”となっています。 これは、日本語訳では「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全なる主権を承認する」と訳されています。訳文は確かに、「日本国」の独立を認めた文言にも読めます。ところが、原文は、Japanese people と小文字で people と言っているのであり、これは「日本人」もしくは「日本の人達」と訳すべきでしょう。「日本国民」と訳すのは誤訳です。 もちろん、sovereignty はフランス語語源で、ヨーロッパの伝統的な文脈では近代国家相互の対外主権と領土内の統治権の両方を表す言葉ですから、「主権」という訳語は誤訳ではないですが、統治権は人々にあるのであって、軍部や国家機関ではないという近代民主主義の理念を“full sovereignty of the Japanese people”と表現しているのであり、「領域の統治権は日本の人民にあると認識する」という統治権を表す文言には読めますが、日本という国の独立を認める意味での「対外主権」を表している文言と読むには無理があります。 事実、同条約第2条以降は、対外主権の定義である、国としての最高独立性を強く制限しているのであり「対外主権」を表す言葉とするならば full という言葉と本質的に矛盾しています。 また、sovereignty という言葉は、合衆国である米国では、元々各州に独立的自治権を認めている用語として使われている用語であり、当時の米国の政治環境並びにアメリカ史の連想から言えば、当時のアメリカ英語を現在の日本語のセンスで翻訳すれば「自治」という程度の用語でしょう。 ですから、「連合国は日本の人民による日本とその領海の充分なる自治を認める」程度が本来の翻訳でしょう。また、サンフランシスコ講和条約の日本語訳では、その後も Japan という言葉は全て「日本国」と訳していますが、原文では一度も国としての Japan を示唆する用法はありません。単に、Taiwan とか Ryukyu Islands といった territory を表す中立的な用語として、Japan という文言が使われているに過ぎません。 サンフランシスコ講和条約には、Japan という territory には Korea は入らない等々、延々と、Japan という地域がどこからどこまでかということが書かれているのであり、条約全体の文脈からも、Japanは「日本」というサンフランシスコ講和条約で定義される領域を示す単語として使われており、国を表す言葉と読むのは、麗し過ぎる誤訳です。 条約の Japan は「日本国」ではなく「日本」と訳すべきところを、日本語訳のほうで、「日本国」という独立国が認められたかのような訳し方を意図的にしているだけです。少なくとも、主権国家の定義である「国内統治権」と、「対外主権」の2つのうち、半分の統治権しか認められていないことは間違いないでしょう。 サンフランシスコ講和条約の最後の一文は、こうなっています。“DONE at the city of San Francisco this eighth day of September 1951,in the English,French,and Spanish languages,all being equally authntic,and in the Japanese language.”(中略)all being equally authentic つまり「全て等しく正文」であるのは、英語、フランス語、スペイン語版だけなのです。その後にカンマで区切られて and in the Japanese language となっています。 訳せば「1951年9月8日にサンフランシスコ市で成立した。英語、フランス語並びにスペイン語各版において全て等しく正文である。そして、日本語版も作成した」と書かれているのです。つまり条約として有効なのは、英、仏、西語の文章のみであり、日本語訳はあくまで参考ということです。 ところが、和訳では、「1951年9月8日にサンフランシスコ市で、等しく正文である英語、フランス語及びスペイン語並びに日本語により作成した」とされている。これでは日本語版もまるで正文のように日本人に読ませる訳文です。 1951年10月26日には、衆議院でこの日本向けの和訳文である講和条約の「日本語正文」が承認されていますが、実際のところは「日本語正文」というのは存在しないのですから、正式には国会はサンフランシスコ講和条約を批准してはいないということになります。 条約として有効な英語、フランス語、スペイン語版の条約原文と、日本人に「独立国」としての幻想を与える為の、条約文としては正文ではない、日本人向け超訳版というのが分けられて作られていたということでしょう。 これが憲法なら原文が英文でも日本の国会で成立すればその日本語訳が効力を持ちますが、条約は英、仏、西語のみが効力を持つのですから、条約の原文を読む限りでは、調印した国連各国は、日本を独立国家として承認しているとは、どうしても私には読むことが出来ません。もちろん、連合国だけでなく当時の吉田内閣も、日本人には、独立国として認められたと思わせたかったのでしょう。 吉田 茂(1878−1967)の説得により野党からただ一人全権として参加した保守第2党民主党の苫米地義三(とまべち ぎぞう 1880−1959)最高委員長はこの麗しき誤訳をどう読んでいたのでしょう。 靖国問題で有名な第11条の極東国際軍事裁判所の判断維持や第14条の賠償責任条項などまで条項を読むと、英文原文では、サンフランシスコ講和条約は、日本の独立を宣言するものでは決してなく、単純に日本の敗戦と領土の放棄並びに賠償責任を明確にし、その上で、米国の州の1つという意味程度の自治を日本の人々に認めようというレベルの文書にしか読めません。 現在もこの条約が有効である以上、英文、仏文、西文で条約を読んでいる国連加盟国の国々にとっては、日本はいまだ独立国ではないのだろうというのが私の率直な感想です。国連が現在でも日本に対する敵国条項を削除しようとしないのも、こういうところから来るのでしょう。(中略) 1951年9月7日に吉田 茂主席全権は、サンフランシスコ講和会議でのスピーチで以下のように語っています。“It will restore the Japanese people to full sovereignty,rquality,and freedom,and reinstate us as a free and equalmember in the community of nations.” sovereignty を「主権」という言葉であえて私が訳せば、「これにより日本の人々が主権を十分に取り戻し、平等と自由を回復するものであり、私達を世界の民族のコミュニティに自由で平等な一員として再参加させるものである」ぐらいになるでしょう。 スピーチ全体を通して英文で示唆されているのは、日本の人々は、帝国主義により軍部に取られ失っていた主権を、この連合国との条約のお蔭で取り戻すことが出来たので、世界のコミュニティに再参加出来るようになります、という意味合いです。ところが、当時の内閣は「連合国の占領から、この条約で日本国が独立国家としての主権を取り戻した」といった意味合いで訳し、国会に報告しています。これも誤訳です。 吉田 茂首相のスピーチを全文読みましたが、文章からアメリカ人によって書かれたものであることは明らかで、その日本語訳を吉田 茂首相は読み上げただけだというのが真相です。米国側公文書の資料ではそう記録されています。このスピーチの英文原文の本意は、決定権が帝国軍部から日本の市民に移り、民主主義を標榜することになるので、国際連合の世界に参加出来るようになりますという意味合いです。 サンフランシスコ講和条約そのものも、会議場での吉田首相のスピーチも、連合国としては、①日本の自治は日本の人民に任せるという民主主義の合意、②但し対外主権を含む国としての最高独立性は留保し厳しく制限する、というものであり、それを、条約文や吉田首相のスピーチを麗しき誤訳をすることで日本国が対外主権国家として独立したかのように日本人に幻想を抱かせるという絵であったと見ます。 もちろん、そういう意図的な誤訳は連合国も承知の上で、もしくは連合国によるもので、これにより見えない情報コントロールを続けたということでしょう。(中略)日本は、当時のGHQの落し物のような洗脳社会のまま、タイムマシンのように現在に至っているように感じられるのは私だけでしょうか。現実問題として、日本はサンフランシスコ講和条約で独立国として承認されたのではなかったというのが、現在の社会情勢からも示唆されることではないでしょうか? サンフランシスコ講和条約に調印しなかったソ連との冷戦時代、日本の共産化を防ぐ、朝鮮半島での不安、極東の安全保障の維持を優先するなど色々な理由があったと想像されますが、GHQ撤退後も日本は事実上情報コントロール下にあったというのは間違いないでしょう。 アメリカ合衆国が大英帝国から独立した時の独立宣言文(Declaration of Independance)には、“as free and independent states,they have full power to levey war,conclude peace,contact alliances,establish commerce,and to do all other acts and things which independent states may of right do.”(諸邦は、自由にして独立な国家として、戦争を行い、講和を締結し、同盟を結び、通商を確立し、その他独立国家が当然の権利として行い得るあらゆる行為をなす完全な権限を持つものである)とはっきりと、full power という文言と independent という言葉が書かれています。 このどちらの語彙(ごい)も、サンフランシスコ講和条約の文言にはありません。独立宣言の名文を暗記するほど読んだであろうアメリカ合衆国のトップが、わざわざ full power,independent という言葉を避けたこと自体が日本の独立を承認していないことを示唆しているでしょう。 事実、第2条以下第27条まで、条約は延々と、自由にして独立した国家として、戦争を行い、講和を締結し、同盟を結び、通商を確立するなどの完全な権限、つまり対外主権を持つことを厳しく制限する条項が並んでいるのが、サンフランシスコ講和条約なのです。ですから、日本は先ずしっかりと国として「独立宣言」をする、もちろん、日本の「独立宣言」と共に、国連憲章からの日本の敵国条項の削除を求めるのは最低でも必要でしょう。(後略)〕 今私が言いたいのはサンフランシスコ講和条約の話とはまた違った話です。もっと単純で、事実として日本は独立していないから独立国ではないと言っているのです。他国に実効支配されていたら、独立国とは言えないからです。それは竹島のことではありません。北方四島の話でもありません。東京都の話です。 皆さんが関西から飛行機で東京に行くとしましょう。すると飛行機は真っ直ぐ東京には向かわずに東京湾のほうに大きく迂回して千葉県側から羽田空港に降り立つはずです。わざわざこんな大回りをするのは何故でしょうか? 私はたまに自家用ヘリコプターで東京や神奈川の上空を飛ぶ時があります。その際、管制塔とのやりとりは英語です。日本国内で、日本人同士の会話なのに空では英語を使わなければいけないのです。これは何故でしょうか?そして、管制官から度々言われるのが、「上空で一時待機しろ」という指示です。一体何故上空待機しなければいけないのでしょうか? その答えは米軍です。東京や神奈川上空には米軍の戦闘機の航行ルートがある為、民間飛行機はそれを避けるように東京湾に迂回するのです。私のヘリコプターは米軍ジェット戦闘機が通り過ぎるのを待つ為に空中停止をさせられるのです。管制塔と英語でやり取りするのは、そのほうがアメリカにとって分かり易いからです。 更に東京・六本木にある国立新美術館の隣には米軍の施設があり、毎朝晩ヘリコプターで通勤している人達もいます。日本人はたとえ自家用ヘリを持っていても六本木で離発着なんて出来ませんが、米軍は出来るのです。つまり、米軍は日本の制空権をいまだに握っているのです。防衛省の実力事務次官だった守屋武昌(もりや たけまさ 1944−)氏は著書でこう述べています。 < 「現在でも東京の港区、渋谷区、新宿区、西部地域の上空7000メートルまでは、米軍の空域となっている。朝鮮戦争 Korean War(1950〜1953)の際ハワイ、グアムの米軍基地から最短距離で朝鮮半島に至る航空路がそこにあり、東京、神奈川、山梨、長野、そして新潟のそれぞれ一部は、現在でもコリドー(回廊)として米軍が使用しているからだ。 西日本や北陸から羽田空港に向う民間航空機が伊豆大島から高度を下げ、銚子から回りこむようにして羽田に着陸するのは、この空域を避けて飛ばなければならないからである。日本は占領期のままではないのか」(守屋武昌 著『「普天間」交渉秘録』新潮社 2010年刊行) > これが日本のリアルな現状なのです。米軍に制空権を握られている以上、日本は占領下のままであり、本当の独立国家とは言えないのです。もしも「いや、一部の空を握られているだけじゃないか」と思ったとしたら、大きな間違いです。一部の空ではなく、首都の空です。 しかも、別に有事でも何でもなく、普段から民間旅客機は米軍の為に首都上空を迂回しているのです。事実上の日本の軍隊である自衛隊にさえ、こんな権限はありません。自衛隊が戦闘機の通り道だから民間機は迂回しろなどと言ったら大変なことになります。 ちょっと思い出して下さい。リビアの反政府勢力がカダフィ大佐 Muammar al-Qaddafi(1942−2011)の政府勢力に押された時、国連が発動したのがリビア上空の飛行禁止空域の設定でした。制空権を取られたカダフィ大佐はあっと言う間に勢力を縮小させられてしまいました。 戦争をする上で大切なのは制空権を取れるかどうかですが、日本は既にそれを取られていると言えませんか?百歩譲って同盟国だからいいじゃないかという意見があったとしても、自衛隊にその権限が無く、米軍だけが持っているのはやはり問題でしょう。守屋元次官も書くように、日本はまだ事実上占領されたままなのです。 〔資料〕麻布米軍ヘリ基地とは? By 麻布米軍ヘリ基地撤去実行委員会(PDF、全2頁) http://home.att.ne.jp/sigma/azabu/news/n12-01/2012flyer_c.pdf 〔資料〕関連資料集 - 麻布米軍ヘリ基地撤去実行委員会ホームページ http://home.att.ne.jp/sigma/azabu/docmtop.html http://home.att.ne.jp/sigma/azabu/docum/toukyoto/genkyo02.html 〔資料〕都内の米軍基地 - 東京都知事本局基地対策部 http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/kiti/tonai/tonokiti.htm 〔資料〕東京都の米軍基地対策:首都圏の管制区分 - 東京都知事本局基地対策部 http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/kiti/kuiki/kuiki.htm 〔資料〕≪関岡英之 著『国家の存亡―「平成の開国」が日本を滅ぼす』 より抜粋(7)≫|MelancholiaⅠ ※【日経・CSISバーチャル・シンクタンクの顔触れ(新自由主義者達の饗宴)】 【CSIS-HGPI】細川佳代子 【三極委員会】 http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11076818385.html 〔資料〕日本人が知らないニッポン - THINKER http://www.thinker-japan.com/thinkwar.html 〔資料〕Ernest Ropiequet Hilgard(1904−2001) - Wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_Hilgard 〔資料〕米国教育使節団報告書(要旨)1946年3月31日|文部科学省 ※Ernest Ropiequet Hilgardの名前あり http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_034.html 〔資料〕日本はサンフランシスコ講和条約で独立国として承認されていなかった!?(苫米地英人著『脳と心の洗い方』より抜粋) - Anti-Rothschild Alliance http://rothschild.ehoh.net/material/36.html 〔資料〕日本人が頭に入れておくべきこと 1〜2 - 山本正樹オフィシャルブログ 2011年10月22日、11月2日 http://www.yamamotomasaki.com/archives/714 http://www.yamamotomasaki.com/archives/723 〔資料〕日本人が知らない 恐るべき真実 研究ノート目次:アメリカの占領政策、他 - Anti-Rothschild Alliance http://rothschild.ehoh.net/truth/part3/find.html 〔資料〕1942年6月米国「日本プラン」と象徴天皇制 By 加藤哲郎(『世界』2004年12月号掲載文) - 加藤哲郎のネチズン・カレッジ http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan.html 〔資料〕George R. Packard著, 森山尚美 翻訳『ライシャワーの昭和史』(講談社 2009年刊行) http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8F%B2-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BBR%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89/dp/4062151952/ |
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↑ 「ノーベル平和賞」というペテン!?
白人は何処でも土地と資源は自分の物だと思っている。日本はアジアを侵略したと言われるが、米国、オーストラリア、カナダ、メキシコ、ブラジル等、世界中白人に侵略された所ばかりだ。白人以外が「進出」すると「侵略」だと言い懲らしめ、自分達が侵略すると既成事実化して正当な権利だと考える。白人が多い国は必ず白人が政治的にも経済的にも文化的にも権力を握る。
白人による植民地化や白人の文化的・思想的影響がなければ、世界が今ほど発展していたかどうか疑わしい。しかし、だからと言って他の人種が白人に従属するというシステムは不公平だ。中国の台頭もあって今後人種間の関係に変化が出るだろうが、白人達は優位が脅かされるとどんな汚い手を使ってでも白人中心の世界を維持しようとするに違いない。
大東亜戦争(太平洋戦争)の本当の原因と敗戦後の日本、そして国際社会の根深い本質と真実が分かるような気がした。
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中国兵たちの悪行に辟易していた南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた。 これは日本軍の入城式の日(1937年12月17日)に、食糧やタバコの配給を受け、 歓声をもって迎える南京市民ら。市民がつけている日の丸の腕章は、民間人に化けた 中国兵ではないことを証明するために、日本軍が南京市民全員に配ったものである (毎日版支那事変画報 1938.1.11発行) 南京市民に食糧等を配る日本兵たち。(イギリス系新聞 「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」1937.12.24付 南京占領の11日後) 南京市民と楽しく会話する日本兵ら (1937.12.20撮影 南京占領の7日後 支那事変写真全集1938年刊) 日本軍による南京占領5日目の朝日新聞 (右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。 (中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。 (中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。 (左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手製の日の丸の腕章をして笑っている。 (朝日新聞 1937.12.18付) 南京占領8日目の朝日新聞。タイトルは、「きのうの敵に温情《南京城内の親善風景》」 (右上) 治療を受けている中国傷病兵 (左上)日本軍将兵の情に食欲を満たす投降兵 (真ん中)中国人のお店で買い物をする日本兵ら (右下)山田部隊長と語る敵の教導総隊参謀、沈博施小佐 (左下)南京城内でくつろぐ中国人市民ら (朝日新聞1937.12.21付) 南京の病院の中国負傷兵と看護する日本兵 (ノースチャイナ・デイリー・ニュース 1937.12.18付 南京占領の5日後) 中国負傷兵を看護する日本の衛生兵 (南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊) 「中国人は日本人カメラマンが行くと、積極的に子供をかかえて撮影に協力してくれる。 日本兵や日本人を恐れていなかった」 (カメラマン佐藤振寿氏。南京占領の2日後 1937.12.15撮影 南京安全区にて) 日の丸の腕章をつけ、通りで野菜を販売する南京市民(1937.12.15 南京占領の2日後) 疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵 (南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日グラフ 1938.1.19刊) 日本兵から菓子をもらって喜ぶ南京の家族 (1937.12.20撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊) 南京事件関係の写真の真偽を検証する本を見ていたら、面白い話が出てた。 反日謝罪活動をしている、元日本兵中国帰還者連絡会(中帰連)の本に 掲載されていた、南京の建物の前に並んで写る、足を切断し、松葉杖を ついた中国兵10名ほどの写真。いっしょに腕章をした日本兵も並んで写っている。
実際は、「日本軍衛生隊」に治療を受ける中国兵だったわけだ。 これが中帰連の正体というわけだ。 これまで本名で南京大虐殺を証言をした者は、ことごとく嘘であったことが確認されている ▼ 東史郎 一番有名な捏造者。 原本が存在しない創作をバラまいた。 中国は未だに真実扱い。 ▼ 中山重夫 戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが、場所と時間がコロコロ変わったので嘘がばれた。 ▼ 富永博道 当時は学生だったのに、自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。 経歴照会で嘘判明。 ▼ 舟橋照吉 東の懺悔屋成功に便乗し日記を捏造。 仮想戦記な内容であっさり×。 ▼ 曾根一夫 野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵下士官だと経歴と日記を捏造。 経歴照会で嘘判明。 強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。 後に捏造を告白。 ▼ 太田壽男 死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記 ( 捏造物の数々と違い、原本が確認できる ) により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった。 ▼ 富沢孝夫 海軍の暗号兵で、「 松井軍司令官の虐殺をいましめる暗号を傍受・解読した 」 と証言。 だが海軍の彼が陸軍の暗号を解読するのは不可能で、しかも証言日時に松井司令官は蘇州で入院。 ▼ 上羽武一郎 「 上官命令で強姦虐殺放火 」 と証言。 が彼は後方担架運びの衛生兵で、命令が出たとの史料もない。 このように、偽証言 ・ 偽手記 ・ 改竄記録が多く出回っている。 以下は、検証を受けるまでは堂々と真実として喧伝されていた、偽記録等の特徴。 ■ 原本が確認できない。 実物を絶対見せない。 ■ なぜか南京戦前後だけ詳細に記録。 しかも矛盾点や他の一次史料との乖離が異常に多い。 ■ 記録者証言者本人の経歴が実際と違う。 ■ 「 日本や日本軍は懺悔しろ! 」 と糾弾するが、
自身は償いに私財を投じることはなく、出版や講演で儲けている。 |
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日本人の非武装中立を考える左翼達は善行をしていれば平和は与えてもらえると信じてる。 |







