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「100万回生きたねこ」の佐野洋子さんが亡くなったんですってねぇ!
今日、職場の同僚がそう言っていたので詳しく聞くと、
主人公のとら猫が、これまであらゆる飼い主のもとに100万回も生まれ変わり、そして、どの飼い主も自分が死んだ時悲しんでくれたけど、とら猫自身はどの飼い主のことも嫌いで、好きだったのは自分だけだった。しかし、野良猫として生まれ変わった時、「白い猫」との出逢いがあり、その白い猫に恋をし、その愛する白い猫が死んでしまったとき初めて泣いた。そしてその悲しみから自分も死んでしまい、その後はもう生まれ変わることはなかった・・・
という内容の物語とのこと。
ところで興味を引いたのは、この物語の最後に登場する猫の色が何故「白」だったかということで、色んな解釈が出来ると思うけど、私の場合は同僚からこのお話を聞いた時、とっさに思い浮かんだのは「六牙の白象」の「白」でした。
ちょっとお硬くなりますが、観普賢菩薩行法経の説明にある文章で、
・・・象というのは「大きい」という事で無限大をあらわし、白い象の「白い」というのはちょうど太陽光線のようにどんな色もついていず、どんな色もそこに含んでいる。あらゆるものが一つにあって、実際はありながらあらゆる相(すがた)が現れていない。それで、「白い象」というのは無限に大きくして、一切のものがその中にある虚空―宇宙全体をあらわす・・・
『詳説神想観』134頁(日本教文社)より
この物語では、とら猫が今生に生を享けた真の意義を理解するまでは、あらゆる境遇のもとに循環輪廻し、いよいよ人生学校卒業のターニングポイントとなったのが白い猫との出逢いで、その白い猫は物語の中ではとら猫の話に対し、「そう」と「ええ」としか答えていません。
この返答はとら猫に対する絶対肯定の気持ちが込められており、また沢山の子猫を授かったとあるので、猫ファミリーの主人に帰一していることから秩序も表しており、また調和や愛そのものも感じさせます。
そういえば、いついか読んだ禅の本にも似たような内容の文章がありました。
確か・・・
ある人物が禅のお坊さんに人生問題について長々と相談を持ちかけたとき、お坊さんは話の合間に「あ、そう」とあいづちを打っただけでしたが、後日、その人物が問題は無事に解決したと言いに来たとき、そのときも禅のお坊さんは「あ、そう」と言っただけだった」という内容です。
禅の教えは理解し難いのですが、これはお坊さんがそっけないのでも指導力がないのでもなく、例えば、仏教用語にある「色即是空」「空即是色」の「色」は物や出来事を意味し(上記の話しの場合ある人物の人生問題にあたる)、また「空」は「無」を意味することから、この禅のお坊さんの「あ、そう」とのあいづちは、現象「色」に捕らわれない実の相(すがた)である「空」のみを認めていたことを象徴する返答だった
という意味のようです。
そして、その「空」と前述の「白」は同じ意味と捉えることが出来るのではないでしょうか。
従って、この物語の最後に登場する「白い猫」とは実に深い真理が込められていると思うのです。
私は約2年前までフランスやイタリアで25年間も生活してきましたが、
この物語のとら猫が遭遇する環境である飼い主の王様や船乗り、泥棒、サー
カス団、おばあさん、子供などが、私にとっては在欧中のホームステイ先の
マダムやその愛人、アトリエの経営者と画学生仲間、アルバイト先の雇い主
や同僚、借家の大家や近所の仲間、人種差別する人と異国民同士の友情、主
人の親族、その他、あらゆる人達や出来事と重なり合って連想されました。
しかし、とら猫と違って誰をも好きで仲良くありたかった。その出会った人
達や出来事の内にあるであろう白い猫の「白」の部分を認め、そしてその白
と一つにとけ込んだとき、自分の中でいったいどんな世界が観じられるのだ
ろう。。。
きっと心地良い世界に違いない・・・
素晴らしい作品を世に残して下さった佐野洋子さんに
心から感謝し、御冥福をお祈り致します。
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