道路研究等

ドライブから政治まで。国民の生活が第一

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全223ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

謹賀新年

明けましておめでとうございます。相変わらずの零細ブログですが,今年も少しは更新します。なんだかんだいって,フェイスブックやらインスタ映えが成長しても,まだまだブログも根強い需要があるからね。ある意味,ブログの形式が原型なわけだし。
年末は殺人的に忙しく,しかも風邪を引いて,病院に行く暇もなく,結局仕事で治すという荒療治。今年も,明日は引っ越しだし,年明けもバタバタだ・・・。
とはいえ,今日は無性に,創作意欲が有り余っており(元祖ゲス不倫男みたいに,ロマンスは有り余っていません(笑)),パッパッと書き散らそう。

小さい頃,花札をしたことがある。その字牌・・・もとい文字のある札の中で,余りにも著名なのが,かの2枚である。普通に読むと「あのよろし」「みなしの」としか読めないアレである。「あの世はよろしい」「皆死のう」ということで,何とえん世的なゲームだろうと思ったものだ。まるで集団自殺である。
集団自殺といえば,あの仙石という,今であれば希望の党のボードメンバーにでもなりそうな元民主党議員が,原発廃止は集団自殺だと主張していた。立憲民主党ができる前に引退してよかったね。
その立憲民主党,ついに原発に対するスタンスを明示することになった。即時原発ゼロは理想だが,それだとなかなか自称リアリストに対抗できない。そんな中,原油が一切入ってこないほどの緊急事態でなければ原発は動かさないという発想。もともと私も,再生エネルギーの技術が発達し,ある程度再生エネで安定供給ができるまでにはタイムラグがあり,その間に何をどうやっても電力が足りない(今は足りているが。)ときに過渡的に最終手段として,徐々に廃炉しつつも少しだけ残しておくというのが落としどころではないかと思っていた。
もちろん,その最終手段が最終手段でなく安易に使われてしまう懸念はある。これについては,「最終手段」という人の普段の姿勢によって,信じられもするし信じられなくもなると思う。たとえ安倍政権が「原発は最終手段」と言っても,口先だけで,簡単にその自称最終手段が使われることは明らかである。しかし,そもそも原発を極めて謙抑的に使う発想に立てば,最終手段は本当に最終手段となり,総理大臣の検察への指揮権のごとく,事実上使えない手段となる。立憲民主の主張であれば,後者に立ってくれると信じてよいと思う。
ただ,山尾議員を入れたのは・・・賛成できないな。せめて同じ会派,補完勢力にとどめないと。言ってることは分かるが,さすがに素行不良過ぎる。カジノ推進の横浜市長も応援したしね。かのリテラですら,倉持弁護士との不倫疑惑以降,積極的な擁護論を展開していない。

さて,花札に戻ります。「あのよろし」の正体は「あかよろし」,明らかによろしいという意味だそうだ。「の」に見えるのが,「か」の変体仮名だと。
この変体仮名というのも,社会人になってから知った概念である。1900年に一度統一された(細かい経緯はウィキペディア先生に譲る。)ようだが,現在の平仮名自体は100年ちょっとしか歴史がないということである。「百年の歴史」とはYMCAの歌にも出てくる表現だが,ちなみに,我らが横浜YMCAは1884年創立,今年で134年(我が地元は国道134号沿いなので覚えやすいw)であるから,現在の平仮名より歴史があるということだ。
そういえば,夫婦同姓の家制度は日本の伝統だとして夫婦別姓に反対する主張があるが,武家を除けば,庶民が苗字を名乗るようになったのはそもそも明治維新(今年で150年だね。)以降の話。元武家やら公家はともかく,下々まで夫婦同姓が日本の伝統であるというのは胡散臭い。
「みなしの」の正体は,今度は変体仮名ではなく,百人一首で散々出てくる(確か)「みよしの(吉野)」ということだ。読みにくいなw そのみ吉野も,旅行で行ったなぁ。

さて,無軌道に書き散らしてきましたが,今年もこういうノリになるでしょう。ウーマンラッシュアワー村本並みにwwww

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

もう1か月更新していなかったとは。まあ,相変わらず忙しく,刑事弁護の当番を片っ端から投げまくっている。それでも2件あるからね。

11月17日。20年前のこの日,拓銀が倒産した。私は小6で何も分からなかったが。父が拓銀行員だった。それから10年後,大学で受けた経済系の科目では,山一とともに,巨大金融機関破綻として日本経済史で必ず取り上げられてきた。
20年の節目ということもあり,ここ最近は,この20年間を総括するような記事が多い。20年前と違って,今はネットで幾らでもいろいろな記事が見られるからね。
タイトルだけは立派にしたけど,まあ,そんなに内容はない。読者も極めて限定的なので(笑)

ある意味,目の前で銀行がつぶれる(銀行員が犯罪でも病気でもないのに失業する)のを目の当たりにしたということであるから,貴重な経験である。まあ,割と早く再就職できていたので,うちはそこまで生活に困窮したわけではないけど。
絶対的安定がないことを知ってか知らずか,子供は更に斜陽産業というか浮き草のような弁護士=自由業になったのだから不思議なもんだ。親族に弁護士や書士など法律関係の資格者はいません。

で,公的資金注入などいろいろ制度もできて,さすがに銀行も持ち直してはきた。しかし,拓銀の破綻から20年,銀行界には新しい問題がいろいろあるようだ。
貸すところがなさ過ぎて,怪しげな投資信託(投資信託全部が怪しいわけではないが。)で手数料を稼いだり,実質的に家賃保証とは評価できないアパート経営のためのローンを借りさせたり,果てはサラ金に成り代わり,総量規制のない世界でカードローンを貸しまくったり。それらがノルマ又は営業成績になるとすると,出世を望む組織人の論理の人は,貸した(売った)先の末路がどうなろうと,目先の利益至上主義になるかなぁ。そういう嫌な仕事は断れるというのは,弁護士の特権といえる。
銀行じゃないけど,うちのような場末の(まあ,みなとみらい線某駅からはそこそこ近いが。)零細事務所にまで,不動産経営の営業の電話が来る。そんなお金はありませんw それはともかく,アパート経営,すなわち賃貸人の立場というのがいかに難しいかは,弁護士であれば容易に分かることである。
カードローンについては,本当に,債務整理事件のほとんど全てで,どこかしらのカードローンが借りられている。まあ,受任通知を出すと,銀行としては,淡々と期限の利益喪失の通知をし(どうでもいいけど,配達証明付内容証明郵便はともかく,それ以外の文書も何でも頼んでもないのに書留で送ってくるのやめてくれないかな。受け取れなくて迷惑です。),傘下の保証会社に債権者が移転するのであって,それが極めて機械的になされるんだけど。最近は,ようやく自粛ムードが出てきたらしい。
収益源がなく,地銀のほとんどが数年後には赤字になるというようなタイトルの本が次々出てきているけど,果てはAIによる銀行員の乗っ取りだね。まあ,確かに,何でもかんでも印鑑証明印鑑証明ということで,その形式主義というか体裁主義というか。結局,幾らもったいを付けようと,それ自体にクリエイティブな要素はないから,AIが代替できる可能性は高いな。正直,極端な話だが,良い窓口業務=待ち時間の短い窓口業務というのが,消費者の基本的な思考だろう(レジも同じ。)。すなわち,窓口の担当者がAIだろうと問題ではないのである。銀行本来の,企業を育てるための業務であれば,やはり最後は経営者との間の人情も出てくるから,AIではやりきれないだろうけど。
ともあれ,拓銀破綻から20年,今年は銀行の諸問題がいろいろと指摘される年になったと思う。去年までは,そこまで地銀がやばいとか,カードローンが問題だという話はなかったと思うな。

弁護士も,AIに取って代わられると言われるが,何のことはない。まず,文脈に従って日本語の膨大な同音異義語を変換する力がなければ,準備書面一つ起案できない。その力の開発は,大分先だろう。私が生きているうちは多分大丈夫だw

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

選挙間近

総選挙が近いですね〜

今回の選挙は,いつになく目まぐるしい情勢変化である。最初は希望の党により安倍政権の陥落を期待したが,あの「排除」発言により潮目が変わり,枝野さんのおかげで,リベラルが息を吹き返した。
枝野さんといえば,「直ちに健康に影響はない。」の乱発でマイナスのイメージがあったが,それを吹き飛ばすくらいの快挙である。もともと,民主党,民進党自体が,自民党より振れ幅の大きい左右対立があり,常に内紛を繰り返して自民党を利してきた。今回,自民党民主派とでもいうべき別働隊が区別され,希望の党として析出されたことで,立憲民主党は中道左派に純化できた。その意味では,小池さんのおかげで,きれいになったのは事実だろう。
日本史で,自由党と立憲改進党だったか,明治時代にそういう政党があったのが懐かしい。立憲と名が付く政党は,戦後では「立憲養正會」なるもの以来らしい。へえー。まあ,現在,人治国家化して,外形的立憲主義以下の国になろうとしていることを考えれば,明治時代に先祖返りしたかのような「立憲」という名を付けた政党もいいものである。
ネット上の人気はナンバーワンであるが,それが直ちにリアルの人気に結び付くわけではない。しかし,ある程度立憲民主党が躍進しそうな中で,共産党が埋没してしまうのも問題である。比例は共産かな。
一応,選挙期間中のブログはOKらしいので。メールが駄目というのは,何となくは制度趣旨が分かるかも。スパムみたいな大量発信で際限なく送り付けることが技術的にできるからね。SNSなら特定の人にしか送れず限度があるし,ブログはただ世界に公開するだけで,アクセスを強いるものではないしね。
それでも,完全に自民優勢の流れを消すのは難しく,ある意味,今後に向けてどれだけ躍進できるかの勝負である。今回の選挙結果の見所は,立憲民主党の議席数にある。改憲を封じることさえできれば・・・。

ところで,選挙演説における野次と,それに対するカウンターが最近の課題となっている。一応,選挙の自由妨害罪との関係では,単に地声で大声を上げ続ける程度であれば,原則としてセーフであろう。拡声器を使ったり,候補者につかみかかるならアウトだが。集団の場合はどうか。例えば,秋葉原で一気に発生した「安部やめろ」コール。諸外国の普通の民主主義国家では,政治家の場合はそれに対する対応もむしろ選挙の判断資料となるということで,いちいち罪に問うたり,排除する言論はなされない。
http://lite-ra.com/2017/07/post-3290_4.html
憲法論を抜きにしても,自民党以外の政治家でも猛烈な野次に遭遇することはあるが,こういうときに野次を批判するネットウヨは誰もいないであろう。要するに,お互い様であり,お互い様としてあしらうのが公正,公平なのである。
ただ,普通の日本人は,人が話しているときは黙って聞くものとして教育されてきているから,こういう場面でも黙って聞くのが正しく,不規則発言は許さないという発想になりやすいかと思う。というか,多分どこの国でもそれは原則なんだが,単なる講演の場面と,民主主義の場面とは区別しているのだろう。日本人は,それを区別するという発想がない。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171017-00000534-san-pol
例えば,ここで出てくる野次を止めた女性は,もちろん,動員された応援団の可能性もあるが,人が話しているときは黙って聞くものとして教育されていて,選挙の場面でも全く同じと信じて疑わない「善良な」日本人かもしれない。
自民党候補者に対する野次を述べただけで,公職選挙法違反で現行犯逮捕される日も近いであろう。その場合,憲法訴訟には発展するであろうが,最高裁が合憲限定解釈をしてくれるかどうか,心もとない。

また,大マスコミへの報道規制や圧力も,相変わらず問題となっている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171017-00000012-ykf-soci
ネットウヨは,ある意味,マルボウと同じというか。とにかくちょっとでも突けそうなところを見付ければ,そこを徹底的に掘り下げて大事にして,相手を脅迫する。マルボウまで言わなくても,プロのクレーマーでも同様である。
なかなか,これに対する対策も難しかろう。一つは,突けそうなところを作らないよう完全防備すること。ただ,そうすると,結局そんたくせざるを得なくなり,ネットウヨの思いどおりの結果となる。第2は,突っ込みどころが生じることは前提としつつも,毅然とはねつけるということ。一般の企業活動でも,突けそうなところを完全に防ぐというのは,なかなか難しいであろう。というより,思いもよらないところで難癖を付けられるというのが通常の流れであろう。だが,間違っていないというなら,難癖が付こうと毅然とはねつけるしかない。
弁護士の世界でも,このように,とにかくちょっとでも突けそうなところを見付け,そこを徹底的に掘り下げて大事にして,脅迫してくるケースもないわけではない。そもそもきちんと防備すること自体が必要なんだが,それでもいきなり刺される覚悟を持たざるを得ない。

そういえば,20代は,自民党支持が圧倒的で,その根拠は,就職活動で恩恵を受けたことと,ネットのまとめサイトの影響というのが一般的だ。
前者については,http://www.kou1.info/blog/politics/post-726
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-8043.php
団塊の世代の大量退職の補充で人手不足になっているだけであり,アベノミクスとの因果関係はないということである。しかし,現に恩恵を受けたので,それと喧伝されるアベノミクスをくっつけたくなるのだろうし,団塊の世代とリンクさせた洞察は,まだ若くて難しいのだろう(私も,そこまで思い付かなかったし。)。
後者について,私も,大マスコミを20代とは別の意味で信用していない。結局,ネットウヨも私も,大マスコミが「報道しない権利」を行使しているため恣意的であるというごく総論では一致している(!)ネットの方が,どちらの角度からも(その信憑性はともかく)情報があるから,ネットの方が結局はより真実に近い姿を見られる可能性が高いという限りでは,私の根本は変わらない。大マスコミを信じなくなったのは,2009年の政権交代以降である。
ただ,やっぱり,まとめサイトに頼るのは良くないな。ときには原典に当たって,本当にそのサイトが引用するような論調のプレスリリースがあるのかなどチェックしなければならん。こればかりは,改めさせる妙案があるわけではないが,やはりファクトチェックで切磋琢磨していくという地道な方法しかないのだと思う。

取りあえず,もろもろの雑感です。
22日の夜,ちょっと行きたいイベントがあったが,選挙ともろかぶりになったのでやめた。まあ,余り選挙速報を見て愉快にはなれないが,国の行く末に関わるからねぇ。余りのんきになれる気分でない。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

教育と暴力

日野何とかさんというジャズの有名人が,参加の中学生がいつまでもソロパートをやめなかったということでビンタしたことが,賛否両論となっている。といっても,世の中で,否定論者が必ずしも多くなく,どちらかというと,少年の落ち度を強調して日野氏を擁護する論調の方が多いように見える。
日野氏を批判する意見は,いかなる理由があれ暴力はいけないという,全面的な体罰否定論を貫徹する立場である。日野氏を擁護する側が,戸塚ヨットスクール,ワイドナショーのような全面的な体罰肯定論に立つのか,「基本的には体罰は反対だが,少年が反抗的ならやむを得ない」という限定的な体罰肯定論に立つのかは人それぞれといえよう。
取りあえず,法律の論理上は,少年の(少なくとも真意に基づく)同意がない以上暴行罪ないし傷害罪が成立する。そして,教育的理由があれば違法性が阻却されるという法的根拠はないから,違法性阻却の余地はなく,端的に違法と解するほかない(正当防衛又は緊急避難が成立しないことは明らかである。)。
また,学問,科学上も,体罰が本当に子供のためになるという研究結果はほぼないに等しく,せいぜい戸塚宏作の脳幹論くらいのものであろう。かえって,https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170912-00052846-gendaibiz-bus_all&p=3
発達に悪影響という結果である。くしくも,全面的体罰否定論を採るのは,リテラなど一部の左派(パヨク)くらいのものだが,体罰が子供の発達に良い影響があるという学説は,現行憲法下で集団的自衛権を合憲とするのと同じくらい無理筋である。
さて,基本的に,文系理系どちらの科学的にも体罰の居場所はないように見えるし,だからこそ,文明国は法による社会の非暴力化を進めてきた。
前掲記事
>もっと昔に遡れば、今よりはるかに社会は暴力的で、果し合いや仇討が許された時代もあった。体罰へのノスタルジアを表明する人々は、何もそんな時代に戻りたいわけではあるまい。
人類の歴史は、言うなれば暴力の歴史でもあり、近代以降はその根絶に向けて世界が叡知を絞り、努力を重ねてきた。
ということである。

日本の人権レベルが文明国の平均に達しているかどうかはともかく,これほど体罰肯定が広がっているのは困ったものである。ワイドナショーのように公衆の面前で体罰肯定を叫ばなくても,むしろ,公衆の面前ではポリティカル・コレクトネスを考慮して体罰に反対しつつも,ネット上では本音が出るということもあるだろう。
なぜ,そこまで体罰が支持されるのか。それは,肯定論者からすれば,全面否定論がただのきれいごと,憲法9条と同じ非現実的な空論であるということになるのだろう(実際,肯定論者と安保法案賛成の層は重なっている。)。
ここで,ならば人類の現実を考える。人間には,そもそも攻撃本能がある。また,人間は楽な道を求めたがる生き物である。そして,他人(自分の子であっても)を教育する際,言葉やジェスチャー,感情だけで諄々と説くというのは,力を用いる(攻撃本能による行動)よりはるかに大変なことである。まして,相手が絶対的に力がなく,力を使えば確実にねじ伏せられる場合は,力により教育したくなるものである。更にいえば,自分以外の存在のために,そもそも諄々と説くための時間をかけたいとは思わないのも人情である。要するに,体罰をする側からすれば,体罰をする方が簡単だから体罰をしたくなるという,単純明快な本能がある。
他方,体罰をされた側(かつ,反抗できない側)は,これ以上の暴力を受けることを避けたいという防衛本能が働くから,少なくとも表面上は,体罰をする者の言うことを聞く。
以上を合わせると,体罰をする方が楽であり,しかも,少なくとも表面上は体罰をした者の思いどおりの結果となる。となれば,理屈では駄目だと分かっていても,いざというときは体罰が必要なんだと考えるのは,確かに不自然ではない。
結局,体罰は,学問によりその正当性が論証されるものではなく,人類の本能からして現実的に手っ取り早いから正当化されているということである。
しかし,文明国,法治国家(ネットウヨや体罰肯定論者の大好きなキーワード)という見地から見れば,法の解釈適用には安定性が求められる。恣意的な理屈は許されない。
‐なくとも,日本の刑法には暴行罪(傷害罪)がある以上,それに該当する行為が許される基準はどこにあるのか。
⊂年が反抗的だったから殴ってよかったのだとすれば,被害者が反抗的なら許されるという基準を引くことになる。しかし,傷害罪の当番なり国選が回ってきて初回接見でよく言われるのは(一般論),「被害者に嫌なことを言われた」とか「被害者が先に挑発してきた」といった,要するに被害者が反抗的だったという弁解である。これは許されるということでよろしいですか?
2召法と森海靴燭里少年(餓鬼)だったから殴ってよかったのだとすれば,相手が少年だったら殴ってよい根拠はどこにあるのか。先述のように,学問的には根拠は存在しない(子供の権利条約との関係もある。)。あるいは,そもそも少年というのは何歳までで,社会人でも年下なら良いのか,年下でも職場の先輩ならどうか。結局,合理的な線引きは不可能である。
げ召法ぞ硝椰融屬里茲Δ法だ里和糧海鷲當未帽圓錣譴討い燭ら良いのだとすれば,昔許されていたものであればよいという基準を引くことになる。ならば,昔は普通に行われていた(黙認されていた)セクハラをしてもよいということでよろしいですか?
なお,前掲記事
>これくらいの荒っぽい指導は、昔は許されたという意見もおかしい。それなら、「英雄色を好む」というように、昔なら不倫などは政治家が辞職する理由にはならなかっただろう。しかし、不倫に関しては、「今」の基準で容赦なく叩かれている。
も同様の問題意識である。
このように,法的に考えれば,許される体罰とそうでない体罰を線引きする論理は,何をどうやっても成立する余地がない(正当防衛に当たるかどうかなら線引きできるが。)。もはや,礒崎補佐官みたいに,「法的安定性は関係ない。」と言って,大好きな法治国家の前提を覆滅させるしかないわけです。

なお,最後に,これらの法的論理が全部きれいごとにすぎないとしても,そもそも本件少年に落ち度はないという見解もあることを紹介しておく。
http://lite-ra.com/2017/09/post-3434_3.html
ジャズ界の常識については私が判断する能力はないが,このリテラで引用された見解に対する再反論は見当たらない。少年が悪いという前提自体が既に危ういということも指摘しておく。
前回はリテラ批判をしたけど,基本はリテラ信奉者ですからw

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

先日の直虎も,なかなか社会風刺が効いていた。武器の商いは、いくらもうかるとしてもやめるとか、戦が終わったところでまた次の戦に駆り出される、とか、勝利って何だろうとか。
武器輸出・武器開発を推進している世情を的確に風刺した逸品である。だから視聴率が上がらない・・・というわけではないよな。もともと史実との間隔が開き過ぎて,保守的な大河ファンが避けているからにすぎないと思いたい。

さて,銭といえば,小室氏と眞子様の結婚に伴う銭の問題。
テレビでは,小室氏は賛美一色であり,オリンピックメダリスト並みの報道である。
これがポリティカル・コレクトネスであろう。
他方,ネットでは,そんなポリティカル・コレクトネスに反する意見が渦巻いている。これに関して,我らがリテラが参戦し,ネットウヨたたきの記事を掲載した。
小室氏に関して,出自がどうかは私は知らないし,皇族論に関しては,余りに遠過ぎる世界であり,余り私が説得的な意見を出せるものでもない。したがって,この点に関してはおいておく。
一方,リテラでは,http://lite-ra.com/2017/09/post-3430.html 小室氏の経済力に関する批判についても,矛先を向けている。正直,これに関しては,ネットウヨ憎しであれもこれも非難した結果,やぶへびに突っ込んでしまったと評価せざるを得ない。
結婚において,銭というか,旦那の経済力がどこまで必要かというのは,価値観も千差万別だし,永遠の課題である。銭なんかなくてもよい,私が支える式の糟糠の妻も存在するし,年収1000万円以上ない男は論外だという女性もいる。
ただ,現実問題としては,別にネットウヨでなくっても,娘が結婚相手として単なる受験生や学生を連れてこようとしたら,「きちんと就職してからにしろ。」というお父さん(お母さん)は少なくない。リテラは,これを「旧来的な結婚観をもちだして難癖をつけている」と評しているのであるが,世間一般に対してもそのような主張をするのだろうか。そういうことを述べる普通のお父さん(普段左翼の人でもいるかもしれない)を見付けるたびにそのように非難するというなら分かるが,それだけの覚悟があって書いたのだろうか。
要するに,結婚しようとする男性に経済力を求める(経済力がない男性との結婚に賛成しない)のは間違いだと言っているわけであるが,本当に間違った価値観だろうか。旧来的ではあるかもしれないが,間違っているとまではいえないはずである。学生の恋愛とは違うんだから。
この記事は,編集部名となっているから,いろいろな人がいるだろう。親世代であれば,娘が結婚相手として単なる受験生や学生を連れてきても,また,実際その旦那がうだつが上がらなくて娘が経済的に困窮しても一切文句は言えないということになる。20代で,これから結婚を控えている世代であれば,彼氏の経済力は一切無視しなければならない。きちんとした職の人と結婚するならよいが,職が不安定な男について「この人は好きだけど,将来が心配」とは一切考えてはならない。さもないと,産経新聞辺りが,大はしゃぎで「特大ブーメラン」とか報道するぜ。
あるいは,現在,女性側が,いいか悪いかは別としても,男性の希望年収(1000万以上とも500万以上とも言われる)を婚活で条件として要求したり,ネット上では,「出世する男の条件(見抜き方)」などという女性向けの記事もある。男性の経済力にこだわることを非難するということは,この女性たちも非難するということである。普段女性差別に極めて敏感なリテラにしては,らしくないねぇ。
このように,本来はネットウヨ批判をしたかっただけであろうが,今回の批判内容については,一般人の少なくない人数(親世代で数百万人くらいはいるのではないか。婚活女性も合わせれば1000万人は超えるだろう。)にまで向けられるものであり,本当にそれでよいのかと思う。せいぜい,「旦那に経済力を問うかどうかは人により千差万別であり,眞子様はそれを問題にしなかった(いわゆる「富は問題にならぬ」(エミリ・ブロンテ))というだけであるから,他人がとやかく言うことではない。」辺りで止めるべきであったと考える。
また,リテラでは,1億円以上の持参金が税金から支払われる問題は無視している。これが,皇族方が,結婚式で数万円のお祝儀を実質税金から出すというだけであれば,そこまで気にならないだろうが,今回は1億とも1億ウン千万とも言われる。世の中には,一生かかってもこれだけ稼げない非正規社員が山ほどいる。そのような税金の使い道について,使われる先について批判的に検討する権利は誰にでもある(根拠のない因縁は駄目だが。)。小室殿がどういう気持ちかは分からないが,かつての司法修習生は,税金を頂く身分ということが,その公的使命を自覚し,修習に取り組む原因力になっていた。それは,税金の使われる先(自分たち)についての国民の目を意識していたからである。
残念ながら,こうやって社会的にはまだほぼゼロの人に1億円が行くことについては手放しで賛美するのに,既に借金まみれの司法修習生が一人数百万円の給費を得ることについてはむき出しの敵意を示すということもありそうね(幸い,修習手当は復活したが。)。大マスコミの論調はそうだからな。リテラは,普段の論調からすれば,修習生の給費制には反対しないだろうが・・・。
あと,小室氏の所属している大学院は,ロースクールではないから,幾ら経営法務を勉強しても,少なくとも日本の司法試験の受験資格はない。にもかかわらず弁護士になりたいと言っているからには,予備試験でも受けるつもりなのだろうが,予備試験もそんなに甘くないぞ。東大や早計や,名だたる大学生が,1年生から授業そっちのけで予備校に行ってそれでも激しい競争になるのだ。そんな,週3のバイト(今は正規社員らしいからなおさら)と現在の大学院の課題をこなしつつ,予備試験に受かるなどというのは,よほどの天才だけだ。「俺はその天才になる」とおっしゃるならこれ以上は反論できないが,大マスコミが報じない現実はこんなもんだ。なお,予備試験は,一般教養として英語はあるが,法律試験自体は日本語です。契約書の英訳問題はありません。なお,ロースクールに在籍しながら正規社員として働くのは事実上不可能であろう。これらは難癖ではなく,ロースクール世代なら全員知っている客観的事実である。
ということで,現実に国際弁護士になるなら,アメリカのカリフォルニアなりニューヨーク州弁護士の資格を取るのだろうね。日本では日本の弁護士として名乗れないので,アメリカでの執務だろう。それで成功できれば万々歳だが。
とにかく,愛だけで結婚が成り立つという前提の基に1億円余りを使いきり,その後経済的理由で離婚しても(さすがに,万一のときは宮内庁又は奥野外国法共同事務所が何とかするだろうが・・・事務所の最高の宣伝になったわけだし。),この税金は返りません。そうなってほしくないということで,結果的には「お幸せに」ということになるとはいえ,少なくとも経済力に関しては,多額の税金が出る以上たとえネットウヨであれ小室氏を批判する権利があるというべきであろう。それが,いつものリテラのスローガンであるヴォルテールの格言にかなうものである。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

全223ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


みんなの更新記事