バガボンダのローマ生活記

ただいま長期帰国中のため、日本生活記となってます。

子宝

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未来を担う息子達やその友人の紹介、また教育についても触れてみます。
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骨董市にある古本屋で買ったチベットの医学書です。

医学書と言っても、ほとんどイラストで説明されており、
画像は上の方は御覧のとおり出産までの母体の図です。

「TIBETAN MEDICAL THANGKA OF THEB FOUR MEDICAL TANTRAS」
1988年12月出版なので、そんなに古い本ではありませんが、図はかなり古そうですね。

最近中国やチベットに関して、頻繁にニュースで報道されておりますが、
同じ時期にたまたま見付けたものです。

もっとも買ったのは百科全書を研究している主人で、
私はもっぱら陶器や絵画を見てました(笑)。


分厚い本で、あらゆる医学の説明の頁がありましたが、
私としてはやはり出産の頁に目が止まります。


それにしても、子宮内の胎児の格好って、
既に修行者みたいな座り方に描かれてませんか?


下の方の画像は、チベットの古い陶磁器の図で、医学とは関係なく掲載しました。
というか、チベット医学と丼の関係が私に理解出来ないだけですが(苦笑)
チベットの陶磁器の柄に興味があったのでした^^



※画像をクリックすると拡大します。

ある日のネット新聞に、

「紫キャベツと焼きそばを一緒に炒めると、化学反応でそばが緑色に」

と、書いてありました。  写真を見ても正に緑色!

「紫キャベツの汁で酸性とアルカリ性の違いを学ぶ――といった実験・・・」 とのこと。

面白そうなので我が家でも息子達と一緒に実験してみることにしました。


ネット新聞の記事は以下の通りです。(緑色の焼きそばの写真付き)
http://www.asahi.com/komimi/OSK200801210035.html


紫キャベツがもの凄く固そうなので、まずしっかり炒めてから茹でたソバを加えて炒めました。
また、他の野菜や魚介類も一緒に炒めました。

ーーーーところが色は緑に変色しませんでしたーーーー

"しまった!キャベツを先に炒めて水分を飛ばしてしまっては意味がなかった"

と思い、今度は紫キャベツとソバを同時に入れて炒め始めました。
その上に他の野菜や、今回はパンチェッタ(ベーコンの一種)を加えて炒めました。

すると、ソバの色の所々が紫キャベツの汁の色を吸い、

ーーーーなんだか汚れたような色に変色しましたーーーー

間違えても絶対緑色には見えません。

仕方なく焼きそば用ソースを加えて、美味しそうな色に誤摩化し、いただきました。

前回も今回も非常に美味しかったけど、ソバの色はどちらも緑色に変わりませんでした。


ソバをタリアテッレで代用したからかなぁ? 中華そばにすべきだったのかも知れない‥‥。
それとも紫キャベツの種類が違うのかな・・・・?


さて、今回の実験で解ったことは以上でした。とっても勉強になりました♪


ところで皆さん、何故緑色に変わらなかったのか知りません?(^^;)

一昨日の金曜日、この日の次男はとても忙しい1日でした。

中学校の部活でピアノを習っており、卒業演奏会準備のため授業が終わったら
学校に残って予行演習をすると言うので昼食としてサンドイッチと飲み物を持たせました。

5時頃帰宅、今度はあと15分でKARATEの練習に行かないといけません。
(主治医から背骨の矯正の為運動を勧められたので現在空手を習ってます)


「マンマ、ソノ スタンコ. オ マル ディ テスタ. ノンチャラファッチョ ピュ〜…」
 (訳) お母さん、僕疲れたよ。 頭が痛い。 もう何も出来ないよ〜。


そういえば 今朝から咳が出て苦しそうだったな…
空手道場まで車で送ってやろうかな…
それとも、今日は空手を休ませようかな…
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

その時、私の脳裏に父との光景が浮かんできました。

そして、父が私に言った同じセリフを次男に言い始めました。

「な〜に 治る治る!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

5月のある日曜日、父は私に耕耘機の操作を教えてくれました。
私はその時13歳、中学1年生でした。現在の次男と同じ年齢です。

水を張った田んぼの中で耕耘機を一生懸命操作しています。
向きを変える方法に戸惑いましたが、数回目で成功!
喜んでいる私を遠くから作業をしながら監視していた父がにっこり笑ってこちらを見ています。

そこまでは良かったのですが‥‥

昼食の為一たん家に戻り、一休みした頃、頭がフラフラし始め、吐き気もしてきました。
きっと慣れない作業をしたので、体にこたえたのでしょう。
早く治まらないものかと横になって苦しい症状をグッと耐えておりました。

そこへ父が午後の作業の為、また手伝うように言って来たので、すかさず
「午後は出来ない」と断りました。

どうして出来ないのかと聞くので、(苦しそうに横になってるのに、見りゃわかろうに!)と
思いつつ事情を伝えると、先の文句の「な〜に 治る治る!」を連発されたのでした。

 ーーなんて冷たい父親だ!ーー

私はその時そう思ったのですが、無駄な抵抗とわかってるので仕方なく我慢して起き上がり、
再び農作業を手伝っていると、あら不思議! 本当にあっという間に治ってしまったのでした。

この教訓は以後私の人生に大いに貢献することになります。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、話は戻りますが、

次男は仕方なさそうに空手の練習に出掛けて行きました。

ところがその後、私にはなんともいえない不安が襲いかかって来たのでした!

‥‥父とは育った時代や環境が全然違う‥‥

「あ…可哀想なことをした… もしかして、ものすごく苦しかったのではないか…
でも、もう行っちゃったし、 あぁ…無事でありますように!  
神様、神様、どうか助けてやって下さい! 守ってやって下さい! 」

‥‥‥‥‥‥‥‥

約1時間半後、次男はくったくたそうな素振りで帰宅しました。

大丈夫?と尋ねると、

「ノン ソーノ スタンコ、 マ ソーノ ディストゥルット」と冗談を言ったので、
少し安心しました。(訳) 僕、疲れてなんかないよ。くたばっただけだよ。

そして、夕食を済ませた後、なんとピアノの練習を始めたではありませんか! 

すごいバイタリティー!!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
記事が長くなってしまったので、このへんで終わりにします。

それにしても、

‥‥‥‥人間って、思ったより "強い" ですね。

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2003年の夏、私たち一家はトスカーナ州にある小さな町「モンテロマーノ」に1ヶ月間家を借り、
近くの海岸へ毎日海水浴に通っていました。

「リド ディ タルクイーニア」と言う名の海岸です。

この辺は昔エトルリア人が住んでいたことから、沢山の遺跡が残っており、その遺跡見物もしました。
日本では縄文時代にあたります。

この海岸は波の荒いチレニア海側で、先にサルデニア島やシチリア島があります。
旧ユーゴスラビアが向かいにある穏やかなアドリア海側とは雰囲気が違っています。

ーーーーーーーーーーー

ところで、話はガラッと変わりますが、、、

私が幼い頃、小学校高学年あたりと思いますが、
父と母に個別にある質問をしたことがあります。

きっと、テレビ番組に影響されてのことと思うのですが、、、。


私==お父さん、もし、火事になって私が火の中を通らないと助けられないところにいたとしたら、
   お父さんだったら、どうする? 助けにきてくれる?


父==そりゃー助けにいっちゃるよぉ!!! (それは助けにいってやるよ)


即答でした。

次に母親に同じ質問をしてみました。


私==お母さん、もし、火事になって私が火の中を通らないと助けられないところにいたとしたら、
   お母さんだったら、どうする? 助けにきてくれる?


母==そがーな目にゃ はじめっから合わしゃーせん!!!(そんな目には、はじめから合わせません)


なるほど・・・。


男親と女親の考え方の違いですね。

(注: 広島弁です)

2003年の夏、そういった親心を私も我が子達に示す体験をしたのでした。
別にたいした事ではないのですが、
私としては思い出してもゾッとする体験なのです。
内容は火事ではなく水の事故です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1ヶ月間も毎日同じ海岸へ通い続け、しかも何時間も同じ場所にいるわけです。

イタリア人の夏期の過ごし方で、彼らは慣れているのですが、私は初期大変退屈しておりました。
現在は慣れ、分厚い本を何冊も読破しては時間をつぶしております。


忘れもしません、7月18日の夕方、時計を見ると19時でした。
「そろそろ、帰る準備をしたいなぁ…でなきゃ、また晩ご飯が遅くなってしまう…」

そう思いつつも、主人を見ると、熱中して本を読んでいる。

私以上に退屈に耐えられないらしい次男が「ねえ、もう一泳ぎしようよ〜」と言ってお兄さんを誘っています。当時長男は13歳で、次男は10歳でした。

私は「オイオイ!冗談じゃないわよ!」と言いたかったけど、いつものように主人に許可を得るように促すと、主人は本を読みながら面倒くさそうに「VA BENE VA BENE(いいよ、いいよ)」と答えました。


水平線には夕日が沈みかかり、先ほどまで青かった海も、オレンジ色と金色に変わっており、
普段なら美しいと思える光景ながら、こんな時間にチレニア海の荒い海に入っていく息子達を思うと正直あまり気が落ち着きません。

しかし、父親が「良い」と言っているのに、横から母親がどーこー言うのも私の主義に反するので、黙っておきました。

とは言いつつ心の中では「やれやれ、これからしばらくして海からあがってきても、乾くまでまた時間がかかる。夕食は完全に遅くなってしまい、消化するのを待ってると、就寝が午前様になってしまう…  なんだって、主人はこんな時間なのに許可なんてしたんだろう・・・ブツクサ・・ブツクサ・・」

そうこう思いつつも、読みかけの本を再び読み始めて、しばらく経った頃のこと、 


・・・変な声が・・・


それは、遥か遠くの方から聞こえ、なんだか女性の金切り声のような切羽詰まった叫び声でした。

つられて、主人と私はきょろきょろと辺りを見回しました。

海岸には、私たちの他には、約50m先にもう一家族が残っているだけでした。


そして、もう一度、悲鳴が聞こえました。


なんと、その声は女性ではなく、長男の声だったのです。

アイウートー!!!(助けて)


見ると、小さな黒い点が二つ、遥か彼方に見えるではありませんか・・・!


キャー! 私は思わず叫び声をあげました。

主人は本を置き、救助のため海に入っていきました。
もう一つの家族の男の人も海に入っていかれたました。

ご家族は動転している私を慰めに傍へいらっしゃいました。

私は怖くて海に目をやる事が出来ません。

しばらくして、親切なご家族の方が私に、「もう大丈夫よ、ほら、4人が一緒にこっちへ向かって来ているわよ」と言って、安心させて下さいました。

主人が言うに「な〜に、騒ぐほどの事じゃなかったよ、すぐに追い着いた」と言ってましたが、浜辺からは、そんなこと解りませんし、主人がいなかったらカナズチの私には彼らを救う事など到底出来ませんでした。もっとも、主人がいなかったら、日が沈んだ海に子供達が入る事など許可するわけありませんし、そもそも、こんな時間まで浜辺にいることもなかったでしょう。

やはり、男親って「助けに行き」女親って「危険な状況におかない」という習性があるんでしょうね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ところで長男に経緯を尋ねると…

波に流されて浜から段々離れていくので、泳いで戻ろうと思ったけど弟の腕を放すわけにいかなかったので泳げないでいると、どんどん流されていくので、助けを求めたとのこと。

な、なんと!私は泳げないので助けに海に入らなかったなんて、なんと薄情な母親!
息子ですら弟を見捨てなかったのに…

帰りの車の中、ひどい自責の念に心を占領された私は水道管の栓が切れたように涙が流れました。

後ろの座席で次男が漫画を読みながらゲラゲラ笑ってます。

考えてみれば、あんたよね。騒ぎの切っ掛けって・・・?

ま、いいか。溺死免れて元気で笑ってられるのであれば。


長男にはヒーローの勲章を与えたいです。(親ばかですが)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2〜3日後、再び海岸に来てみると新しい札が立っており、たしか

「海の事故に於ける責任は負いかねます云々…」

のような意味のことが書かれてありました。

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