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田部井 淳子のHPはこちら→ http://www.junko-tabei.jp (その1からのつづき) 2008年10月4日(土) 涸沢の日の出の瞬間を撮影するので5時30分に昼寝岩と呼ばれる岩の上で 山々に日が射すのを待ちました。 日が昇ると黒かった山々の稜線がピンクに染まり、これも見事でした。 11時、いよいよザイテングラードを経て奥穂山荘へ向かいました。途中、黄色や赤のナナカマドが 緑のハイマツの中に光り輝き、本当に美しく、ひと登りする度に歓声をあげてました。 内多アナは岩のほうが疲れないねと軽快に登ってました。 昨日の疲れもないというので山に向いてますね。 奥穂山荘もたくさんの人で大賑わい。 韓国語も飛び交ってました。 夕方、ガスが湧いたり消えたりしていたのですが、日没の時には雲が消え、幻想的で本当に感激し、 涙が出ました。 10月5日(日) 山小屋の朝食は朝5時。並んだ順に椅子に座り、早々と出発してゆきます。 午前中、天気がもちそうなので私達も6時30分には奥穂高岳の山頂を目指しました。 まずは山頂からの風景を撮り、はしごの所の狭い場所は登山客がいなくなってから撮影しようとなりました。 高ぐもりですが、視界は良く、一歩ごとに風景が高くなり、気分は最高でした。 小屋に重い荷物を置いてきているので、背中のザックはテルモスと雨具、そしてカメラにおやつのみです。 カメラ班は先行し、私達が登ってゆくのを撮ってました。はるか下になった涸沢のテント場のテントの色もオレンジ、黄色、緑と紅葉しているようできれいでした。 次第に大きくなるジャンダルム、そして槍ケ岳が見えてきました。撮影しながらも1時間弱で山頂へ。 内多アナと思わずバンザーイです。 はるか下に上高地や梓川が見え、遠くは南アルプスまで見えました。折り重なる山並みの果てになんと富士山が!内多さんは今夏、この撮影の訓練にと富士山に登ったそうです。そして今、三番目に高い奥穂高の頂上にいるのだから、二番目の北岳にも登るようですね、と話したら、なんと「次はジャンダルムをねらいたい」と! 強気でした。岩登りっぽいほうが合っているようです。 若いころに歩いた槍、穂高、白馬岳や燕岳、常念岳などそうそうたる山々の群は立派ですね。 笠ケ岳も大きくびっくりしました。私はまだ笠ケ岳に登ってないので、ぜひ笠ケ岳から 双六岳、槍ヶ岳と縦走したいと思いました。 立ったままじっとしていると風が強いのでかなり体は冷えました。 テルモスに入れてきたお湯が温かく、皆で分けあって飲みました。さ湯がこんなにおいしいのですね。 苅田(かんだ)ディレクターはびっくりしてました。 韓国のパーティは岳沢へ降りるコースへ行きましたが、大体の人は奥穂山荘へ戻りますね。 10時すぎても涸沢から山頂めざす人が続々と登ってきます。 「あっ、田部井さんだ」と声かけられたのは、なんと私が講師をしている NHKカルチャーの山歩き講座の教室の方や昭和女子大オープンカレッジの山歩きコースの人たちでした。 涸沢ヒュッテに2泊して北穂と奥穂に分かれて登ってますと元気に握手して山頂へむかってゆきました。 人が少なくなったところで、一番急峻な鉄ばしごと鎖場の通過の撮影です。 無事終了し、お昼に私は温かいうどんを食べました。 午後からガスが湧き始め、視界不良となり、なんと雪が降り始めました。 早く山頂へ行って本当に良かったです。 濃い霧の中で降る雪を見ながら、ストーブの前で抹茶をたてて飲みました。 甘い和三盆のお菓子が舌にとろけ、おいしかったですね。 穂高山荘ではテルモス1本分のお湯が200円でした。 水も燃料も山では本当に貴重です。 雪の中で小屋の裏に石を積む支配人の宮田さんの苦労話を聞きました。 小屋を作った今田重太郎さんの孫娘にあたるめぐみさん(23才)が小屋を継ぐ決心をした話も伺いました。 北アルプスの山小屋は各々が本当に苦労し、努力しているのです。 昔は強力(ごうりき)と言って、人が食材などの荷を運んできたのですが、今はヘリコプターで 運ぶので食事も本当においしくなりました。 山小屋で酢の物から魚のフライ、鶏肉などがキャベツの千切りと共に出され、小さいじゃがいもを揚げて みそをからめたものや漬物なども各テーブルで取り放題なのですよ。 むろん、ごはん、みそ汁おかわりありです。 年配の人達も快適に山小屋を利用して山登りを楽しんでましたが、骨折などの事故もあるので 一歩一歩慎重に歩きたいですね。(その3へつづく) 田部井 淳子のHPはこちら→ http://www.junko-tabei.jp
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