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ドキュメンタリー作家三浦淳子の日記。『さなぎ〜学校に行きたくない〜』が劇場、自主上映会で上映中!。

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渋谷アップリンクにて毎月連続上映中の

『さなぎ〜学校に行きたくない〜』

次回上映は3月1日 4月19日です。

「我慢して学校に行きたくない」という中学生の投書が掲載されたり

時論公論というような番組でも不登校がとりあげられる今日この頃

子どもの育ちについて、感じ考えるひとときを持ちたいと思います。

<第18回>3月 1日(日)15:00
 
<第19回>4月19日(日)15:20 
      
★ご予約をお願いいたします。

お問合せ:03−6825−5503

http://www.uplink.co.jp/movie/2013/15426

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「映像人類学ー人類学の新たな実践へ」という本で

「さなぎ」が撮影者と被撮影者の共同制作ー共有という視点で論じられています。

この本は、フランスのドキュメンタリー作家ジャンルーシュに関心を寄せる研究者達が

ジャンルーシュのこだわった、撮影者が被撮影者から映像を収奪するのでなく

「共有」することについて、それぞれのフィールドで論じています。

「さなぎ」について書かれた清水さんは、アカ族の村で2年もフィールドワークをされました。

そこでの撮影、上映経験と「さなぎ」から、映画をめぐる生の交差という章を書かれました。

清水さんとの出会いは『空とコムローイ~タイ、コンティップ村の子どもたち~』を

通じてだったのですが、実は、私の敬愛するジャンルーシュに造詣が深くておられることを知り

このようなつながりが生まれたのです。


「さなぎ」のパートを読んでいただきたいのはやまやまですが

それよりも、ドキュメンタリーにおける撮影者と被撮影者との関係や

ジャンルーシュがヌーヴェルヴァーグの作家たちに与えた影響についても

書かれている稀有な本ですので

ゴダールや、ロメールや、リヴェットに関心のある方たちにもおすすめです。

ジャンルーシュの映画は、日本ではあまり観る機会がありませんが

私はオムニバス映画「パリ、ところどころ」の中でジャンルーシュが監督した「北駅」を観て

ファンになり、彼の全作品を観るという目標をもって

文科省の芸術家派遣プログラムでパリに出かけました。

そこで得た映像体験は実に素晴らしいものでした。


ということで、この本はアマゾンなどでも買えますが

「さなぎ」上映の場でも用意しておきますし

アップリンクの書棚にも置いていただきましたので、ぜひ、お手にとってみて下さい。

(図書館派の方は、横浜市立図書館や東京都立図書館にもあります)

9月21日のアップリンクさなぎ連続上映会は13時20分からです。

http://www.serica.co.jp/333.htm

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さし芽の話題をもうひとつ。

鈴木志郎康先生のお宅のハイビスカスがきれいに咲いていたので

枝を分けてもらってさし芽をしたら

この夏、こんなにきれいな花がたくさん咲きました。

おかげさまで、南国にいる気分になれました。

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バラが咲いた!

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今年2月座間での上映会でいただいた花束の中のバラが、発根し

土に植えたら、なんと、花を咲かせました!!!

素晴らしい生命力ですね〜

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42年ぶりに小学校の同窓会が開かれ、先生と16人の同級生に再会しました。

「さなぎ」トークで喋り散らしているように、当時の私は泣いてばかりいる弱虫だったので

みじめな小学生時代に背を向けてきました。

でも、同窓会の何がおもしろいって、友人が自分のことをどう見ていたか、聞けたりもします。

やはり、あの頃の私をみんなどんなふうに観ていたのか知りたい!(怖いけど)

で、発見!

みうはよく泣いてたけど、なんで泣いてたんだろうね〜何でだろうね〜ははは〜

とか話していたら

「跳び箱飛ぶのがいやだって、主張してたよね。で、え〜この人は主張する人なんだって思った。

だから、映画作ってるっていうのもなるほど〜って気がする」と言われて、思い出しました。

跳び箱の開脚飛び!飛び越えられないと、骨盤の内側がぶつかって痛いんですね。

で、何度やってもできないから、このまま繰り返しても痛いだけで

無駄だからやりたくないって言った気がする・・・(笑)

当時、孤独な気持で自分の中に閉じこもっていた私を

友達がこんな風に見ていたのは恥ずかしくも嬉しい発見でした。

中学で私立の女子校に行ってからは泣くことはなくなったのですが、

考えてみると、小学校からそういう環境に行っていたら

あんなに泣く必要はなかったのか???

あの大量の涙は何だったのか???

当時は登校拒否や転校するなんていう発想はまったくなかったのですがね・・・

先生は、「よかったね。行った中学校があってたのね」と喜んで下さいましたが

「私は小学校にあってなかった」と考えると

さっさと「学校にあわせる」とか「あう学校に行く」とか「学校をあわせる」(←これは難しい・笑)

とかした方が幸せだったのか?

でも、今の私はそういう経験を経て出来上がっていると言えるかもしれない・・・

う〜ん、よくわからないですね〜

そんなある日、登校拒否・不登校を考える夏の全国大会というのに行って

心理カウンセラーの内田良子さんのお話を聞きました。

「実は多くのいじめを受けて亡くなった子供は、学校を休んでいなかったりします。

学校に行かなきゃと思うことで、追いつめられていく子どももいて

ゲームなどに集中するのは、その時間だけ奈落の底に落ちないでいられる

その子にとっての命綱だったりするんですね」

思い出してみると、いじめられて、傷ついていた私の心は、ちょっとつつかれるだけで

涙をどばどば噴出してしまうという感じだった。

泣いて騒いで、精神的危機を乗り越えようとしていたのか?

おかげで死にたいとまでは、思わなかったのか?

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